第2話 ファースト・キス
部屋中に敷き詰められた桜の花びら。その中には桜と同じ色をした髪に、色艶やかな着物を纏った少女が横になっていた。まるで眠り姫のようにすやすやと寝息を立てている。
桜の花びらが舞い踊る和室の中、天真はその少女に見惚れていた。
なぜ今まで認識できない一室があったのか? なぜ見知らぬ少女がこんな場所で寝ているのか? 幻想的な美しさを前にして、彼のそんな疑問はすべて吹き飛んでいた。
それほどまでに可憐な少女だったのだ。
天真はその光景に心の底から奮え、今まで覚えたことのない感情が湧き上がってきた。そして甘い花の香り誘われる蝶のように、少女の顔に触れようと手を伸ばす。
『ん……んぅ』
ゆっくりと瞼を開き、少女は目を覚ました。桜色の長い睫毛が上下し瞬きを繰り返す。重たげに上体を起こした少女は呆けている天真に目を向けた。
血のような真紅の瞳が細められ、訝しげな視線が少年に注がれている。
『ほぁ――――ッ!!』
『なっ!』
少女は突如として奇声を発し立ち上がった。
『ッ!?』
次の瞬間には抱きつかれ、天真は少女にその唇を奪われていた。
薄い唇が重なり合い、こそばゆい鼻息がかかる。甘い桜の香りに包まれ、まるで世界が止まったように天真は動けずにいた。
『ふぅ』
少女は満足したように唇を離し、恍惚な表情を浮かべている。しかしそれも束の間、口づけを交わした天真の顔をまじまじと見つめ、はたと何かを思い出したように口を開いた。
『はて、御主ちと見ぬあいだに随分と肌艶がよくなったようじゃが』
『……な、誰だ?』
『誰だとは御挨拶じゃな。妾の顔を忘れてしもうたのか? 玄真よ』
ケロっとした顔で少女はそう言った。
『俺は玄真じゃない。天真、天道寺天真だ』
『くははっ、堅物が面白い冗談を言うようになったではないか』
『だから、お前は誰だ』
『………………はぇ?』
ようやく天真の言葉を信じ理解した少女は、間抜けた声を漏らし目を丸くしていた。
天真の言葉を反芻し、自分の言動の過ちを知る。そして眉間を押さえて何かをブツブツと独りごちりだした。
『これはちと不味いことになったな。さてどうしたものか……』
天真は目の前にいる少女をじっと見定める。背丈は低く中学生ぐらいの見た目だが、妙に色香を漂わせていた。少女というより童女と言ったほうがしっくりくる風貌をしている。
『おい小僧、今は何年何月じゃ?』
『二〇二一年の四月だ』
『……そうか。あれからもう一〇年以上も経つか』
少女は天井を仰ぎ、少しだけ憂いた表情を浮かべていた。
『で、御主は誰かや?』
『天道寺天真だ。何度も言わせるな』
『……思い出した。御主が玄真の孫か。道理でこの部屋に入れたわけじゃ』
『どういう意味だ? まったく話が……見え…………な……うっ』
少女を問いただそうとした直後、全身から力が一気に抜け、猛烈な眠気が天真を襲った。
(なにが……)
『ありゃ、ちと吸いすぎたかのう』
* * * * * *
「あの女……なんだったんだ」
意識が戻ってから一〇分ほど経過し、ようやく暗闇に目が慣れ始めた。そして間もなく部屋の自動扉が開かれ、その先には見知った顔の女性が立っていた。
「きょ、京子ちゃん……?」
「担任教師を『ちゃん』付けで呼ぶな」
すらりとした長身に、亜麻色の髪をポニーテールで纏めたその女性は、天真が通う高校の担任教師・四祈宮京子。二六歳独身。彼女は鼻梁の整った麗人で男子生徒からの人気も高い、にも関わらずYシャツの上から昔懐かしの芋ジャージを羽織り、靴は便所サンダルという壊滅的な服装センスを持つ残念美人だった。
「拉致監禁は犯罪だぞ」
「監禁はしたけど拉致をしたわけじゃないわ。保護したと言った方が正しいわね」
凛とした声音でそう告げた京子の目は真剣そのものだった。
「意味がわからん。いくら昔からの付き合いでも、これはやりすぎだ」
京子の背後には男性が二人いた。どちらも国防色の軍服を着ており、その腕には小銃が抱えられている。バイザーのせいで表情は窺い知れないが、どこか怯えている様子が見て取れる。
「今後、君の身柄は我々の管理下に置くこととなりました。以降、君に自由はありません」
「説明を要求する」
「これから君には敵と戦ってもらう」
「おい、人の話を聞いてくれ」
京子が何を言っているのか天真には何一つ理解できなかった。
昨晩の記憶が曖昧な事といい、意味不明な事態が続き、何か悪い夢でも見ているのかと思っていた。
「あまり悪ふざけが過ぎると、いくら俺でも怒るぞ」
「もはや一刻の猶予もない。君の意思や精神状態を鑑みている暇がないの」
「だから何がどうなっているのか説明をしてくれ」
天真の問いを無視して、後方にいた部下らしき男へ指示を出すと、男は天真へと近づき拘束を解く。しかし椅子からは解放されたものの、両腕には新たな手錠を嵌められた。
「必要な処置よ。時間が無いの。道すがら説明するわ」
牢獄染みた一室から出され、京子の後を追って天真は歩き出した。ただしその背後からは男達に銃口を突きつけられている。
「まるで囚人のような扱いだな」