第38話 四祈宮ハルナ
「さて、お手並み拝見といこうか」
七童子市の西端にある高い電波塔から街を睥睨し、六道逢魔は五体目の鬼である外道丸の襲来を待っていた。すでにゲートには霊子反応が出ており、陰陽連も迎撃の準備を整えている。
「おや、凛音の反応がないな」
迎撃準備が完了した陰陽連だったが、凛音との連絡が取れず焦っていた。
『天真、御前はどうしたの!?』
コクピット内で待機していた天真に京子から通信が入った。しかし、どうしたと訊かれたところで彼にも分からない。天真が朝起きた時には既に凛音は姿を消していたのだ。
(凛音……どこに行ったんだ)
「京子ちゃん、凛音が間に合わないなら俺一人で出撃する」
『無理よ、オウガはあなただけでは動かない』
そう言われた天真だったが、三度の戦闘、そして半端ながらも二度の覚醒を経たことでオウガの扱い方を身体で憶えていた。操縦に必要なのは単純に霊力を高めれば良いというものではなく、霊力を血液と同じで隅々まで行き渡らせるような感覚が重要だった。無論、オウガほど巨大な式神に霊力を通わせる事、それ自体は生易しい技術ではない。
「問題ない。やれるさ」
天真の額に桔梗紋が浮かび上がり、頭髪と瞳が蒼く染まっていく。覚醒した感覚を一度掴むと、それは泳ぎ方を覚えたようで難しいことではなくなっていた。
「四祈宮さん、陰陽エンジンの起動を確認。奥拉数値は戦闘可能域で安定しています」
「忘念フィールドの抑制はどうなってるの?」
「そちらも問題ありません」
法眼アカネのモニターにはオウガの機体データが羅列されており、その数値のどれも凛音がサブ葬者として搭乗していた時以上にまで上昇していた。
(悲しい才能……本人が望んでないことばかり。これも凶星の影響かしらね)
『何度も言うようだけど、無理はしないようにね』
「わかってるさ」
『システムオールグリーン。陰陽霊装パージ。式神【天刻】発進どうぞ!』
「バッシュ・アウト!」
オウガが出撃した同時刻――。
六道凛音は一枚の形代を手に、再び大霊脈寺社殿を訪れていた。京子たち陰陽連の連中に悟られることなく、限りなく霊力を抑え侵入してきたのだ。
石の大地に形代を置き、二本指を立てた凛音がしめやかに呪文を唱え始める。
「オン・キリキリ・バサラ・トシャク・ウンケン・ソワカ……称呼!」
形代から光が広がっていき、人の形に変わっていく。
「……あれ? ここどこ?」
人間の姿となって凛音の前に現れたのは四祈宮ハルナだった。
凛音は早朝にハルナを呼び出し、その時に彼女を形代へと戻した。
平たく言えば拉致をしてきたのである。
「私、確か呼び出されて、その後どうなったんだっけ?」
ハルナの前には和服姿の凛音が片膝を突いており、視線を地に落としたまま俯いていた。
どこを見ても一面岩肌だらけの洞窟内で、ハルナは困惑した表情を浮かべている。しかし不安に感じていたのは、見知らぬ場所に自分がいるという理由だけではなかった。
それは目の前にいる見知った顔の少女から、陰気な雰囲気が漂っていたからだ。能天気なハルナでさえ、肌で感じるほど暗く重たい空気。それはそのまま悪意と言い換えてもいい。
「り……んねちゃん?」
状況を理解できないまま、ハルナは恐る恐る凛音に声をかけた。だが返事はない。手を伸ばせば届く距離にいる少女が、ハルナには遠く感じられた。
「天真と何かあったの?」
「……」
凛音はやはり心の何処かでハルナに嫉妬していた。天真にそのつもりはなくとも、二人の関係は結局信頼で成り立っており、互いを大切に思っている。二人と学校生活を共に送ることで、凛音にはそれがよく分かったのだ。そして天真の横にいるのが、なぜ自分ではないのだろうと考えるようになっていた。ハルナのことが嫌いなわけでない。いや、明るく純粋な彼女が好きだからこそ、凛音はその光が眩しかった。
「ハルナは天真のことを好きなのか?」
「え……」
凛音はまだハルナ自身の口から、その答えを聞いたことがなかった。その答え次第では、凛音はハルナを殺そうと思っていた。形代を消して魂魄ごと消滅させるつもりだった。ハルナが存在することで、自分の想いは決して天真に届かず報われないと思っていたからだ。それほどまで凛音は暗然とした気持ちになり、追い詰められていた。
「好きだよ――」
ハルナが答えてすぐ、凛音は抑えていた殺気を解放し始めた。
「――でも、天真と私はそういう関係にはなれないと思う」
憂いた表情でハルナはそう言葉を付け足した。それから彼女は幼馴染との思い出を静かに語り始め、その理由を凛音に話してくれた。
「私は小さい頃からずっと天真を見てきたけど、本当に見てきただけで助けてあげることは一度もできなかった」
ハルナは天真が抱えている悩みを知っていた。何をしても上手くいかず、苦しむ彼の背中を見てきた。しかしその背中を支えることは出来ても、本当の意味で救うことはできなかった。
その力がハルナ自身にも無かったからだ。
「天真はああいう性格だから、全部一人で抱え込んで、きっとお爺さんが亡くなったことも自分の所為だとか思ってるんだよ」
「玄真が死んだのは、あやつの所為などではない。他に術が無かっただけの話じゃ」
「でもそう考えちゃうのが天真なんだよ。しなくてもいい努力ばかりして、いっつも損な役回りばっかり。ホントに馬鹿だよ。不器用な癖に」
そんな幼馴染の少年の姿を見続けてきたハルナはいつしか考えるようになった。
彼を幸せにしてくれるなら、例えそれが自分じゃなくても構わないと。ハルナの愛はどこまでも深く、そして温かいものだった。
「ッ!?……待て、ハルナ……御主まさか」
話の流れから気づくのが遅れた凛音だったが、天真の心中を察するハルナの言葉は明らかに事情を知っている口振りだった。
「うん、知ってた。自分が憑代の巫女だってことも、皆が鬼と戦ってることも。でも思い出したのは本当に最近のこと。多分、天真のお爺ちゃんが亡くなったからだね」
「玄真に記憶を封じられていたのか。しかし、何故じゃ?」
「私がお願いしたの。その時が来るまで普通に生きていたかったから。天真の幼馴染のまま、学校に行って、部活をして、友達と遊びたかった……。それに私って嘘つくの下手だから、そのままだときっと天真を困らせてたと思うし」
その時、地底洞窟が揺れ動き始めた。直上の花房山からオウガが出撃したのである。
「凛音ちゃん、天真を助けてあげて。それは凛音ちゃんにしか出来ないことだから」
「ハルナ……」