191# 千人長
《千人長》マーズ。
聖竜国軍の長であり、全ての兵——剣闘士の頂点。
…と、肩書だけは大したものであるが、物語のストーリーに深く関わった者ではない為、ローファスの記憶には名前くらいしか残っていない。
寧ろ存在自体、言われるまで忘れていた程である。
それもその筈。
物語においてマーズは、《邪竜》が復活した折に手勢を率いて挑み、そして戦死した。
特に活躍もなく速攻で退場した為、マーズがどんな人間なのかすらローファスは知らない。
とはいえ役職も役職。
物語ではトップが死亡した事で聖竜国軍が組織として機能不全を起こし、混乱の最中で姫巫女であるタチアナが臨時で指揮を取り、アベル勢力と協力して《邪竜》を押さえるという事態となっていた。
マーズは力を至高とする聖竜国の軍のトップ。
《邪竜》相手になす術もなくやられたからといって、それで弱いという訳ではない。
《邪竜》はローファスですら殺すのが困難なボレアスをも一呑みにした存在。
それが相手では、強さの尺度としては測れない。
果たしてマーズとはどんな奴なのかと、ローファスは興味深そうに扉が開かれるのを待った。
*
バンっと勢い良く開かれる扉。
入って来たのは甲冑で身を包む長身の男。
肌の露出が多い剣闘士とは異なる風貌だが、これが聖竜国軍の正規の兵装である。
トサカから伸びる真紅の羽毛が特徴的な兜を外し、精悍な顔を晒した《千人長》マーズは、タチアナに向き直ると背筋を伸ばして左手を心臓に、そして右手を真っ直ぐに天に掲げた。
これは聖竜国での最上級の敬礼。
目上の者に対して、或いは誓いの言葉を口にする時に用いる礼儀作法。
「こちらにおいででしたか姫巫女様! 予選の観覧であれば護衛をつけましたものを!」
ハキハキと、それでいて貴賓席全体に響くほどの大声。
タチアナは軽く耳を塞ぎつつ、半目でマーズを見る。
「…う、うむ。今日はお忍びでな。我が側近共から応援でも頼まれたか?」
「然り! 従士殿方より姫巫女様が行方をくらませたと要請を受け、馳せ参じました! 本日も変わらずお美しく! 我と結婚していただきたい!」
「あー…毎回言うておるが、妾とお主では歳が離れ過ぎておる。故に断る。すまんの」
「今日もフラれてしまいましたか! はっはっは!」
タチアナが引き気味に突然のプロポーズを断り、対するマーズは特に気にした様子もなく力強く笑う。
これは二人のいつものやり取り。
マーズがタチアナに挨拶がてらプロポーズをするのは、初めて出会った時——タチアナが当時十歳の頃からの事。
因みにマーズの歳は四十を超えており、妻と子、なんなら孫までいる。
二十も歳が離れたタチアナに対して毎度婚姻を迫る家庭持ちの中年男マーズ。
当然、周囲は冗談と認識しているものの、感覚の鋭いタチアナには分かる。
マーズは冗談混じりに言っているものの、半分位は本気である。
それ故にタチアナは、マーズより距離を置いている。
挨拶もそこそこにマーズは、「ところで、お隣の御仁は…」とタチアナの横の席に座る長身の男——黒衣に山羊の頭骨を被った異様な風貌の剣闘士に目を向ける。
その特徴的な出立に、やや警戒の視線から一転、マーズはカッと目を見開くとズカズカと甲冑を鳴らしながらタナトスの目の前に立った。
「やや!? その姿は間違いない! 貴殿は乱暴者ボレアスを屠った今話題の新人剣闘士殿では!?」
「うるさい…あと、別に殺せてはいない」
唾を飛ばす勢いで顔を近寄せて大声を出すマーズに、タナトスは身を仰け反らせて迷惑そうにする。
失礼! とマーズは半歩下がりつつも、それでも距離は幾分か近い。
「会えて光栄だ! うん? しかし何故お忍びの姫巫女様と一緒に? まさか姫巫女様! 遂に相手を見つけたと言うのですか! 我という者が居ながら!? お答えください我が姫巫女様!?」
「煩いぞマーズ! お主少しは己が声の大きさを自覚せい!」
「むむ…これは失礼を!」
観客席まで響くじゃろうがと叱責するタチアナに、マーズは腰を九十度に曲げて頭を下げた。
タチアナは溜息混じりにマーズを見下ろす。
「…主の察しの通り、今妾は此奴を口説いておる最中じゃ。分かったら席を外せ」
「成る程! タナトス殿! 我が末娘など如何だろうか!? まだ十代でピチピチ! それでいて強者が好きな肉食系! きっと貴殿と合うと思う!」
「横から掻っ攫おうとするな! 今妾が口説いておると言うておろうが!」
突然娘を勧め始めたマーズの頭を、タチアナがスパーンと引っ叩いた。
竜の血特有の怪力は、大男であるマーズを力任せに地面にめり込ませた。
それをドン引きしたように見下ろすタナトス。
常人が受ければ決死の一撃であるが、マーズは何事もなく起き上がりパラパラと頭から瓦礫を払った。
「失敬! まさかの横恋慕な展開に我を失っておりました!」
「もう良いから消えろ! 命令じゃ!」
「|畏まりました我が姫巫女様!」
扉を指さして怒鳴るタチアナに、マーズはビシッと敬礼して走って出て行った。
場はまるで、嵐の後の静けさのよう。
開け放たれたままの扉をエイダがそっと閉め、かちゃりと鍵を掛けた。
「すまんな。邪魔が入った」
「…なんなんだ、あの無駄に声がデカい男は」
疲れたように謝罪するタチアナに、山羊の頭骨を取って暗黒の衣を剥いだローファスは心底億劫そうに固く閉ざされた扉を見る。
「… 《千人長》マーズ。聖竜国の軍を率いる長じゃ。今でこそ引退して軍務に就いておるが、昔は最強の剣闘士として闘技場に君臨しておったと聞く。実力も確かで悪い人間ではないが…まあ見ての通り、あんな感じの奴じゃ」
「悪い人間ではない、ね」
訝しげ気に目を細めるローファスに、タチアナは肩を竦める。
「まあ確かに、娘に無断で嫁として勧めて来たのは褒められた事ではないがな。ともあれ、別に珍しい事でもない。親の勧めでの見合い婚は聖竜国ではよくある事じゃ——というか、それは王国こそ盛んなイメージであるが?」
首を傾げるタチアナ。
貴族同士の、本人の意思を無視した政略婚など王国ではありふれた事。
ローファスはそうかもなと肩を竦めつつ、席を立つ。
「…? おい何処へ行く。折角邪魔者が消えたというに…」
「貴様が見つかった報告はどうせ側近連中に行くだろう。感情ばかりが先行して会話もままならん獣の相手をするのは御免だ」
今日はここまでだと立ち去ろうとするローファスを、タチアナは引き止める。
「待て。話はまだ終わっておらん」
肩に伸ばしたタチアナの手を、ローファスが掴み取る。
「このまま貴様の話に付き合っていては姦しい女共が来るだろう。話の続きは後日にしろ」
「後日というが、お主は妾の誘いを断ってばかりではないか」
「もう断らん。俺も貴様には聞きたい事があるからな。その代わり、あの側近の女共は外させろ。奴らが居てはゆっくり話もできん」
「ほう…つまり次は妾の誘いに応じるという事だな? 嘘偽りは許さんぞ」
「場を整えたらエイダに文を出せ。次は行ってやる」
じっとローファスの目を見たタチアナは、満足そうに頷く。
「…ふむ、なれば良かろう。ではなローファス、また近いうちに」
「先に断っておくが、何を言われようと、俺は姫巫女の後継問題に巻き込まれる気はないからな。そのつもりでいろ」
「良い良い。今はそれで構わん」
コロコロと笑うタチアナに背を向け、ローファスは貴賓席の部屋を後にした。
エイダも一礼し、ローファスを追いかけた。
一人になった貴賓席で、タチアナはワインを片手に試合の観戦に戻る。
弱者同士の試合という訳でもなく、退屈という訳でもないが、なんとも物足りない。
ふと空席となった隣を見て、溜息を一つ。
貴賓室に側近らが雪崩れ込んでくるのは、もう少ししての事であった。
*
帝国——国境付近のスラム街。
早朝、闇市場の古びたビル二階——非合法業務斡旋フロア。
様々な依頼書が貼られた掲示板の前で、一組の男女——レイモンドとアマネが並んで立っていた。
アマネが一枚の依頼書を剥がしてまじまじと見る。
「むむ…また《はぐれ機獣》だって。今回も熊型」
「《熊の機獣》か。傷持ちの君を思い出すね」
「あー、あったね。片目に傷があるやばい奴。幸い今回はまだ人的被害は出てなくて目撃情報だけっぽいけど…早く対処しないとヤバそう」
「目撃されたのは…一昨日か。急いだ方が良さそうだ」
二人で頷き、依頼書を片手に受付に向かう。
そんな二人に、焦った様子で階段を上がってきたスキンヘッドの厳つい男——シセンが静止の声を上げた。
「待て待て待て!」
「あれ、シセン。どうかした?」
「どうかした、じゃねーよ!」
きょとんと小首を傾げるアマネに、シセンは手帳を片手にレイモンドを睨む。
「おい優男! まさかテメエ、これからどっか行こうとかしてねぇよな!?」
「いや…まあ、依頼で出ていた《熊の機獣》の調査に行くつもりではあるが。欲を言うなら討伐までしてしまいたい。駄目かい?」
「駄目に決まってんだろ! テメエ予定あんだろうが!」
シセンは手帳を開き、ページに隙間無くびっしりと書かれた予定をレイモンドに見せつける。
「今日は午後から政府の背広共がテメエに会いにくんだよ! 昨日言ったろ! 言ったよな!? 言ったんだよ絶対! 三回は言った!」
「はは、勿論覚えているさ。それにねシセン、三度は流石に言い過ぎだよ。一度言えば分かる」
「分かってんならなんでどっか行こうとしてんだあああ!?」
ブチ切れるシセンに、レイモンドは微笑む。
「大丈夫、午後には戻るよ。なんなら昼前には」
「テメエこの前そう言って出て行って全然戻って来なかったじゃねぇか!」
「ああ、あの時は《大鹿の機獣》の討伐をしていたら《毒蛇の機獣》も現れてね…被害を抑える為に対処に時間が掛かったんだ。それに遅れたと言ってもたったの一時間だろう?」
「一時間もだ! テメエが来ない間誰が背広共の話し相手になって時間繋いでると思ってんだ舐めんなよゴラア!?」
「落ち着きなよシセン。顔が真っ赤だ。役人なんて別に大した話をしに来ている訳でもないんだから放置で良いんだよ。それよりも《はぐれ機獣》の討伐の方が緊急性は高いだろう。人命が掛かっているんだ」
「放置なんかできる訳ねぇだろうが! 政府に目ぇ付けられたら闇市場なんて速攻で消されんだぞ! 兎に角、今日という今日は行かせねぇ! テメエにはスケジュールを遵守させてや——って、なんでこの俺が優男のマネージャー紛いな事やらされてんだぁ!?」
顔を真っ赤にして手帳を叩きつけるシセン。
レイモンドがこのスラム街に戻って来てからそろそろ五ヶ月。
どういう訳か、彼と彼の知人の身の回りの世話や補助をするように上から指令が下された。
それ以来シセンは、レイモンドに振り回されっぱなしである。
と、掲示板でそんな賑やかなやりとりをしていると、別のグループが階段を上がってきた。
なんともスラム街には場違いな学生服を着た少女とテンガロンハットを目深に被った帝国軍人、そしてそれに追従する幾人もの黒服の軍人達という異色の集団。
「ま、まま、マゴロクさん! 勝手に入っていいのここ!?」
「あーいいのいいの。俺、休日とかたまに来るし。常連だから」
「常連…!? このヤクザ屋さんっぽいビルの!?」
そんな場違いなやりとりをしながら少女を連れ、テンガロンハットの軍人——マゴロクは、レイモンド達の横に並ぶように掲示板の前に立つ。
マゴロクを見たシセンはギョッと顔を顰める。
「マゴ!? テメエ、なんで軍人なんか連れて…てかその娘は…!?」
「おうシセン、ご無沙汰。今日はあれだ、上流階級しか知らねえ世間知らずのガキに社会勉強ってやつをな。どれ適当な依頼でも…お、良いのあんじゃん」
マゴロクはレイモンドが持つ依頼書を鮮やかな手つきでするりと掠め取った。
「…! ちょっと待て、それは私達が先に——」
「へ、気ぃ抜き過ぎだぜボンボン。覚えときな、盗られた方が悪いってのがスラムの掟だ」
ヒラヒラと見せびらかすようにしながら、マゴロクは依頼書を受付に持っていく。
そして「ご、ごめんなさいっ」と頭を下げてマゴロクについて行く少女。
レイモンドはふと、何かに気づいたようにマゴロクの背を見た。
「君、何処かで会ったかい?」
「…さぁてな、俺ぁ男の顔は覚えねぇ主義でな。だが、一言言わせてもらうなら…今日の議題は割と重要そうだぜ? 例の“三国同盟”の件だとよ。今回だけは会談には遅れねぇようにしな、“魔法の国の貴公子”さんよ」
振り返りもせず、手をひらつかせて帝国ネットでのレイモンドのニックネームを呼ぶマゴロク。
そんな背を見送りながら、レイモンドは肩を竦めてアマネを見た。
「ふむ…アマネ、今日はゆっくりするとしようか。《はぐれ機獣》も、軍が動くなら問題ないだろう。それに——」
恐らくあの男は、かつて自分の頭を撃ち抜いて見せた程の腕を持つ実力者。
それ程の軍人が動くならば《はぐれ機獣》程度であればどうとでもなるだろう。
聖竜国での動乱が差し迫る中、レイモンドは今暫し、アマネと共にスラムで過ごす。
*
聖竜国、闘技場の外の市場。
今日が剣闘大会の予選という事もあり、街には無数の屋台が立ち並び賑わいを見せている。
そんな中、ローファスとエイダは屋台を回りながら、帰りの馬車へと向かっていた。
ローファスの腕に手を絡ませ、身体を密着させながらエイダは屋台を指差す。
「ローファス様、あの竜串などは如何でしょう。うちの商会が出しているものなのですが、切り身一つ一つが肉厚で甘辛い秘伝のタレで焼いている自慢の一品です」
「…肉は好かん。煮魚はないのか」
「煮魚は…流石にありませんね。焼き菓子ならございますよ」
「甘くないのが良いな」
「あー…ちょっと、無いかも知れませんね」
「コーヒーは…」
「屋台ですからね、当然ございません」
「…帰るか」
「そうしましょう」
偏食故に好みのものがない為、ローファスは若干テンションを落としつつ早々に屋台を後にし、エイダも苦笑しながらそれに付き添う。
コーヒーなら馬車でお入れいたしますね、とフォローを入れながら。
そんな帰路の道中、ふとローファスは懐からタブレットを取り出した。
「エイダ。耳を塞げ、何も聞くな」
「…! は、はい」
言われるまま、エイダは己の耳を塞ぐ。
ローファスはタブレットに魔力を通して起動させた。
「…テセウス」
『何かな』
「朗報だ。“敵”を見つけた」
『…へぇ?』
興味深そうなテセウスの声が、喧騒の中に消えた。




