174# 約束
上級ダンジョン《堕天城》を囲む砦。
その待機室で、《爆剣》ホーエンは目を覚ました。
脇腹に強い痛みを覚え顔を顰めつつ、ホーエンは上体を起こす。
そこには、先達のネームドである《真眼》エニシがいた。
「漸く目を覚ましたか」
「エニシ、貴様…不意打ちとは卑怯な真似を…」
先程の強烈な一撃は、紛う事無きエニシの槍のものだった。
ホーエンは苦々しく脇腹を押さえる。
「どういうつもりだ。まさか奴らを通したのか」
「口を慎めホーエン。まだあのお方が誰か分からんか」
「誰かだと? たとえライトレスの縁者であろうと、通して良い理由にはならん。上級ダンジョンだぞ。どれだけ危険だと思っている」
「お主…傲慢な割に、任務に対してはとことん真面目だのう」
やれやれとエニシは肩を竦める。
ホーエンは幼い頃より優れた素質を持ち、日々の弛まぬ鍛錬により抜きん出た実力を身に付けた傑物である。
暗黒騎士となってからは短期間でネームドに抜擢され、より己の力を過信し、天狗気味になっていた。
そんなホーエンの鼻っ柱をへし折ったのが、上級ダンジョンであった。
一体一体が強力ではあるが、堕天騎士程度ならば何体集まろうと返り討ちに出来る。
しかし第一層のフロアボス——大堕天ネフィリムには手も足も出なかった。
見上げる程の巨体、一部の隙も無い重装甲は如何なる剣技も魔法も弾き傷一つ付けられない。
その上ネフィリムは、翼を広げ空中戦まで可能とする。
相性云々以前に、格が違う相手。
万が一ダンジョンブレイクを引き起こし、あのネフィリムがダンジョン外に出て来てきてしまったら——外気の魔素を吸収し、より強力に成熟してしまったら。
ネームドが何人集まっても対処のしようがない。
上級ダンジョンの管理を任されたばかりの頃、先走ってネフィリムと直接戦ったホーエンだからこそ、その危険性を誰よりも理解していた。
ホーエンは脇腹の痛みを堪えながら、武器を手に立ち上がる。
「…何処へ行く」
「救出隊を編成する」
「やめておけ、要らぬ世話だ」
「如何にライトレスの縁者であろうと、女連れでどうにかなる程|《堕天城》は甘くはない! これは通した貴様の責でもあるぞ、エニシ!」
激昂するホーエンに、エニシは静かに首を横に振る。
「…縁者ではない。あのお方は他でもないライトレスの直系」
「なに…」
「顔を知らぬからと許される事ではない。あのお方は、ライトレス家次期当主であらせられる」
「次期当主だと…? まさかあの若ぞ——いや、あのお方は…待て、だったら尚更だ。如何に若様であろうとここは上級ダンジョンだぞ! 足手纏いを連れていては…」
「そこも問題ない。あの若君が連れ歩く程の者ぞ。只者である筈がなかろう」
「何を根拠に…!」
興奮が収まらないホーエンに、エニシは己の刀傷で失われた目を指さす。
「何度も言うておろう、目を鍛えよと。あの娘を見て、お主は何も感じなかったのか」
「また下らん目の話か! ただの年端もいかぬ小娘だったろう!」
いやいやと、エニシは否定する。
「分からぬであろうが、お主は多くの火霊に好かれておる。属性適性が高い証よ。筋も良い。身の丈と世界を深く知れば、今よりも数段強くなろう」
「なんだ突然…俺は十分強い。いらぬ世話だ」
「ふん、そういうところだのう」
エニシはやや呆れつつ言葉を続ける。
「…あの娘もお主と同様——否、それ以上に風霊に好かれておる。あれ程となると、恐らくは風系統の神格に魅入られておるのだろう…刻印は見えなんだが。つまり素質は、お主以上という事よ」
「あの小娘が俺以上だと? 何の冗談だ」
「若様は、近くに置く者を選んでおられる。たとえば…暗黒騎士から引き抜かれ、女中として側に置かれている者を知っておるか?」
「…噂には、な。だがあれは愛玩としてだろう。確かネームドにも至っていなかった半端者だった筈だ」
「そうか知らんか。一時期ネームドの間では話題となっておったのだが…まあお主は新参者だからのう」
「もったいぶるな。その女中が何だというのだ」
「あれは暗黒騎士としての初戦で、かの国落としの蛇竜バジリスクを単独で打倒してみせた傑物ぞ」
「は…?」
ギョッと目を見開くホーエン。
バジリスクはかつて小国を滅ぼした記録のある非常に厄介な上級竜種。
相性次第ではあるが、ネームドでも対策無しでは手も足も出ない程の相手。
バジリスク討伐など、複数人のネームドか、“序列持ち”が動く程の案件。
それを初戦で、それも単身で打ち倒すなどあり得ない。
「馬鹿な…何故それでネームドになっていない」
「なんでも任務に消極的だったらしく、それで出世が遅れていたのだとか。だが、それでもあれは非常に有力なネームド候補であった。若様も優れた目をお持ちだ。兜越しでもその素質を見抜かれ、直近の部下として引き抜いたのだからな」
そんな若様が連れている相手ぞ、とエニシは続ける。
「或いはあの娘、“序列持ち”にも比肩し得るやも…」
「あの小娘が…?」
信じられないとホーエンは眉を顰める。
暗黒騎士の最上位、ネームドの上に君臨する“序列持ち”は、単独で上級ダンジョンを攻略出来る程の怪物の集まり。
正しく、一介のネームドとは格が違う存在。
ホーエンが幾ら手を伸ばそうと届かない高み。
「あり得ない話でもない。かの《天剣》殿も、その実力に反して年若い娘だからのう。まあそれよりも、大変なのはこれからよ。何せ若君は、《堕天城》をリセットすると言われておったからのう」
「は…り、リセットぉ!?」
ホーエンは吹き出した。
*
《堕天城》第三層、王宮。
最上階、王座の間。
その玉座には、この城の主にして堕天達を統べる王が座している。
上級ダンジョン《堕天城》が生まれて以来、この玉座に足を踏み入れた者は両の手で数えられる程度。
その全てを片手間に打ち払った。
まるで天使の如き神々しい純白の翼を六枚背負い、その頭には闇に染まった王冠。
堕天王宮の主、堕天王サタナエル。
上級ダンジョンのコアが生み出した最高傑作にして、常勝無敗の王。
どうして自分がここに居るのかも分からない。
ここに座する前の記憶も無い。
ただ一つ分かっている事——それは、己が最強の存在として生み出されたという事。
しかし、サタナエルは退屈していた。
生まれてこの方、まともに戦った事がない。
精強な堕天の兵達が護るこの堅牢な城を、突破してくる者は稀である。
ごく稀に恐るべき強者が現れる事もあるが、サタナエルが力を振るえばまともに戦わずに逃げ去って行く。
弱者は配下が討ち払う。
強者は己を見るなり逃げて行く。
絶対的な力を持ってして生まれ、しかしそれを思う存分に振るう機会がない。
サタナエルは飢えていた。
そんな時、王座の間の扉が開かれる。
そこに居たのは、一組の男女。
女の方からは大した力は感じない。
問題なのは男の方。
対峙しただけでひしひしと感じる威圧感。
間違いない。
この男は己の前に立つ資格を持つ絶対的強者。
自分と同様に、最強の存在として生まれた者。
自然と、サタナエルの口角が上がる。
『…待っていた』
それは無意識に出た言葉。
そうだ、自分はきっと、この男と戦う為に生まれて来たのだ。
『よくぞ来た、我が城へ。さあ武器を構えろ。我が力、存分に味わわせ——』
直後、サタナエルは頭から真下に斬れ込みが入り、玉座諸共真っ二つに分かれた。
立ち上がる間すら、与えられなかった。
《堕天城》の城主、堕天王サタナエル——堕ちる。
*
「あー! なんで殺しちゃったのー!? 今なんか喋ってたじゃん!」
非難の声を上げるリルカ。
割と強そうな雰囲気を醸し出していたサタナエルは、ローファスが振るった《命を刈り取る農夫の鎌》の一撃を受けて生き絶えた。
「いや、こいつが武器を構えろって…」
「構えるの通り越して振るってるじゃん」
冷静に突っ込むリルカに、ローファスはそれは確かにと頰を掻く。
ん? と、リルカは眉を顰めた。
「え…ていうかロー君、魔物の言葉が分かるの?」
「魔物の言葉というか、古代語だったぞ。随分と訛っていて一部しか聞き取れなかったが」
「古代語…」
リルカは目を丸くする。
「ロー君、古代語分かるの? 古代語の研究って、王国ではあまり進んでないって言ってたのに」
「今更だな。そもそも古代魔法の呪文は古代語だ。意味を理解せねばならんから、学ぶ過程で嫌でも覚える。それにライトレス家のような古い家には、古代語の文献が多く残されているから教材には事欠かん」
「わー! それ《トレジャーギルド》に持ち込んだら一財産築けるよ!」
「…持ち込まんぞ?」
そもそも上級貴族であるローファスは金には困っていない。
ふとローファスは、真っ二つになって絶命したサタナエルを見る。
第一層のネフィリムは兎も角、このサタナエルはそれなりに威圧感があった。
道中で狩った第二層のザラキエルも遠距離攻撃持ちとしては非常に優秀だった事を考えると、案外使えるかも知れない。
まともな戦闘が始まる前に倒してしまったので、どんな力があるのかは不明だが。
「——《喰らえ》」
ローファスの命に応じて影から這い出た暗黒が、もしゃもしゃとサタナエルを頬張るように呑んだ。
ちゃっかり使い魔化しているローファスを尻目に、リルカは城の壁面に描かれた模様を観察し、手帳にメモしていた。
「…一体何を書いている? この城に入ってから度々書いているようだが」
「ん、見る?」
ローファスが覗き込むと、リルカは気前良く手帳を見せる。
手帳には、見慣れない文字がびっしりと書いてあった。
「…何語だこれは」
「さあ? ダンジョンとか遺跡の壁に書かれてる文字のスケッチ。後で《トレジャーギルド》に提供するの。報酬が貰えるんだよ」
「ああ、小遣い稼ぎか。そんなに金に困っているのか?」
「分かってないなー、ロー君は」
リルカはやれやれと肩を竦める。
「そりゃお金も欲しいけど、一番の目的はロマンだよ、ロマン」
「浪漫…」
「そう、ロマン! この文字が解明されたら、もしかしたらダンジョンの秘密とかも分かるかも知れないじゃん? それはロー君も気になるんじゃない?」
「それはそうだ。ダンジョンは成り立ちも誰が生み出したかも、何故存在しているのかも、何一つとして分かっていない。一人の魔法使いとして関心を持つのは当然の事だ」
しかし、とローファスは続ける。
「遺跡ならば分かるが、ダンジョンの壁に描かれている模様に意味があるのか? スケッチしているその文字も、本当に文字なのか? 無意味な模様ではなく?」
「意味の無い模様はないよ。それに…待ってね」
リルカは言いながら、手帳をペラペラと巡って遡り、あるページを出した。
そこには、今正にスケッチされたものと同様の文字が書かれていた。
「…それは、別のダンジョンでスケッチしたものか?」
「違う。これは王国よりずっと東にある公国——その付近の古い遺跡の石版に書かれていたものだよ」
「公国の遺跡だと…? その石版の文字が、なぜライトレスのダンジョンに…」
ちっちっち、とリルカは得意気に人差し指を立て、横に振る。
「ふふーん。正確には、公国の遺跡じゃないんだなーこれが。この遺跡ね、《トレジャーギルド》の調べでは二千年も前のものなんだよ」
「二千年前…という事は、公国とは無関係のものか」
王国の歴史は約千年。
そして公国は、五百年ほど前に王国から独立した、魔の海域の向こう側にある島国。
つまりその遺跡は、王国建国よりも千年以上昔に存在した文明のものであるという事。
「つまり二千年も前の遺跡の石版にあった文字が、このダンジョンにあると?」
ダンジョンの入り口は、異世界に繋がっている——原理云々は兎も角として、それは事実としてそこにある。
解明できない謎が多過ぎて、最早そういうものとして受け入れられているダンジョン。
しかし、その上でもこれは訳が分からない。
ダンジョンとは古代文明が創り出したもので、その名残がダンジョン内に残されているという事だろうか。
では、無尽蔵に生み出される魔物の意味は?
そもそもこの魔物は、何処から来ている?
ふとローファスは、南方でのダンジョンブレイクを思い出す。
そこで生み出された、ゾンビの大群。
ダンジョンブレイクの犠牲となった王国民がゾンビ化して増えたというのもあるが、その大半はダンジョンで生み出されたゾンビだった。
《死蝋殿》は、アンデッド系統のダンジョン。
死体がなければ、アンデッドは生まれない。
ではあのダンジョンで生まれたゾンビは、誰の死体から生み出されたものなのか。
そういうものとして思考停止していた事も、改めて考えると疑問は膨れ上がる。
「ダンジョンとは、一体なんなんだ…?」
「それを解明する糸口が、どういう訳かダンジョンと遺跡で共通して使われているこの文字なんだよ。これの解読が進めば、ダンジョンが何なのか分かるかも知れない」
「その研究をしているのが《トレジャーギルド》…か。解読は何処まで進んでいる? この文字は他でも発見されているのか?」
やや興奮気味に詰め寄るローファスに、リルカは嬉しそうに微笑む。
「ね、面白いでしょ?」
「む…まあ」
「その面白さに気付いたら、もう引き返せない。これでロー君も真理の探求者——立派なトレジャーハンターの一人だね」
「…俺は貴族だ。それを辞める気はない。だが…当主になった暁には《トレジャーギルド》に出資してやろう。ダンジョンの秘密を解明する事は王国、ひいてはライトレス家の利益に繋がる」
硬いなーとリルカは笑いつつ、ローファスの腕にぎゅっと抱きつく。
「それも嬉しいけど…私はまた、こんな感じで一緒に冒険したいなー」
「俺もそれなりに忙しい身なんだが…そうだな。また時間を作りたいな…全てを終わらせて…」
そのローファスの何気ない言葉に、リルカは僅かな違和感を覚える。
ローファスは言葉全てに力があり、自信に満ち溢れている。
しかし今の言葉には、何処か自信が無さそうな印象を受けた。
「全て…? それって《闇の神》を倒したらって事?」
「…まあ、そうだな」
「まあって…他に何かあるの? 私の知らない事?」
「どうしたんだリリィ、ちょっとした言い回しにそこまで食いつくなんて」
優しく笑うローファスだが、リルカは言葉に出来ない不安を覚える。
理由は分からない。
ただこの時のローファスは、少しだけいつもと違う気がした。
「だって…ねえ、また一緒に冒険行けるんだよね? ねえ」
「当たり前だ」
その不安を払拭する様に、ローファスはリルカの頬にそっと触れる——僅かばかりの神力を散らしながら。
「必ず行こう。俺だって、お前とまた冒険に行きたいと思っている。本当だ」
「約束?」
「ああ。約束だ」
「絶対だよ…嘘だったら許さないから」
つま先を立たせてリルカは背を伸ばすと、そっとローファスの頬に唇を付けた。
ローファスもそれを受け入れる様に抱き締める。
堕天王宮、王座の間で重なり合う二人。
そんな時、周囲が薄暗く変化した。
ダンジョンにより生み出された陽の光は陰り、城塞都市全域に霜が降りる。
王座の間も、窓が凍て付き、吐息が白く染まった。
突然訪れた冷気に、リルカはぶるりと身体を震わせる。
「…なんか寒くない?」
「ステリアを思い出すな…」
ローファスは展開している魔法障壁を操作し、意識的に冷気を遮断する。
リルカも周囲の風を操り、空気の層を厚くして冷気を追いやった。
これにより二人の周囲は多少マシにはなったが、熱を生み出している訳ではない為、寒いものは寒い。
「ロー君、あのガイコツ出せない? 前にダンジョンで使い魔にしてたやつ」
「なるほど、イグニか。それは名案だ」
ローファスが己の影をコツコツと靴底で鳴らすと、影の中からぬっと巨大な骨の指が一本出てきた。
指先にぼっと黒炎が灯り、リルカは両手をかざして暖を取る。
「便利ー。でも、なんで急に寒くなったんだろ? まさかこれ、ダンジョンの崩壊反応?」
「いや、それはないな。まだ守護者を倒していない」
「え、今の天使の王様みたいなのが守護者じゃなかったの?」
「あれはただのフロアボスだ。ここ《堕天城》は、過去ライトレス家によって何度か探索がされているが、確認できたのは三体のフロアボスのみ。だから守護者の情報は無い」
守護者とは違い、フロアボスは討伐しても一定時間経過すれば復活する。
しかしここは上級ダンジョンという事もあり、ライトレス家もかなり慎重に探索を進めていた。
第三層のフロアボスである堕天王サタナエルが倒されたのも、この謎の冷気も、今回が初めての事。
故にこの冷気は、サタナエルを倒した事がトリガーになっている可能性が高い。
それこそこの冷気を引き起こしているのは、或いは——ローファスは口角を吊り上げる。
「…守護者のお出ましか」
城外、白く染まった天より咆哮が響いた。
城下町に鳥影が射す。
上級ダンジョン《堕天城》守護者——冰王竜、出現。




