第9話 転入生
翌日、鬼の襲来から三日が経過していた二一日の朝。
天真はいつものように登校し、いつものように自席に座る。窓から見える景色を睥睨し、取り戻した仮初の日常を過ごしていた。しかしその表情は冴えず、どこか心の落ち着ける場所を探している。
「てーんま」
天真の数少ない落ち着ける場所である、四祈宮ハルナがそこにはいた。
濡れ羽色の長い髪に、抜けるような透き通った白い肌の美少女。快活で面倒見がよく、クラスの誰からも好かれる彼女は天真とは腐れ縁の幼馴染だった。
そして京子の妹でもある。
「もう大丈夫なの?」
「……何がだ?」
祖父のこと、鬼やオウガのこと、ハルナの言葉がどちらを指しているのか分からなかった。ハルナは姉の京子や陰陽連のことを知っているのだろうか。
「何がって、お爺さんのことに決まってるでしょ」
「問題ない。それより、ハルナこそちゃんと避難してたんだろうな?」
「避難? 地震でもあったっけ?」
「いや街に怪物がでただろう」
天真の言葉にハルナは首を傾げる。そして自らの手を彼の額に当てた。
「熱はない……ね」
自分がオウガに乗って戦ったことをハルナが知らないのはわかる。だが鬼が現れたことすら知らないのは不可解だった。あれだけ巨大なモノが街に突如として出現し、街の一部を破壊したのだ。シェルター等に避難したからといって、まったく事情を知らないことなど有り得るのだろうか。思い返してみれば、テレビでも鬼に関する事は一切取り上げられていない。情報が規制されているにしても、その隠蔽が完璧すぎる。マスコミはともかく、ネットやSNSにすら鬼の事など書かれていない。そんな馬鹿なことがあるのか、と天真は困惑していた。
「ほら、みんな席につけ」
京子が教室に入り、朝のホームルームが始まろうとしていた。
「お姉ちゃん来ちゃった。んじゃまた後でね」
「あぁ」
天真は自分の席に戻っていくハルナの背中を見つめながら、疑念の視線を教壇に立つ京子へと移した。京子に変わった様子はなく、天真にも目を合わせてこない。しかし、次の言葉を耳にした直後に嫌な予感がし、すぐに現実のものとなった。
「今日は転校生を紹介する。入ってきたまえ」
教室の戸を開き、中へ入ってきたのは制服を着た一人の小柄な少女だった。
「……どうしてこうなった」
天真は頬杖をつきながら冷ややかな視線をその転校生に送りつける。
転校生の少女に対し、クラス中の、特に男子の目が釘付けになっていた。
「姓は六道、名は凛音! 鬼族の末裔にして、平安一の美姫と謳われた妾の真名、その卑しい魂にしかと刻んでおくがよい!」
(き、決まった……昨晩寝る前に練習した甲斐があったわ)
大仰な自己紹介を終えた凛音の横では、京子が眉間を押さえながら頭痛に耐えていた。
「可愛い……(アホっぽいけど)」
「何あの髪、ハーフとかかな? (アホっぽいけど)」
「顔ちっちゃ、ウエストほっそ(アホっぽいけど)」
凛音は自らを褒め讃える声に「ふふん」と満足気に鼻を鳴らす。そんな空気の中、天真は窓の外を眺めながら大きく溜息を漏らした。
凛音はそのまま京子に指定された空席に足を運ぶ。その途中で天真の不遜な態度が目に入った。
「天真、御主ももっと妾を敬ってよいのじゃぞ? 神の子たるこの妾をな」
「盛り過ぎだ。鬼なのか神なのかハッキリしろ」
「愚か者が。鬼族は神の末裔じゃぞ。本来なら只人が言葉を交わせるような存在ではない」
「随分ちんちくりんな神様がいたもんだな」
「妾を愚弄するか! そこに直れ、痴れ者が!」
それから天真と凛音は押し問答を続け、ホームルームの時間が終わるまで口喧嘩を続けていた。
「とにかく……放課後、生徒指導室まで来い。天道寺天真、それと六道凛音もな」
うんざりした表情でそう言い、京子は教室から出て行った。
図らずも隣同士の席になってしまった二人は、顔を背けながら口を尖らせている。清々しい朝の時間は、一瞬にして険悪なものへと変わっていた。周囲のクラスメイトたちも困惑し、触らぬ神に祟りなしといったように距離を置いている。
「なに、二人知り合いなの?」
そんな中、唯一ハルナだけが空気を読まずに二人の間に入ってきた。
「知らん。こんなお子様ランチ」
「妾も知らん。こんな目つきの悪いスカした餓鬼は」
再び始まろうとした益体もないやり取り。それを見かねたハルナは、手刀を天真の脳天に打ち込んだ。
「ぐっ……痛いぞ。何をする」
「先にふっかけたのは天真でしょ。何があったか知らないけど、今のは天真が悪い」
ハルナの背後で凛音がニタニタと笑っているのが見えた。
「厄日だ」
「えっと、六道さん改めてよろしく。私、四祈宮ハルナっていいます」
「うむ、よろしく頼む(こやつが京子の妹か。全然似とらんな。ていうか胸デカいのう)」
ハルナに差し出された手を握り返し、凛音は満足そうに応えた。
短い休み時間も終わり、退屈な授業を受けていた凛音だったが、そこで天真の意外な一面を知ることとなる。
「じゃあ天道寺、この問題を頼めるか?」
数学教師が天真に問題の解答を促した。
天真は黒板の前へと足を運び、チョークですらすらと解答を式から順に書いていく。
「(-3,0), (1,0)はX軸上の点だから、放物線はy=a(x+3)(x-1)と表せる。そこに(2,10)を代入すると 10=a(2+3)(2-1)a=2で、放物線の方程式はy=2(x+3)(x-1)になる」
「せ、正解だ。すごいな、結構難しい問題のはずだったんだが」
天真はこと勉学において、どの教科を担当する教師からもその優秀さを認められているようだった。誰もが答えあぐねる難題でも、最終的に指名を受けた天真は率なく解答する。それは文系理系問わずで、傍目から見ても彼は優等生のそれだった。
「じゃあ、次の問題はっと……六道はどうだ?」
「え? ……はひぃ!」
天真に次いで指された凛音は驚きのあまり声が上擦ってしまった。そして彼女が教科書をじっと見つめること二分。すでに教室内は不穏な空気に包まれていた。
(い、いんすーぶんかいって何じゃ……和語のはずだが、まるで意味がわからぬ)
「どうした? 分からないならそう言ってく――」
気遣った数学教師が声を掛けた直後、凛音は両手で机を激しく叩き立ち上がった。
「ふ、不敬者! このような些末な問題は妾が答えるまでもない愚問である!」
顔を赤面させて訴えた凛音に対し、教師は唖然としてチョークを取り落とす。さらにクラスメイトから集まる憐みの視線によって、少女の目端には薄らと涙が滲んでいた。
「え……あっ、すまない。先生が悪かった。いや、何かもうゴメンなさい」
「わ、分かればよいのじゃ。授業を続けよ……ぐすっ」