第9話 顔と傷
女王の葬儀以来、オフィーリアは前にも増して明るい表情をするようになった。まだ完全に乗り越えたわけではないだろうが、葬儀に連れていってよかったとアーヴィンは思った。
笑顔が増えたことは喜ばしいが、恋心を自覚したアーヴィンにとっては悩ましくもあった。奥底に憂いを抱えたオフィーリアの表情もそれは美しかったが、今の彼女は直視できないほど輝いて見えるのだった。
オフィーリアには自分の姿が見えていないのをいいことに、アーヴィンは時折オフィーリアから視線を逸らして気持ちを落ち着けた。
ズラした視線の先で使用人たちと目が合うこともあり、その度にアーヴィンは居た堪れなくなった。あの少しの会話でジョシュにバレたのだ、出逢いの瞬間からアーヴィンを見ている使用人たちには筒抜けだろう。
それでもオフィーリアの近くにいることを許されているのは、認められていると思っていいのだろうか。そんな風に考えながら、ウォルツに持たされたケーキを美味しそうに頬張るオフィーリアに微笑みを零した。
「オフィーリアは、何かしてみたいことはないのか?」
「え?」
「葬儀の時に城から出られると分かったからな。あまり遠くへは連れていけないが、王都の中であれば問題ないだろう」
「本当ですか……! では、あの……前に教えていただいたカフェに、行ってみたいです」
「では、次回はカフェに行くとしよう。他には?」
想像以上に可愛らしい要望に、もっと叶えてやりたいとおもう。初めの内に感じていた、この屋敷に彼女を閉じ込めておきたいとでもいうような独占欲は形を変えていた。オフィーリアの笑顔を引き出すのは、自分の行動でありたい。
比較的裕福で、立場もある自分のことを初めて褒めてやりたい気分だった。
「えぇと……馬に乗ることはできますか?」
「馬に?」
「はい、この間、馬車の前にいたのは馬ですよね? 触れるだけでもいいのですが……」
「俺の馬に乗ろうか」
「アーヴィン様の!」
「あぁ、とても力が強いから、二人で乗っても平気だ」
「二人で……」
「あ、いや、すまない。君の嫌がることはしないから安心してくれ」
「いえ! 一緒に乗っていただきたいです……!」
「そうか」
「はい……」
どうもここ最近、オフィーリアがまるで自分に好意を抱いているのではと勘違いしそうになる。アーヴィンはそんな考えが脳裏に浮かぶ度、まさかそんなことと打ち消していた。
女性経験が皆無のアーヴィンであるから、きっと何でもかんでも自分に都合のいいように解釈してしまうのだろうと。プラス思考は悪いことではない。調子に乗り、失敗してしまわない限りは。
戦場でもそうだ。絶対に負けないと思うことは大事だが、だからといって油断しては命を散らす結果になる。だから、嫌われていないのだという自信を持つことはいいが、だからといってオフィーリアが自分を好きなのだと思うのはやめようと。
アーヴィンが決意を新たにしていると、オフィーリアがまだ何か言いたそうにしているのに気付いた。
「まだ何か言いたそうだな」
「えっ?」
「顔に書いてあるぞ。何がしたいか言ってくれ。俺にできることなら何でも叶えるから」
「では、アーヴィン様のお顔に触れてもいいでしょうか」
想像していなかった言葉に、アーヴィンの動きが止まる。顔に触れるということは、傷だらけの皮膚を認識されてしまうということで。オフィーリアの目が見えないからと、自身の顔の凶悪さから目を逸らしていたツケが回ってきたのか。アーヴィンはまだ返事をしていないことに気付き、慌てて答えた。
「触れるのは構わないが、俺の顔は傷だらけで……触り心地はよくないと思うぞ」
「アーヴィン様のお顔が見たいのです」
「見る?」
「えぇ、わたくし、頭の中で想像するのがとても得意なのです。屋敷に飾ってある彫像なんかで練習しましたのよ。顔のでこぼこを触らせていただけたら、きっとアーヴィン様が見えます」
「そうか」
「お母様のお顔も、触りました。アーヴィン様は、お母様の顔をご存じですか?」
「…………」
ヴェールの下に隠されていた女王の素顔は、死体を検分した数名、そして限られた王位継承者しか知らない。アーヴィンも確認したうちの一人だが、奇形と呼んでもいい女王の素顔に驚きを隠せなかった。
医師が言うには、女王を身籠った時の王たちの年齢が高かったこと。王妃が薬を盛られたという事件があり、その薬が胎児に影響を与えた可能性などを挙げ、様々な要因が重なった結果ではないかということだった。
「何もおっしゃらないということは、ご存知なのですね」
「……あぁ」
「お母様のお顔は、どこもかしこもわたくしと全然異なっていました。彫像とも、使用人たちとも。ですから、わたくし喜びましたの」
「喜んだ?」
「えぇ、お母様はご自身を醜いとおっしゃっておいでだったけれど、わたくしにとっては違います。だって、誰とも異なるお顔なのですよ? わたくし、使用人たちのお顔は見分けるのが大変で……でも、お母様はすぐに分かります。美しいか美しくないかは関係ないのです。だから、アーヴィン様のお顔もわたくしにとってはきっと大好きなお顔だわ」
女王は、オフィーリアの笑顔に救われたのだろう。生まれた時からヴェールの影に追いやられた醜い顔を、心の底から喜んでくれたオフィーリアに。
「手に触れてもいいか」
オフィーリアは頷き、右の手にはめられていたシルクの手袋を外した。アーヴィンは彼女の前に跪き、その小さな手をそっと持ち上げて、アーヴィンの頬に導く。触れているものがアーヴィンの顔だと分かったのか、オフィーリアの手がぴくりと反応した。握った手を解放してやれば、おずおずとアーヴィンの輪郭をなぞっていく。
初めて触れたオフィーリアの素肌が、少しひんやりとした柔らかな指が、ひどく心地いい。アーヴィンは瞳を閉じ、されるがままになっていた。左目の上に斜めに走る傷に触れたオフィーリアが、傷の深さや大きさを確かめるように何度もなぞる。
「もう、痛くはないのですよね?」
「傷跡が残ってしまっているだけだからな。雨の日や、湿気の多い日に時折引き攣るような感覚があるが、痛みはない」
「よかった……これは、戦争中の傷ですか?」
「そうだ。振り下ろされた敵の剣と味方の間に頭を滑り込ませてな、兜が砕けて顔にヒットだ」
「兜、砕けるのですか……!?」
「かなり消耗していたからな、限界だったのだろう。傷の痛みより、流れる血のせいで視界が悪くて大変だった」
「そうなのですね……」
「視界が悪いと、他の感覚が鋭敏になる。君もそうだろう?」
「はい、そうだと思います」
「あの時は敵の気配が手に取るように分かった」
ほう、と溜息を一つ零して、オフィーリアの手が次の傷に移動する。二十年近く前の傷であるのに、傷跡を示されるとその時の記憶が蘇ってくるのだから人の記憶力もバカにできない。
アーヴィンは聞かれる度に、傷を負った時の話をするのだった。
「戦いの話など、聞いていて楽しいか?」
「楽しい……というよりは、アーヴィン様の記憶を共有しているみたいで嬉しいですわ」
「そういうものか」
「はい」
「オフィーリアの記憶も、共有させてくれないか?」
「わたくしの?」
「あぁ」
それを聞いて微笑んだオフィーリアは、今度女王との思い出話をすることを約束してくれた。