54# 左腕
ライトレス家、別邸。
ローファスは客間にて、商業組合取締役であるミルドの応対をしていた。
ローファスの左腕には、魔動義手が装着されていた。
人の手と殆ど変わらぬ見た目。
色はローファスの好む暗黒色を採用。
側から見れば黒手袋をした手にしか見えない。
擬似神経を繋げている為、指先のほんの繊細な動きも誤差無く反映され、物を触れた感覚も感じられる。
感覚的には元の手を動かしていた時と遜色無い。
「違和感はございませんか」
ミルドの問いに、ローファスは徐に自身のコーヒーに義手の指を入れた。
湯気の立ち昇るコーヒー、しかし過度な熱さは感じられ無い。
「温かさはあるのに、熱いとは感じん。奇妙な感覚だな」
「痛み、過度な熱さ、過度な冷たさは感じない様に設定されております」
「そんな事まで出来るのか。確かに義手が火傷をすると言うのもおかしな話だが」
「余り感覚を繋げ過ぎると、痛み等の過度な刺激を受けた際に、動きに不具合が生じる可能性がございます。これは必要措置ですね」
「ほう」
ミルドからレクチャーを受けながら、ローファスは興味深そうに義手をグーパーと動かす。
「他にも、多少の外傷であれば自動修復機能が搭載されていますので、時間経過で大概の傷は直ります。尤も、元より竜種の鱗並の強度がございますので、破損する事もそうそう無いでしょうが」
「自動修復機能か。具体的にどの程度までなら機能する?」
「そうですね…術式が込められた魔石が、甲の部分に内臓されております。それが破壊さえされなければ、指が吹き飛ぼうが関節が折れようが再生致します。動力はローファス様の魔力ですので、魔石が破損しない限りは半永久的に使えるでしょう」
「素晴らしいな」
ローファスは感嘆した様に声を上げる。
「調整は?」
「擬似神経の定期メンテナンスが年に一度程度。勿論、違和感があればいつでもご連絡下さい。深夜だろうが年末だろうが、私が直接伺います」
「何故貴様だ。そこは技師を寄越せ」
ユスリカが新しく淹れてきたコーヒーを啜りながら、ローファスは呆れ顔で呟く。
「他にもポーション一本分の収納スペース、魔力貯蓄機能、簡易的な魔力制御機能等がございますが、どれも膨大な魔力を持つローファス様には不用なものですね」
魔力貯蓄機能は、普段無意識に垂れ流している魔力を貯め、使用者の魔力が不足した際に魔力補充が出来る機能。
そして魔力制御機能は、魔法を扱う際に触媒となる杖の代わりとなる機能である。
下位の魔法使いは、魔力制御の技術不足を補う為、魔法を行使する際に杖の様な触媒を用いる場合が多い。
ローファスは優れた魔力制御能力を持つ為、そう言った触媒を必要としていない。
「いや、ポーションのストックが出来るのはそれなりに使える」
ローファスはふと、以前ステリア領にて血染帽を相手にポーションが不足した事を思い出す。
「期待以上の物だ、ミルド」
「恐縮です」
ローファスの労いの言葉に、ミルドは恭しく頭を下げる。
「時に、商売の方はどうだ」
「お陰様で上々にございます。先月より正式に運用が開始された汽車、あれは素晴らしいものですね。物流の速度が飛躍的に上がりました」
汽車の運用が開始され、ライトレス領の物流は以前とは比較にならない程加速している。
現在の列車は、貨物車両九割に、客席車両一割と、積荷と商人を運ぶのが主だ。
汽車も一台で、日に数度しか駅を通らない程度の頻度。
それでも、物流の速度も量も爆発的に増加した。
街間の主な移動手段が馬車であるライトレス領に於いて、それ程までに汽車と言う存在は革新的なものだった。
現在の汽車は、ライトレス家の要人か、ライトレス御用達の商人しか使用出来ない限定的なものだが、今後汽車の数が増えれば、一般の使用も出来るようになる。
人を運ぶ時代が、ライトレス領に来ようとしていた。
「汽車の無料使用権は二年だ。それ以降は当然だが使用料を貰う。それまでに精々稼ぐ事だな」
「そうさせて頂きます。私の見立てでは、一年弱で投資分は回収出来ますので」
ホクホク顔で答えるミルド。
汽車の設置の際、その準備——ライトレス領中に敷く線路、その資材や施工の全ては、商業組合が出資していた。
それはローファスとミルドの取引によるもの。
汽車の設置、運用までに掛かる費用、労力を全て商業組合が負担する。
その見返りに、汽車が運用を開始してからきっかり二年の間、商業組合は汽車を無償で利用する権利を与えられる。
つまり実質二年間は、商業組合は一部商品の運用費が掛からず、その上移動速度も迅速。
線路の施工に関しても、ローファスの影の使い魔がその労力の一部を負担した為、商業組合としては渡に船であった。
「汽車の設置により、我々商人は随分と稼がせて頂いております。寧ろ宜しいのですか? ライトレス侯爵家には然程金銭が流れていない様に思えますが」
ミルドの疑問に、ローファスは首を傾げる。
「…? 別にライトレス家が直接稼ぐ必要は無いだろう。経済が回れば結果的に税収が増える。商人の真似事をして下手な商売をするよりも効率的だ」
「くくく、成る程。やはり貴方様は傑物でいらっしゃる」
「当然だろう。あまり平民の物差しで測るな。幼少より質の良い食を摂り、最上級の英才教育を受けて育つのが貴族だ。平民と比べ優秀であるのは当たり前、結果なぞ出して当然だ。元より貴様ら平民とは、生まれた瞬間から背負う責任の重さが違うのだ」
「今は亡きクリントン氏にも聞かせて差し上げたいですね」
「クリントン、か…」
無能な貴族の顔を思い出し、ローファスは不機嫌そうに眉を顰めた。
*
「貴族の血を引いていても、平民以下のゴミはいると言う事だ。実に嘆かわしい話だ」
クリントンと言う貴族の汚点を思い出し、ローファスは吐き捨てる様に言う。
「ああ、そういえば、クリントン様で思い出しました。こちらに赴く途中、市街に晒し首を拝見したのです」
思い出した様に言うミルドに、ローファスは鼻を鳴らす。
「クリントンと繋がりのあった監査官だな。監視する側でありながら、買収なぞされた愚か者だ」
買収されてクリントンの悪政を見逃していた監査官は、先日恙無く処刑され、本都の市街地に晒し首として置かれていた。
買収された監査官の確保に伴い、芋蔓式に後ろ暗い悪政を敷く代官役人が数名認められた。
その中の一人はルーデンスが自らの手で処刑を執り行った。
見せしめ的な意味合いも込め、かなり手酷い仕打ちをした末に殺し、それを領内に流布している。
他の代官役人には、その実家に賠償を支払わせた上で次は無いと警告する程度に止め、監視を付けた上で引き続き統治の代理を任せている。
後任者が確保出来次第、順次事故死する予定である。
悪政を敷いた全ての代官役人の首を飛ばしてしまうと、複数の地方で統治者が不在となり、それは無用な経済の混乱と土地の衰退を招く。
これはそれを防ぐ為のルーデンスによる方策だった。
「港町ヴァイパーポート周辺では、ローファス様を英雄視する領民も少なくありません。悪政を敷くクリントンを裁き、その上経済を立て直した、と」
「ああ…その話か」
ローファスが進めていた大規模の葡萄園は、順調に進んでおり、貧困に苦しむ領民を中心に従業員として雇い入れ、貧困化に歯止めが掛かり、それどころか少しずつではあるが領民の所得平均も増えつつあった。
葡萄の果実の収穫はまだである為、直接的な利益にはなってはいないが、実り自体は上々。
利益になるのも時間の問題だろう。
そしてそうした方策は、表向きにはローファスが傀儡化しているクリントンの後釜の代官役人が進めた事となっている。
しかしながら、悪政を敷いていた代官役人がルーデンスの手により処刑されたタイミングで、クリントンの後釜が「これら経済回復の方策は全てローファス様主導の下行われました。前任者クリントンを裁いたのもローファス様です」と言う旨の内容を公表した。
これにより、ローファスは領民から多くの支持を集める形となった。
そしてそれに伴い、一部で売れていたある恋愛小説の人気に拍車が掛かり、舞台劇化なんて話まで出ているのだが、ローファスはそれを知らない。
クリントンの後任であるヴァイパーポートの代官役人——名をクライム。
何故クライムが今更そんな公表をしたのか、それは全てルーデンスの指示であった。
クライムは元よりルーデンスの忠臣であり、ローファスに傀儡化されていたのも、全てルーデンスの許しあっての事。
ローファスがルーデンスに黙って密かに進めていた政策は、実は最初からルーデンスに筒抜けであり、手の平の上で転がされていただけだった。
ローファスがその事に気付いたのは、傀儡化している筈のクライムが、指示も無くそんな公表をしてからだった。
今にして思えば、締め上げたとは言え、クライムは随分とすんなりローファスの言いなりとなった。
ローファスのそう言った行動をルーデンスが予測し、予めクライムに指示を出していたとするなら、色々と辻褄が合う。
クライムは必要以上にローファスに従順過ぎた。
「父上め、この俺を下らぬイメージ戦略に利用するなど…」
此度の代官役人の不祥事、どう足掻いてもライトレス家のイメージダウンは避けられない。
それを当主であるルーデンスが自ら当事者を処刑する事でケジメを付け、その上でローファスの英雄化により、ライトレス家のイメージダウンを抑えた。
否、寧ろイメージアップしたまである。
印象操作に使われたローファスからすれば溜まったものではないが、結果的にライトレス家の利に繋がった。
「イメージは良いに越した事はありませんよ。特に今回は良い方向に働くでしょう。かの悪政を正した英雄が作った葡萄…これは良い宣伝になるでしょう」
「…まあ、それで売れるならば好きなだけ宣伝すれば良いが、街を歩くたびに領民から生暖かい視線を向けられるのはどうにかならんのか」
「生暖かい、ですか。いや、それは恐らく…」
ミルドはふと、最近巷で話題のとある恋愛小説を思い出す。
が、あれは確かローファスの側近である執事カルロスが出版していたもの。
ローファスが知らない筈も無いかとミルドは口を閉ざす。
「ん? なんだ」
「ああ、いえ。何でも…」
ミルドは咳払いをして誤魔化した。
ローファスの性格から鑑みるに、恋愛小説の題材にされているのはあまり気分の良いものでは無い筈だ。
こので敢えてその話題を口にして、ローファスの機嫌を損ねては堪らない。
こうしてまた、ローファスが恋愛小説「暗黒貴族と船乗りの少女」の存在を知る機会が潰えた。
ローファス自身が巷の書店に赴く事は無く、この様にローファスの周りにも本の存在を口にする者がいない。
この様な境遇が重なり、ライトレス領で人気を博している「暗黒貴族と船乗りの少女」の存在を、ローファスは未だに知らない。
*
話もそこそこに、ミルドはライトレス家別邸を後にした。
ミルドを見送った後、ローファスは執務室で黒塗りの義手をグーパーとしながら眺める。
「左腕は年に一度のメンテナンスか。そう言えば、そろそろ呪いの封印の再調整の時期か?」
ローファスの言葉に、部屋の隅に控えるユスリカが首肯する。
「そうですね。二ヶ月程先にはなりますが」
「ふむ、二ヶ月先か。聖女にはこちらから王都に出向くと伝えておけ」
「宜しいのですか? フラン様はこちらに来られると言われておりましたが」
「前回は態々足労を掛けたからな。今回はこちらから赴くとしよう」
「畏まりました。お伝えしておきます」
スカートを控えめに上げ、精錬されたお辞儀を見せるユスリカ。
「ついでに聖女の好きな物でも聞いておけ。手土産にでもするとしよう」
ローファスの何気無い言葉に、頭を下げたままのユスリカはピクリと反応する。
ユスリカは控えめに顔を上げ、ローファスを見る。
「その…若様は、フラン様のような方を好まれるのですか?」
「…あ?」
ユスリカの唐突な問いに、ローファスは意図が掴めず首を傾げる。
「…それは、女の好みの話か?」
「有体に言えば、そうでございます」
ふむ、とローファスはその問いの意図を考える。
何故、今このタイミングで女の好みを聞かれたのか。
聖女に関わる事か、とローファスは思案し、ふと今更ながらにユスリカの出身を思い出す。
「ああ、そう言えば貴様は元々教会の人間だったな。心配せずとも、教会の象徴たる聖女を相手に変な気は起こさん。そもそも聖女は細過ぎる。俺の好みでは無い」
確かに教会の象徴たる聖女をものにしようとする貴族が現れれば、面倒な事この上無いだろう。
ローファスはその可能性は無いとキッパリ否定する意で答えた。
ローファスの回答を聞いたユスリカは真面目な顔で頷く。
「成る程、参考に致します」
「なんのだ…」
やはり意図が分からず、ローファスは首を傾げた。




