44# 治療
ライトレス家、別邸。
ローファスの住居たる屋敷の上空にて、紅の飛空艇イフリートが停泊していた。
その船内の一室、ローファスはソファに腰掛け、リルカが淹れたコーヒーを飲んでいた。
今回ローファスが通されている所は、以前よりもよりプライベート色の強い部屋だ。
壁一面に並んだ酒瓶を背景にカウンター、各所に並べられた机や椅子。
このバーラウンジは、《緋の風》の面々が普段から食堂として利用している場所だ。
因みに、壁に並べられた大量の酒はホークのコレクションである。
ここに通された事から、《緋の風》の面々のローファスに対する信頼度の高さが窺える。
バーラウンジには、ローファスの他にも《緋の風》の面々が顔を揃えており、各々が好む席に自由に座っている。
その中には、イズの姿もあった。
多少の魔素を抜かれた影響か、以前よりも顔色が良い。
そして、ローファスと《緋の風》の他にもう一人、休暇と言う名の謹慎を明けた老執事の姿があった。
老執事カルロスは、務めて平静を装いつつも、その視線は借りてきた猫の如くキョロキョロと周囲を見回している。
そんなカルロスを、ローファスは呆れた目で見ていた。
「少し落ち着けカルロス。都上がりの田舎者か貴様は」
「も、申し訳ありません…しかし、まさか飛空艇に乗る日が来ようとは…」
驚いた様な、感動した様な面持ちのカルロスに、ローファスは溜息を吐く。
そんなカルロスに、ケイが馴れ馴れしく近付いた。
「なんだ爺さん、飛空艇は初めてか? ってな。空飛ぶ船なんてそうそいないもんなぁ」
「…ローファスさんの連れ合いなら、いつでも歓迎だ」
「これはこれはご丁寧に」
カルロスの背を、笑いながらバシバシと叩くケイに、分厚い胸板を叩いて筋肉をアピールするダン。
そしてそれに、にこやかに返すカルロス。
そんな光景を他の面々が呆れた様に眺める中、シギルとホークは冷や冷やした様子で見ていた。
一見して物腰柔らかな好好爺と言った印象を受けるカルロスだが、その意識はバーラウンジ内に居る全員に向けられており、その手は常に腰に下げる剣の柄の近くにある。
極端な話、もしもこの中の誰かがローファスに危害を加えようものなら、その愚かな誰かは即座にカルロスにより切り捨てられるだろう。
無論、そんな暴挙に出る者が《緋の風》にいる筈も無いのだが。
隙だらけに見えて、一分の隙も無い。
紛う事なき手練。
それが、カルロスの物腰を観察したシギルとホークの感想。
執事と言う話だが、これは護衛も兼任しているのだろう。
二人はそう当たりを付ける。
そんな思惑が巡る中、飲み物を配り終えたリルカがローファスの横にちょこんと腰掛けた。
そして密着する様にローファスの肩に頭を預ける。
「コーヒーの味はどう、ロー君?」
「…普通」
甘える様に問うリルカに、この上無く塩対応なローファス。
しかし密着するリルカを振り払わない事から、ある程度気を許している事が窺える。
カルロスは「おや」と言う顔でそんな二人の様子を注視していた。
そして、その二人の様子を見守る様に眺める視線がもう一つ。
二人が座るソファの横の一人椅子に座り頬杖を突くイズだ。
「なんだい、見ない間に随分と距離が縮んだんだねぇ。もしかしてもう恋人にでもなったかい?」
「まあね!」
「…マジかい」
元気良く即答するリルカに、顔を引き攣らせるイズ。
冗談のつもりで聞いた所、返ってきた返事はまさかの肯定。
ローファスは我関せずと言った様子で無言を貫いているが、否定自体していない。
そんなやり取りを見たカルロスは、当然動揺する。
「ぼ、坊ちゃん…そうなのですか…?」
「…カルロス、貴様は黙っていろ」
気怠げに答えるローファスに、カルロスは固まる。
この反応、これはどっちだ?
答えるのが面倒で言葉を濁しているだけなのか、それとも本当に…。
ローファスの本音が見えず、カルロスは困惑する。
貴族になると奮闘するフォルの姿が脳裏にちらつき、もやもやとするカルロス。
カルロスが休んでいた一週間の間にあったステリアでの騒動は大まかには聞き及んでいる。
しかし、事細かな情報は無い。
例えば、ローファスにまるで恋人の様に寄り添う少女——リルカとの間に何があったのか、等だ。
一体何があったのか、と一人冷や汗を流すカルロスを置いて、話は進む。
「そういや、礼がまだだったね。この病、癒やしてくれたのはアンタなんだってね。お陰で随分と調子が良いよ」
「…正確には俺では無い。それと、リルカには伝えたが、完治した訳でも無いぞ」
本当に体調が良いのか、手をぐるぐると回してみせるイズ。
ローファスはそれに、呆れた様に答える。
厳密にはローファスが癒した訳では無いのだが、ユンネルの姿を認識していなかったリルカから見ればローファスがやった様に見えて当然の事。
リルカは先程までの甘えていた時とは打って変わり、真面目な顔でローファスを見つめる。
「私達を呼んだのは、イズ姉の治療に関わる話をしてくれる為なんだよね」
リルカの言葉に、《緋の風》の面々の視線がローファスに注がれる。
さっさと本題に入ろうと言外に言うリルカに、ローファスは溜息を吐きつつ口を開いた。
*
イズが患った非常に珍しい風土病。
特殊な魔素が身体に蓄積し、苦痛に苛まれる病。
この病を癒すには、身体に蓄積した魔素を抜くしかない。
だが、人の身から魔素を抜く術は、現在の医学には存在しなかった。
故にこの名も無い風土病は、辺境にて不治の病とされていた。
しかしその治療法を、ローファスは思わぬ形で知る事になる。
それはゴーストだったユンネルにより、お礼と称して齎されたもの。
ゴースト系の魔物だけが扱う魔力吸収。
生者から魔力を吸収するこのスキルならば、イズの魔素を抜く事が出来る。
魔力と魔素は、基本的には同質。
事実として、ユンネルによる魔力吸収により、イズの症状は改善された。
その旨の説明を、ローファスは《緋の風》の面々に語って聞かせる。
ユンネルの詳細は省きつつ。
説明を聞いた《緋の風》の面々は、治療法の目処が立った事に表情を明るくする。
「イズの病、治るんだね…」
「やったじゃねえか、イズ!」
「…良かった」
エルマ、ケイ、ダンが安堵した様にイズに詰め寄る。
「ゴースト系の魔物、か…」
ホークが思案げに呟く。
「ローファスさん! 本当に、本当に感謝する! なんて礼を言えば良いか…」
そしてシギルは、ローファスに向けて土下座する勢いで頭を下げた。
ローファスはそれを鬱陶しそうに手をひらつかせて流し、そしてその目をイズに向ける。
「治療法は分かった。後は実行する為の準備だ」
「そりゃ有難いけど、準備ってどうするのさ。ゴーストにお願いでもするのかい?」
首を傾げるイズ。
リルカはふと、風神のある言葉を思い出していた。
イズの病の治療が出来る可能性があるのは、ローファスだけだと。
「…ローファス君にしか出来ない事…ゴースト系の、魔物…? それって、影の…!」
リルカが何かに気付いた様に顔を上げ、ローファスを見た。
ローファスには、暗黒により魔物を使い魔にする術がある。
ローファスは口角を上げる。
「カルロス、この近辺にゴースト系の魔物が現れる場所はあるか?」
「本領周辺となると、定期的に騎士が魔物の駆除をしています。ゴーストと言えば墓地や霊園ですが、それも夜間に極稀に現れる程度かと。少し離れますが、確かライトレス領内にもゴースト系の魔物が現れるダンジョンがあった筈です」
淡々と答えるカルロスに、ホークが感心する。
「南にある幽鬼洞か。よく知ってるな、あそこは不人気であんまり有名じゃない筈だが」
「あーあそこか。ちょい前に潜ったな…こっからだと、飛ばして10分って所か」
ホークの言葉に、シギルが思い出した様に言う。
「決まりだな。直ぐに向かうぞ」
「おう、任せとけ!」
ローファスの言葉に、シギルが操縦室に走った。
ホークも慌ててそれについて行く。
「10分…この船にそんな速度が…」
驚いた様子のカルロス。
そして他の面々も、もう直ぐイズの病が治るのだと喜び、沸いていた。
それら尻目に、ローファスは無言でコーヒーを啜る。
リルカには、そんなローファスが何処か憂いている様に見えた。
「…心配事?」
小声で問うリルカ。
ローファスは目を伏せる。
「…さてな。そう上手く行くと良いが」
「?」
リルカの疑問を、ローファスはただ濁した。
*
幽鬼洞。
ライトレス領の南にある小規模の洞窟型のダンジョンだ。
難度としてはそう高くは無いが、現れる魔物はゴースト系がメインと言う事もあり、殆ど人は寄り付かない。
ゴースト系の魔物に物理攻撃は意味をなさない為、魔法か魔力の宿る武器が必要になる。
その上、倒しても他の魔物の様に死体が残らず、時折魔石や特定のアイテムをドロップする程度。
つまり対策や準備が必要な割に倒してもそこまで金にならない為、旨味の少ない魔物だ。
そんなゴースト系がメインとして現れる幽鬼洞は、トレジャーハンターや探索者界隈において人気の無いダンジョンと言える。
洞窟の入り口。
魔法武器を人数分揃えた《緋の風》の面々が、待機していた。
イズの治療が懸かっている事もあり、やる気十分に戦闘準備をした《緋の風》の面々だが、今は何とも言えない顔で立ち尽くしていた。
曰く、そこで待っていろ、邪魔だ。
そう言い放ったのは当然、ローファスだ。
イズの治療の為にばりばり戦うつもりが、一転手持ち無沙汰だ。
《緋の風》の面々がやるせない顔で立ち惚けるのも無理のない事だろう。
「なぁ、俺等ってそんなに足手纏い?」
「…ローファスさんからしたら、そうかも知れない」
槍を肩に掛けたケイが気怠げに言い、ダンが神妙な顔で答える。
「ま、俺等三人、前回良い所無しだったからな。大の大人が情けねえ」
丸縁グラサンをくいっと上げ、ホークが言う。
剣聖エリックに血染帽と、続け様の格上との遭遇。
そしてそのどちらも、三人掛かりでありながら手も足も出ずに敗北した。
相手が悪かったのは事実だが、あの時メインで戦っていたのはローファス、ヴァルム、リルカと弱冠12歳の子供三人だ。
結果的に大人三人が足を引っ張っていたのだから、何とも情けない話である。
「その上、シギルときたら…」
ホークの口から、うんざりした様な声が漏れる。
《緋の風》のリーダーは、あろう事か地下牢に囚われの身であった。
ふと、三人の目がシギルに注がれる。
シギルは気不味げに目を逸らした。
「う…ありゃ悪かったよ。俺は一人で突っ走ってとっ捕まった馬鹿野郎さ」
「全くだ」
「…反省しろ」
「マジで二度と一人で行くんじゃねぇぞ」
ケイ、ダン、ホークに言われ、シギルは小さくなる。
そんなやり取りをしている男四人を尻目に、リルカは仏頂面で地面を蹴っていた。
「…なんだよもう。私くらいは連れて行ってくれても良いじゃん」
ローファスに置いていかれ、何処か不貞腐れた様に呟くリルカ。
そんなリルカの横に、エルマが近付く。
「随分と荒れてんじゃん。もしかしてもう破局の危機?」
「そんな訳ないじゃん。ラブラブだし」
茶化した様に言うエルマに、リルカはぷいっと顔を背ける。
「…イズ姉についてなくて大丈夫?」
「調子が良いんだってさ。私も本当はついてるつもりだったけど、病人扱いするなって蹴り出されちゃった」
「いや、イズ姉病人じゃん」
「本当それ」
吹き出し、笑い合うリルカとエルマ。
一頻り笑った後、エルマは小声で尋ねる。
「で、本当の所どうなの、ローファスさんと。恋仲ってのは嘘なんでしょ?」
「…あー、そう見える?」
「見えるね。言っとくけどイズも訝しんでるよ。男共は騙されてるみたいだけど」
男四人に呆れ混じりの視線を向けるエルマ。
リルカは溜息を吐く。
「やっぱ、二人は騙せないかー」
リルカは諦めた様に両手を上げ、降参のポーズを取る。
「当然でしょ。こちとら、アンタが生まれた頃から一緒にいるんだから…それで事情は、やっぱ話せない?」
エルマの問いに、リルカは肩を竦めて見せる。
「…ごめんね」
「そ。ま、脅されてるって感じでも無いし、良いんじゃない?」
あっけらかんと言うエルマに、てっきりもっと追求されると思っていたリルカは肩透かしを食らった気分になる。
「え、止めないの?」
「止める? なんでよ。別にリルカが楽しそうならそれで良いじゃん」
「え、えええ?」
リルカの困惑の声に構わず、エルマは背を向ける。
「戦う準備も必要無くなったね。待機するしかないなら私は戻るよ。イズの体調も気になるしねー」
エルマは背を向けたまま手をひらつかせ、イフリートの《転送》により姿を消した。
一人になったリルカは、ぼんやりと空を眺める。
「楽しそう…私が?」
リルカの疑問が、呟きとなって漏れた。
リルカはてっきり、今回も止められると思っていた。
前回、巻き戻される前の世界では、アベル・カロットを好きになったと言った時、エルマに断固として止められた。
それ故に、今回も前回と同様に止められる…そう思っていたが、結果はご覧の通り。
楽しそうならそれで良いと、止める所か寧ろ肯定的な反応だった。
「そんなにアベルといる時の私、楽しくなさそうだったかな…」
であれば、アベルにも悪い事をしたなと、リルカは苦笑する。
前回、リルカはひょんな事から共闘したアベルに好意を寄せ、そのままアベルのパーティに飛び入る形で入った。
それは謂わば、そう言う設定。
当時、王国内で猛威を振るっていた四魔獣の一角、海魔ストラーフの討伐に貢献していたアベルは、かなり有名になっていた。
そんなアベルとの共闘をした《緋の風》も、当然周囲の注目を浴びる事となった。
その注目は、決して良い事ばかりでは無い。
王国や各国の権力者に、飛空艇の有用性を知らしめる形となってしまった。
世界で唯一の飛空艇、その有用性は計り知れず、誰もが喉から手が伸びる程欲しがった。
事実アベルとの共闘以降、王国内の権力者や貴族から、数多くの接触があった。
それは甘い誘いから、脅迫じみたものまで様々。
《緋の風》は所詮、空賊を名乗る無法者だ。
当然、後ろ盾も無い。
世界中から狙われ続ければ、その刃がいつか《緋の風》に届く日が来るかも知れない。
それを憂いたリルカは、アベルに取り入る事を決意した。
アベルの、正確にはアベルのパーティにいる王女の、王家の庇護下に入る為に。
アベルと深い中になれば、必然的に《緋の風》は王家公認の一団となる。
王家の庇護を得られる。
故にリルカは、アベルに尽くした。
積極的に好意を示し、他の女メンバーとも仲良くし、戦闘においては風魔法と斥候により、そこまで目立ちはしないものの、燻銀の活躍を見せた。
必要に応じて《緋の風》の面々に協力を頼み、時には飛空艇でアベル達を望む所に運んだりもした。
結果的にリルカの目論見通り、《緋の風》は王家公認となり、貴族や権力者は手を出せなくなった。
リルカがアベルに近付いたのは、恋愛感情も何も無い打算。
その好意の全てが嘘、全てが演技。
きっとエルマは、それに気付いていた。
それ故に、リルカがアベルについて行くのを断固として止めていたのだろう。
「今思えば…アベルの奴も薄々気付いてたのかなー」
アベルはリルカを、まるで妹扱いするかの様だった。
どれだけ好意を示し、スキンシップを図ろうとも、リルカに手を出そうとはしなかった。
リルカは、今更自分がやった事が間違いだとは思わない。
思わないが、もしかしたら、そんな嘘で塗り固めずとも、アベル達と普通の仲間として行動を共にする、そんな道があったのかも知れない。
それを想い、リルカは切なげに息を吐く。
そしてリルカは、おや、と首を傾げた。
今回、エルマはリルカを止めなかった。
それはリルカが、楽しそうであったから。
つまりそれは、ローファスと共にいる時、リルカは楽しんでいると言う事。
「楽しそう、か。まさか私、本当にローファス君の事…」
ふとリルカは、ギラン邸から飛び降りた時の事を思い出す。
あれはローファスならば助けようと共に飛び降りてくれるだろうと、二人きりになる為にした事。
ローファスはリルカの思惑通り、追ってくる形で飛び降りた。
空中でローファスに抱き付き、その時、包み込まれる様に優しく抱き寄せられた事が、思いの外印象的でリルカの記憶に残っている。
普段の荒々しい言動とは対照的な、咄嗟に出た優しさ。
リルカは静かに首を振る。
そんな些細な事に心を奪われるなんて、それこそまさかだ。
いくら何でもチョロ過ぎる。
考え過ぎ、考え過ぎ。
リルカはそう自分に言い聞かせていた。




