第1話 見知らぬ部屋
『人間てやつは諦めることを絶対しない。もう無理だ。才能がない。不可能だ。やってられん。何度もそう思い挫ける生き物だが諦めない。それが何故かわかるか?』
木漏れ日の中、老人は縁側に腰を掛けながら言った。
『わからん』
少年は口を尖らせ、仏頂面のまま答えた。
『そりゃあ悔しいからだよ』
『でも夢を諦めている人が世の中に大勢いるじゃないか』
『いいや違うな。ソイツらはその実、心の底から諦めたりはしていない。それは見せ掛け(ポーズ)だ。諦観や挫折というのは一時のものでしかない。時が経てば、あるいは機会があれば何度でも挑もうとするだろう。だが人間には寿命という逃れられない時間制限があるでな、叶わぬ夢も多くあるだけの話さ』
この時の老人の言葉は、少年にはまだ届かないものだった。
『まぁ、とにかくお前は生きている内に足掻き切ってみせろ』
その眼差しはどこまでも優しく、その背中は精一杯に人生を謳歌した漢の背中であり、少年が唯一憧れた祖父の生き様だった。
* * * * * * * * *
東京都 七童子市。
人口約五七万人が暮らし、近年になってから大企業や大規模団地が進出しているものの、河川や丘陵地が多く、一歩街の外れに足を踏み出せば緑豊かな自然が望める片田舎でもある。
街の西方に位置する七童子高校に通う天道寺天真は、自らが住まうこの場所をこう語る。
――近代化の波に乗り遅れた、ひどく中途半端な街。
特徴と言えば街の中心に聳え立つ、〝鬼神不葺御門〟という巨大な鳥居ぐらいしかない。一応は名所のはずだが、観光客で賑わっているところなど天真は見たことがなかった。
天真の記憶が正しければ、今日は西暦二〇二一年の四月一八日、土曜日。
つい二分前に意識が戻ってから身動きが取れずにいる。その原因自体は単純で、手足が椅子に縛り付けられた状態で拘束されていたからだ。
問題はなぜ彼がそんな状況に陥っているのかということである。
「どこだ……ここは」
四畳ほどの薄暗い個室で、数メートル前方には鉄の扉がある牢屋のような一室。
彼はこの無機質な部屋に連れ込まれ、何者かに監禁されている。意識が覚醒したと同時に、昨晩の記憶が朧げながらよみがえってきた。
昨日、天真の祖父・天道寺玄真が息を引き取った。その場に天真は居合わせていた。
無論のこと、彼が狂気に囚われ祖父を殺したというわけではない。
歳六〇だった玄真は本当に眠っているかのように、安らかな顔をして、その短くもないが長くもなかった生涯に幕を下ろした。
その日の夜に祖父の通夜式が自宅で行われた。
『助かったよ。ありがとな』
深夜まで式を手伝ってくれた幼馴染の少女を見送った後、天真は自室へと戻ろうとした。
天道寺家は一階建ての趣のある古風な日本家屋。
祖父の部屋、両親の寝室、父の書斎、家族が団欒する居間、そして天真の自室に分かれており、彼の自室は祖父の部屋から一番遠い場所に位置していた。
薄暗い廊下を歩いて自室へ向かう途中、天真はふと異変に気づいた。
『……?』
そこには見たことのない襖があった。
それは一面に桜が描かれた襖障子で、ちょうど祖父と天真の自室の中間にある部屋。しかしその部屋を天真は見たことがなかった。いや、正確には今まで認識できていなかったと言った方が正しい。その部屋は確かに存在していたのだ。
恐る恐る部屋の前に立ち襖に手を掛ける。その瞬間、天真の背中にぞわりと悪寒が走った。
(何だこの感じ……いつから我が家は幽霊屋敷になったんだ)
『……硬いな』
鍵があるわけでもないのに襖は硬く閉ざされている。少しムキになった天真は両の襖に手を掛けて全力で開いた。
その瞬間、視えない何かが砕け散ったような音が聴こえた。
そして部屋の中を見た天真は思わず絶句した。