51# 若き魔王Ⅱ
レイモンドがローファスに提案したのは、所謂投資。
ガレオン領で最近発見された炭鉱。
そこで採掘出来る石炭を、ライトレス領に流すと言うもの。
石炭の安定供給は、汽車を領内に設置する上で課題の一つだ。
実を言うと、ローファスはどうにか安価で石炭を確保出来ないものかと商業組合取締役のミルドに相談している最中であった。
線路に使用する鉄はどうにかなりそうだが、石炭の方はかなり難航していた。
汽車を運用する上で、燃料である石炭は継続的な供給が必須。
領内で炭鉱が見つかれば問題は解決するが、そもそもライトレス領は農地は多いが山は少ない。
必然的に石炭は他領から取り寄せる形になるが、領を隔てた商いには商業税が通常よりも高く掛けられる。
となると、安価での入手は非常に困難であり、相談を持ちかけられたミルドもどうしたものかと頭を悩ませていた。
そんな時に、レイモンドからの提案だ。
石炭の無償での提供。
その上、輸送費もガレオン領が持つと言う。
投資と口にしてはいるが、それでも本来ならばあり得ない提案。
それはローファスが気持ち悪さを覚える程。
てっきり安価で卸す提案と思っていたローファスは、驚きを通り越してドン引きだ。
「やり過ぎだぞレイモンド…これ程の条件、貴様が良くともガレオン家当主——貴様の父親が許可せんだろう」
「そこは問題無い。実は炭鉱を発見したのは私の召喚獣でね。炭鉱の所有権は私にあり、その運用方法も好きにして良いと父上より許可を得ている」
「…だとしても、採掘の人件費に、輸送費はどうなる? ライトレス領に無償で引き渡すだけではガレオン領が損をするだけだ」
「採掘も召喚獣がするし、輸送は場所を指定して貰えれば直接転送しよう。ほら、我々をここまで送り届けてくれた召喚獣が居ただろう? 彼は時空の上位精霊マニフィス、空間魔法が得意なんだ」
「上位精霊の召喚獣だと…? なんでもありか貴様…」
なんでも無いかの様に言うレイモンドに、ローファスは顔を引き攣らせる。
「…話は分かった。それで、ライトレス家は何を返せば良い? まさか、例の世界征服とやらの計画への賛同が条件なぞとは言うまいな?」
ローファスが警戒しながら聞くと、レイモンドは吹き出した。
「はは、それは無いな。ローファス、私は君の価値を正しく認識しているつもりだ。君の賛同を条件にするならば、石炭の無償提供だけでは安過ぎる」
「ふん、その通りだ。分かっているではないか」
「投資と言ったろう? 汽車が設置されたなら、ライトレス領の経済は大きく発展するだろう。その際、その発展に見合ったものを返してくれれば良い。例えば…大規模な葡萄園を作るんだったかな?」
ローファスは目を細める。
「…潜水艇での話も聞いていたか。そうか、海は魔物の宝庫だったな」
「相変わらず察しが良い」
笑うレイモンドに、ローファスは肩を竦める。
「良いだろう。こちらも特産品を継続的にガレオン領に送るとしよう。投資した以上の成果を返してやる」
「楽しみだ。君ならば近い将来、言葉通りに実現するだろう」
好戦的に口角を上げるローファス、そして不敵に微笑むレイモンドが固い握手を結ぶ。
そしてレイモンドは「それと…」と、まるでついでかの様に前置き、口を開く。
「石炭の転送の件は極秘で頼むよ。王家に目を付けられるとやり難くなるだろう?」
「当然だな。供給を止められるとこちらも困る」
「ふむ、ならば引き渡しの際にはローファスが直々に応対しなくてはならない訳だ。しかし侯爵家嫡男ともあろう君に、毎度そんな雑務をさせるのは実に忍び無い」
芝居掛かった大袈裟な動きで頭を抱える仕草を見せるレイモンド。
ローファスは意図が掴めず、眉を顰める。
「…関わる者が少ない方が情報は漏れにくいだろう。今更何を言っている」
「その通りだ。この苦労は、どうあっても君に頼むしか無い。で、あればだ。直々に応対してくれる君への感謝の気持ちとして、その都度茶会を開こうではないか——“我々”が交流を深める良いきっかけになるだろう」
「茶会…!? まさか、それに毎回参加しろと!?」
顔を引き攣らせるローファスに、レイモンドは続ける。
「思うに、私達に必要なのは互いに理解を深め合う事だ。そもそも碌に関わりの無い者より、いきなり世界をどうのと言われても拒否反応が出るのは当然の事。君のその反応は正しい」
「だから茶会なぞを開いて交流を深めると? 貴様、まさか最初からそれが目的で…!」
転移、汽車、石炭の無償提供。
その全ては、レイモンドが定期的な茶会を開く為に用意した布石であった。
ローファスは、レイモンドの仕向けた誘導にまんまと引っかかった事となる。
「まさか、茶会に参加するのが嫌だとか、そんな子供みたいな理由で、つい先程結んだ約束を反故にする等とは言わないだろう?」
「ぐ…」
レイモンドとローファスのやり取りは、所詮は口約束、契約書も無い。
故に、仮に反故にしても王国法に違反する訳でも無く、当然罰則も無い。
しかしローファスは、レイモンドとの口約束を反故にする事が出来ない。
投資した以上の成果を返してやる、等と大見得を切ってしまっている以上、これを一方的に違える事は、ローファスの貴族としての沽券に関わる。
何より、レイモンドからライトレス側に対し、不利に働く事はなんら提示されていないのだ。
やられた、とローファスが言葉も返せずに黙っていると、椅子に腰掛け、うつらうつらと船を漕ぐヴァルムの姿が目に入った。
「時にレイモンド。何故この話し合いにヴァルムを連れて来た?」
「…ヴァルムにも、以前パーティで話した事と同様の話をした。彼は私の思想に肯定的ではあったが、共に歩むとは言わなかった」
「ほう?」
物語では付き従っていた筈のヴァルムがどう言う心境の変化だ、とローファスは首を捻る。
或いはそれは、ローファスが介入したが故のヴァルムの変化。
「声を掛けた四人中、二人に袖にされた訳か」
「いや、ヴァルムはこう言った。“ローファスが賛同するならば手伝っても良い”とね」
「はあ?」
何を勝手な事を、とローファスは一人居眠りをするヴァルムを睨む。
レイモンドは肩を竦めた。
「詰まる所、君を口説き落とせば芋蔓式にヴァルムも私の同志となる訳だ」
「それで、この手の込みようか」
得心いったような、それでいて何処か納得は出来ないような複雑な面持ちで溜息を吐くローファス。
と、ここで船を漕いでいたヴァルムの鼻提灯がぱちんと割れ、閉ざされていた目が開かれる。
「うん…? 話は終わりか?」
「何を寝ている。貴様、随分と身勝手な事を言ってくれたらしいな」
「なんだ、聞いたのかローファス」
欠伸を噛み殺しながら言うヴァルムに、ローファスの額に青筋が立つ。
「そもそも貴様…」
物語では、ローファスはそう口にし掛け、口を噤む。
思えばローファスは、物語にてヴァルムがどの様な想いでレイモンドに付き従っていたのか知らない。
ただ一つ、現在と物語とで噛み合わない部分がある。
それはヴァルムの愛竜フリューゲルについて。
物語の四天王戦でヴァルムが騎乗していた愛竜フリューゲルは、レイモンドより与えられたものとされていた。
姿形こそ似てはいるが、それはローファスがステリア領にて出会った時には既に死ぬ寸前だったフリューゲルとは別物であった。
当初こそ、レイモンドから与えられた飛竜フリューゲルは二代目だったのかと、ローファスは大して気に留めて居なかった。
事実として、年老いて走れなくなった騎馬の世代交代後、新しい騎馬に先代と同様の名前を付けると言う話は、別段珍しいものでも無い。
しかしヴァルムは、フリューゲルに強い愛着を抱いていた。
ヴァルムの死因も、愛竜を堕とされた事で敗北を認め、その後に自害すると言う何とも悲惨な末路であった。
レイモンドへの忠誠故かと思われたが、それは違う。
忠誠心が強いなら、愛竜が堕とされようとアベル達の前に立ちはだかれば良い。
しかしヴァルムはそれをしなかった。
まるで、堕とされた飛竜フリューゲルの後を追う様に自ら命を絶ったのだ。
果たして二代目の飛竜に、そこまでの愛着があるだろうか。
それ以前に、ヴァルムの印象からして、新たな飛竜を与えられても、それにフリューゲルと名付けるとはローファスは思えなかった。
そしてもう一つの事実。
レイモンドには召喚獣の使役とは別に、固有魔法がある。
それを使えば、或いは擬似的に蘇生に近い事が出来るかも知れない。
ローファスの中で、疑問が一つに繋がった。
物語でレイモンドがやった事は、結果だけを見るならばきっと、ローファスが《影喰らい》にて行った事と同様の事。
奇しくもローファスは、ヴァルムがレイモンドに付き従う要因を偶然にも潰した事になる。
一人それに思い至ったローファスは、うんざりした様にレイモンドを見た。
「人の事を言えた義理では無いが、貴様も大概だなレイモンド」
「えっと、本当によく分からないのだが、何の話だい?」
レイモンドは意味が分からず、首を傾げた。
*
レイモンドとヴァルムの帰還後、ローファスは汽車設置計画の企画書を作成していた。
父、ルーデンスが懸念していた石炭の安定供給の目処は立った。
しかしながら、その輸送方法が転移である事は流石に公には出来ない。
ルーデンスに不審に思われない程度に確実かつ正確なダミーの経路を考案しなければならない。
「俺の使い魔か、レイモンドの召喚獣が空を飛んで運ぶと言うのはどうだ?」
「空路による輸送ですか…本来ならあり得ない方法なだけに、意表は突けそうですな。坊ちゃんとレイモンド様ならば実現出来るだけに、疑われはしないでしょう。しかしながら、その案ですと他領の空域を侵す事が前提となります。そうなると、該当貴族家への事前布告は必須。そして継続的に運搬されるならば、一定の目撃者が居ないと不自然でしょうな」
ローファスの思い付きに、カルロスが答える。
「他家に布告なぞ出せば、空域の通行税を請求されそうだな」
商人が領を跨いで商品を輸送するのには、かなりの運送費が掛かる。
食費、消耗費、護衛費、そして領を通過する際に発生する通行税。
「飽く迄もダミーの輸送経路だ。実際には転移での輸送。中身の無いものに金を払うのは馬鹿らしいな。輸送の目撃者の準備は…面倒な話だな」
ローファスは暫し悩み、ふと良案を思い付く。
「いっその事、通常通り馬車による運搬にするか。出る筈の費用を経費として落とせば、自由に使える金が手に入る」
「無駄の無い素晴らしい案ですな。住民の血税を不正利用する事になると言う点に目を瞑ればですが。やっている事はクリントンめと大差無いですぞ」
「別に私欲に使う気はないのだが…そうか、汚職になるか」
「税金の不正利用は、当然ですが王国法に抵触致します」
良い案だと思ったのだが、とローファスは肩を落とす。
「いっそ転移の件、素直に父上に話してしまうか? 父上なら上手くやってくれるだろう」
「御当主様であれば良い様に取り計らわれるでしょう。ただ召喚獣による長距離転移は王国法的にかなりグレーですので…私は御当主様の胃が心配です」
「それならば問題無い。父上はあれで、心臓に毛が生えているからな」
「いえ、私が心配しているのは胃の方なのですが…」
丸投げだ丸投げ、とばかりにローファスは企画書に召喚獣による長距離転移の旨を記載し、説明文の最後を「要隠蔽」で締め括った。




