50# 若き魔王
メッセージカードを見たローファスは、急ぎ別邸の外へ駆け出した。
向かった先は突如現れた独特な魔力の出現地点。
そこは別邸の正面玄関前だった。
「…これは」
ローファスは上空に浮かぶ“それ”を目視する。
魔力を放つ正体は、鈍色の球体だった。
球体は淡い光を放ちながら、足場も無しに宙に静止している。
ローファスはその姿に、既視感があった。
ふと《初代の墳墓》にて出現した影の使い魔に、似た様なタイプのものがいたのを思い出す。
つまりあの鈍色の球体は、魔物の類であると言う事。
そしてそれは、ガレオン公爵家からメッセージカードが送られて来たタイミングで現れた。
「“本日赴く”だったか? まさか…」
ローファスの嫌な予感に応える様に、鈍色の球体が上空に魔法陣を展開させた。
「坊ちゃん!」
「若様、後ろに」
カルロスが剣を抜き、ユスリカが女中着のスカートの中より取り出したワンドを構えてローファスの前に出る。
しかしローファスは、落ち着いた様子で「下がれ」と一言。
「転移魔法だ。攻撃性は無い」
その術式を読み取るに、ルーデンスが用いていた様な長距離転移魔法の類の魔法陣である事をローファスは看破する。
魔法陣から光の帯が地上に注ぎ、その光の中から人影が現れた。
それは明るい茶髪に、白を基調とした正装の少年——レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオン。
物語に置いては第二の魔王と呼ばれた存在。
「やあ、ローファス。態々出迎えてくれたのかい? 嬉しいよ」
ローファスを見て十年来の親友にでも会ったかの様に親し気に微笑むレイモンド。
ローファスはやはりか、と顔を渋く歪ませる。
「長距離転移…王国法違反だろう」
「王国法では、個人又は集団での使用、そして転移結晶等の魔道具による行使が禁じられている。転移を行使したのは私の召喚獣だ。魔道具でも無いし、当然私は使用していない。問題無いよ」
「とんだ屁理屈をこねたものだな」
はっはっはと笑いながら得意気に説明するレイモンドに、ローファスは呆れた様に眉を顰める。
そういえば最近、同様に長距離転移を行使した上で屁理屈をこねていた貴族家当主がいたなと、ローファスはふと、先日ステリア領まで空間跳躍してきた実の父を思い浮かべる。
「悲しい事に、これが王国法だ。王国貴族たる私は、ただ法に従うのみだ」
「法の穴を突いた奴が何を言っているのか。急ぎ法の改定を王家に具申せねばな。悪用している者が居ると言う情報付きで」
「見逃してくれ、親友の好だ」
「誰が親友だ」
軽口を叩きながらも楽し気に話すレイモンドに、渋顔のローファス。
レイモンドは不敵に微笑みながらも、鈍色の球体に向けて指を鳴らした。
「まあローファス、そう邪険にしないでくれ。今日は顔合わせも兼ねている」
レイモンドの合図に呼応する様に、光の帯より人影が現れる。
癖っ毛の強い金髪に、12歳とは思えぬ程の長身に引き締まった体躯。
ローファスからして、それは酷く見覚えのある顔だった。
「ヴァルム…」
「ローファス…!? ならばここは、ライトレス領なのか?」
驚いた様にキョロキョロと周囲を見回すヴァルム。
ローファスとヴァルムのやり取りを聞いたレイモンドは、首を傾げる。
「うん? 顔合わせのつもりだったのだが、君達は既に交流があるのかい?」
「無知を装うな、白々しい」
「…それは、どう言う意味だい?」
忌々し気に吐き捨てるローファスに、困った様に笑うレイモンド。
ローファスには、レイモンドがあらゆる情報を得ていると言う確信に近いものがあった。
事前に情報を得ていなければ、ガレオン家主催のパーティにて、それまで面識が無かった筈の、後に四天王となる天才四人に声を掛ける筈が無い。
レイモンドは何かしらの、あらゆる情報を得る手段を持っている。
騎士家系でありそこまで有名でもないヴァルムの存在を認知している時点で、恐らくは最近ステリア領であった出来事もある程度は把握しているだろう。
ローファスはそう睨んでいた。
「全て知っているのだろう、レイモンド。最近ステリア領で何があったか。俺とヴァルムのやり取りさえも」
「…何故そう思う?」
「貴様、各地に手下がいるのだろう。使い魔との視界共有なぞ、初歩の初歩だ」
これはローファスが物語より得た知識ではあるが、レイモンドの召喚獣は、別に異次元から喚び寄せている訳では無い。
特定の魔物と契約を結び、レイモンドの呼び掛けに応じて召喚術式を介して現れると言うのが、召喚魔法だ。
レイモンドは王国各地の魔物と契約を結んでおり、恐らくはその魔物を通して情報を得ていたのだろう。
それを指摘されたレイモンドは驚いた様に目を丸くし、そして楽し気に笑った。
「凄いねローファス。この少ない情報で何をどうしたらそう言う結論に至れるんだい? 全く困ったな、君への興味が尽きないよ」
「気色悪い事を口走るな。顔合わせが目的ならばもう済んだろう。ヴァルムを連れて帰れ、目障りだ」
しっしと手を払い、文字通り門前払いするローファス。
それにレイモンドは苦笑し、突然連れて来られて一人置いてきぼりを食らっているヴァルムは眉を顰め、俺への説明は無しか? とローファスを見ている。
しかしローファスは、話は終わったとばかりに踵を返す。
「カルロス、お客様がお帰りだ。ユスリカ、俺は少し休む。コーヒーを淹れてくれ」
ローファスの言葉にカルロスは「ぼ、坊ちゃん…!?」と公爵家嫡男相手にこの対応は不味いのではと視線を泳がせ、ユスリカは「は、はい」とローファスに続く。
レイモンドはやれやれと肩を竦め、ある言葉を口にする。
「炭鉱」
レイモンドが口にしたのはその単語一つ。
しかしその言葉を聞いたローファスは、屋敷に戻る足を止めた。
レイモンドは不敵に微笑み、続ける。
「…最近、うちの領で新たに見つかってね。それは良く取れそうなんだよ——石炭が」
ローファスは忌々し気に振り返り、レイモンドを睨む。
レイモンドはニヤリと笑った。
「実の所、石炭はガレオン領では足りていてね。投資先を探しているんだ。所でローファス、汽車に興味は無いかい?」
「レイモンド、貴様…」
一体何処まで事情を把握している、とローファスはレイモンドを暫し見据え、深い溜息を吐いた。
そして再び踵を返し、屋敷に向けて歩き出す。
「カルロス、客人だ。客間に案内してやれ。ユスリカ、コーヒーは人数分だ」
「かしこまりました」
「ぎ、御意に」
カルロスが優雅にお辞儀し、ユスリカがそそくさとローファスの後に続いた。
レイモンドは不敵な笑みを浮かべながら、誘導を始めたカルロスに付いて行く。
「…何なんだ」
ただ一人状況について行けていないヴァルムは、ぼそりと呟いた。
*
ローファスは、レイモンドの事を物語を通して知ってはいるが、それは主人公アベルの視点によるものであり、その実、第二の魔王レイモンドと四天王達の関係性に関しては断片的にしか知らない。
つまりローファスは、レイモンドについて知らない部分も多い。
しかしローファスは、ガレオン家主催のパーティにてヴァルムを除く四天王を集め、会合を開いた時より違和感を感じていた。
それと言うのもローファスは、レイモンドと四天王は、件のパーティにて出会い、意気投合して共に行動する様になったと考えていた。
だが、そうだとするならば先の会合は不自然だった。
ローファスは特に会話も無いままにレイモンドに呼ばれ、その先ではまるで最初から決まっていたかの様に後の四天王が集められていた。
しかも、当時のレイモンドの口振りから、その場に居ないヴァルムの事も知っているかの様であった。
そこから導かれる事実。
レイモンドと四天王の直接的な出会いは間違い無くパーティでの会合だが、当のレイモンドはパーティよりも遥か前から、四天王となる四人の存在を認識していた。
そしてあの会合は、偶然揃った天才達を集めたものでは無く、レイモンドにより意図的に集められたものだった。
その証拠に、レイモンドは会合時にこう言っていた。
“私の力を特定の分野で上回る人間が、この王国に四人居た。それもあろう事か同世代に。運命を感じたよ。一人はここに居ないが、それは君達の事だ”
特定の分野でレイモンドを上回る四人、それがレイモンドが仲間として見出した四天王。
レイモンドの言葉から鑑みるに、その場に居た三人——ローファス、アンネゲルト、オーガスの他に、ヴァルムの存在もこの時点で認識していた事になる。
当時、ローファスはこの言葉を何気無く流していたが、よくよく考えればこれはおかしな話だ。
ローファス、アンネゲルト、オーガスは貴族の子女の中でも天才とされる者達だ。
しかしヴァルムは違う。
実力こそあるが、騎士家系と言う身分の低さからその認知度は低く、貴族社会でのヴァルムへの評価は精々が“強いと噂の騎士見習い”だ。
他にも強いと噂される騎士が五万といる中、ピンポイントでヴァルムを指名しているのもおかしな話。
そしてそれは、他三人にも言える事。
ローファス、アンネゲルト、オーガスは間違い無く天才であり、各得意分野における時代の寵児と言える者達だ。
しかし、貴族とは見栄っ張りなもの。
身内贔屓により天才と呼ばれる子女は数多く居る。
天才とされる中でも、常軌を逸した魔力を保有するローファスは頭一つ抜きん出て有名ではあったが、アンネゲルトとオーガスは天才の中でも特別有名と言う訳でも無かった。
貴族の子女は多少優秀であれば天才として持て囃される。
貴族社会は紛い物の天才で溢れていた。
しかし、そんな数多くの天才と呼ばれる子女の中から、この四人は迷わず選ばれた。
そしてその選択は、間違ってはいない。
何せ物語において第二の魔王の勢力は、首魁レイモンドと四天王のヴァルム、ローファス、アンネゲルト、オーガスのたったの五人で、王国を滅亡寸前まで追い込んだ。
大陸一の国土と国力を誇る魔法国家を、だ。
レイモンド自身も然る事ながら、レイモンドが選んだ四人も、正しく国家さえも相手取れる程の正真正銘の天才——否、怪物達である。
それらを選んだのが、偶然で済まされる訳も無い。
レイモンドは探していたのだ。
自分に並び得る傑物を、自分と共に歩める対等な存在を。
そしてそれを探す手段として、契約した魔物を王国各地に配備し、情報を集めた。
ある時は魔物から情報を聞き、そしてある時は魔物の目を通して直接見て。
そうして選ばれたのが後の四天王となる四人。
四人の天才達——否、怪物達。
そうして探した背景もあり、レイモンドは王国各地で起きた出来事や情報の多くを知っている。
そして先の会合にて、仲間に引き入れる事が出来なかったローファスやヴァルムの事は、契約した魔物を通して特に観察していただろう。
故にレイモンドは知っていた。
ステリア領での出来事然り、ローファスがライトレス領に汽車を導入したがっている事然り。
まさか魔物により情報収集している事を看破される等、レイモンドは夢にも思わなかった事だが。
しかしローファスに看破されたからこそ、炭鉱と言うローファスが欲する手札を効果的に切る事が出来た。
そして現在、物語にて王国を滅亡寸前にまで追い詰めた五人の内三人が、客間にて一つのテーブルを囲っていた。
レイモンドは目の前に置かれたドス黒いコーヒーを、手も付けずに困り顔で見ている。
「ローファス…ミルクと蜂蜜は無いかな? 苦いのは少し苦手で…」
「なんだレイモンド、自分は王国最強だなどと謳っていた奴が、コーヒーも飲めないのか? はっ、これは傑作だ!」
ローファスがレイモンドを指差して声高らかに笑った。
対するレイモンドは笑みを崩していないが、その額には青筋が立っている。
「ローファス、誰もがブラックコーヒーを好む訳では無いよ。寧ろ少数派ではないかな? 何せ苦いだけだしね」
「風味や香りも分からんのか馬鹿舌め。少数派だと? ヴァルムを見ろ、何も言わずに飲んでいるでは無いか。子供舌の少数派は貴様の方だレイモンド」
ニヤニヤと笑うローファスに、顔をヒクつかせながらも努めて笑うレイモンド。
ヴァルムはその場にミルクと砂糖が無かったから仕方無くそのまま飲んでいただけであり、どちらかと言えばミルクと蜂蜜たっぷりの甘ったるいコーヒーが好きだ。
しかしそれを今この場で口にしようものなら、またもローファスとのガチバトルが勃発するような予感がした為、ヴァルムは黙々とコーヒーを啜る。
「ユスリカ、ミルクと蜂蜜を持って来てやれ。ああ、量は多めで頼むぞ。何せ相手はお子様だからな」
「ぎ、御意」
ローファスの言葉により、ユスリカはミルクと蜂蜜を取りに厨房へ向かった。
レイモンドは額に青筋を立てつつも、どうにか笑顔を貼り付ける。
「…どうしたんだいローファス。急に訪問したのは悪かったと思っているが、それにしても随分と突っかかるじゃないか。何か悩み事があるなら聞くけど?」
「聞いてくれるかレイモンド、俺の抱える悩みを。実は知り合いにコーヒーも碌に飲めない子供舌の癖に、自分は最強だとか世界征服をするとか痛々しい事を口走る奴がいるのだ。聞いていて恥ずかしくてな。どうにかしてくれないか」
オーバーに頭を抱えたりと芝居掛かった仕草をして見せるローファス。
レイモンドの中の何かが切れた。
「どちらが上かはっきりさせるのが望みか? 私としては、君が望むなら吝かではないが」
「はっ、対等な関係を築きたいのでは無かったのか? 結局は力ずくか。器の小さい男だ」
「一度力の差をはっきりさせておくのも悪くはないと思ってね」
「力の差だと? まさか貴様、俺より強いつもりでいるのか?」
「強いよ。試してみるかい?」
「上等だ。表へ出ろ」
両者共に立ち上がり、殺気立つローファスとレイモンド。
ミルクと蜂蜜をトレイに乗せて戻って来たユスリカは、そんな一触即発の雰囲気にギョッと顔を引き攣らせる。
ヴァルムは、立ち尽くすユスリカの持つトレイよりちゃっかりミルクと蜂蜜を拝借して一人甘ったるいコーヒーを作り、ズズッと啜る。
そしてヴァルムは、呆れ顔でローファスとレイモンドを見た。
「お前達、コーヒー如きで何を熱くなっている。メイドさんが困っているだろう」
口を挟み、レイモンドとローファスにジロリと視線を向けられるヴァルム。
普通なら卒倒してしまいそうな威圧を受けるも、ヴァルムは涼しい顔でミルクコーヒーを啜る。
「ヴァルム、貴様まで何をガキの様な飲み方をしている」
返答を誤れば即座に魔法が飛んできそうなローファスの雰囲気に、しかし慣れたものでヴァルムは動じない。
「極寒の地であるステリア領に蜂は居ない。お陰様で、蜂蜜は中々市場に出回らない貴重品でな。目の前に出されれば味わいたいと思うのは当然だろう。気に食わないのは分かるが、あまり食って掛かるなローファス。それこそ狭量と見做されるぞ」
「ぐ…」
「お前もだレイモンド。ここには交渉に来たのだろう。売り言葉に買い言葉で戦闘を始めようとするなど、何を考えているのだ」
「む…」
ヴァルムにどが付く程の正論で諭され、ぐうの音も出ない二人はそのまま渋々席に着いた。
ユスリカがそれに感動したように拍手し、ローファスに睨まれて直ぐに止める。
「炭鉱や汽車の話をするのだろう。落ち着いて話が出来ぬのであれば、俺は帰らせてもらうぞ、レイモンド」
「む…それは困るな。熱くなって済まなかった、ローファス」
ヴァルムの言葉に、素直に頭を下げて謝罪の言葉を口にするレイモンド。
それにローファスは、拗ねたように顔を背けた。
「…ふん、こちらも少々大人気なかった事は認めよう。今回に限り、ヴァルムに免じて話くらいは聞いてやる」
椅子に腰掛けたまま踏ん反り返るローファス。
レイモンドはなんでそんな偉そうなんだ、と言う目で見つつ、肩を竦める。
「では、先ずは我が領の炭鉱で取れる石炭について話そうか」
レイモンドは気を取り直した様に話し始めた。




