第7話 恋の自覚
王の指輪は未だに見つからないまま、女王の葬儀の準備だけが着々と進んでいる。
アーヴィンは葬儀を取り仕切るベルモントの配下の者たちを眺め、悩んでいた。オフィーリアを連れてくるべきだろうか。
既にオフィーリアとは三度、顔を合わせている。初回はほとんど女王のことを知らせただけで終わってしまったが、残りの二回はオフィーリアに請われ、王都の街並みや流行りの店などについて話して聞かせていた。
もちろんアーヴィンは流行りの店など知らない。その辺りはウォルツが丁寧にまとめ上げた資料を作成しており、それを読んで聞かせることでなんとか凌いでいた。
カフェの話を聞いて表情を輝かせ、いつか行ってみたいとはしゃぐオフィーリアだったが、どんなに楽しそうにしていても、その中に悲しみが潜んでいることを知っている。
彼女は、あまりにも突然母を失った。死んだという事実だけを聞かされ、別れを言うこともできずにいるのだ。
声を上げて泣いたことで、少しは心の澱みも流れただろう。しかし、きちんと別れを言えないままでは、オフィーリアの心を蝕む棘は抜けない。
「アーヴィン、眉間に皺が寄ってとんでもないことになってる」
「ん? あぁ、すまん。考え事をしていた」
「ずいぶん悩んでるんだな。あまりに恐い顔をしてるから、お前の前を通る人たちが可哀想だったぞ。で? 何に悩んでるんだよ」
ジョシュに打ち明けるかアーヴィンはしばし考え、場所を移すことにした。王城内の一室、周囲に人がいないことを確認してから入室し、抑えた声で話す。
「…………今まで屋敷を出たことのない人間が、女王の葬儀に参列しても大丈夫だろうか」
「なに? ちびっ子に懐かれたとか?」
「いや、御令嬢だ」
「令嬢!?」
ジョシュが大声を上げ、アーヴィンは慌ててその口を塞ぐ。思わず鼻まで一緒に押さえ込んでしまい、顔を真っ赤にしたジョシュが腕を叩いた。
「殺す気か!」
「お前が大声を出すのが悪い」
「いや、そうだけど……ったく、まさかお前の口から女の話が出ると思わなかったよ」
「俺もだ」
「で? 屋敷を出たことがないって、病気とか?」
「目が見えないんだ」
なるほど、とジョシュが腕を組む。考えながら首を傾けると、結んでいる長い髪がさらりと揺れた。銀の髪に薄い青の瞳、ジョシュは美しい男だったから女性経験もさぞかし豊富なことだろう。アーヴィンはその手の話題を口にすることはなかったし、そんなアーヴィンにわざわざ話してくるような男でもなかったから、こうして一人の女性に対して二人で話すというのは初めてのことだった。
「貴族だけの参列日の方が危険はないと思うけど、バレたくない感じだろ?」
「あぁ、できれば。ただ、平民に開放されているところに連れて行ってもいいものかと」
「うーん、アーヴィンがぴったり横に付き添ってればなんとかイケるんじゃないか? 二人で平民の格好してさ」
「ぴ、ぴったり、というのは、まずいんじゃないか」
「なんでだよ。確実に人でごった返してるぞ? そんなとこ、手を繋いでたって危ないに決まってんだろ。なんならお前の懐に抱え込んでてもいいくらいだと思うぜ?」
「か、抱え込む……」
平民の格好に身を包んだ自分が、オフィーリアを腕に収めるように抱え込んで歩く姿を想像し、アーヴィンは頭を振った。口元の緩んだジョシュに肩をポンと叩かれ、現実に引き戻される。
「はいはい、からかって悪かったよ。お前、その子に相当惚れてるんだな」
「いや! そんなことは」
「ないか?」
「…………そばにいて、守りたいと思うのは、惚れているということなんだろうか」
「お前のそんな顔、初めて見るっつーの。俺が言うんだから間違いない。お前はその子に惚れてるね」
「……そう、なのかもしれない」
「かもじゃなくてそうなの」
いつになく強い語気で迫るジョシュに、アーヴィンは珍しく一歩後ずさってしまった。この友人は、面白がっているのか真剣なのかどちらなのだろう。
「分かった、分かったから離れろ、近い」
「ていうか、そんな令嬢いたか? 俺が知らないって少しショックだな」
「陛下が魔道具で隠していたからな」
「は?」
「報告しなくて悪い。お前と手分けして探し回ったあの日、実は指輪とは別の魔道具を見つけていたんだ」
「言えよ!」
実際、アーヴィンはあの日ジョシュに全てを報告しようとした。したが、ジョシュを前にしていざ口を開こうとするとオフィーリアの笑顔がちらついて言えなかったのだ。
どうして言えなかったのか。少し考えれば分かることだった。
何のことはない、目の前のこの美丈夫にオフィーリアを取られてしまうかもしれないと思ったのだ。戦時中に出会い、時に背中を預けて戦ったこの男がアーヴィンの恋敵になるかもしれないと、そう想像してしまったのだった。
「すまん……彼女を、俺だけのものにしておきたくて……」
「ちょ、おま……それ反則だろ、っく、ははは!」
正直に話すと、ジョシュは腹を抱えて笑い出した。瞳から涙を流してまで笑い続ける友人に、アーヴィンの眉が寄って深い皺が刻まれた。
「なぜ笑う」
「それで惚れてないと思ってたのがヤバい。面白すぎる」
「悪かったな」
「いやいや、俺は嬉しいよ。お前にもついに春が来たんだな」
バシバシと更に肩を叩かれ、嬉しそうに微笑まれればそれ以上文句をいう気も失せる。アーヴィンは気を取り直し、葬儀にオフィーリアを連れてくるための計画を相談することにした。
「連れてくるとなると、問題がある。彼女の屋敷とは城の地下にあるワインセラーでしか繋がっていなくてな。まずは城から連れ出さないと」
「それなら、城のメイドと同じ格好をさせて裏手に回れ、馬車を待機させておくから」
「分かった」
それから細部について打ち合わせ、アーヴィンとジョシュそれぞれに準備することを決めた。
オフィーリアに最後の別れをさせてあげられる。アーヴィンが安心したように溜息を吐くのを、ジョシュは楽しそうに見つめていた。
ジョシュと話した次の日、アーヴィンは少し緊張しながら、オフィーリアの意志を確認するために屋敷を訪れていた。
最初に会った中庭で、今は向かい合って座っている。小ぶりなケーキや焼き菓子の乗った皿と紅茶が並ぶが、アーヴィンはいつも紅茶を飲むだけだった。
オフィーリアは相変わらず美しく、深い青色の瞳はアーヴィンの鼻辺りに向けられている。
「オフィーリア、母君の葬儀に出たくはないか」
「で……出られるのですか?」
アーヴィンの予想通り、オフィーリアは目を輝かせてそう言った。声に出して肯定の返事をし、それから条件を提示していく。
「君の素性を可能な限り隠したい。だからメイドの格好や、平民の格好をしてもらう必要があるし、平民に開放されている時を狙うから負担は大きいと思う」
「わたくし、大丈夫です! お母様にお別れをしたい……!」
「当日は私が常に君を支えることになるが……その、それも大丈夫だろうか」
「え? あの、支える、というのは」
オフィーリアの瞳が揺れる。拒絶されるかと危惧したが、どうやら大丈夫らしいと安堵した。彼女に出会ってからというもの、自分に対する彼女の反応に一喜一憂してしまうのだ。惚れた相手にはそうなることもあるとジョシュは言っていたが、こうも毎回心臓が煩くはねるものなのだろうか。
出来る限りその動揺が外に漏れないように、アーヴィンは努めて真面目な声で返した。
「文字通りの意味だ。友人の話では、手を繋いだくらいでは危険だと」
「だ、大丈夫です……アーヴィン様こそ、よろしいのですか? わたくしなどと一緒にいて、誤解されでもしたら」
「オフィーリア。私には君しかいない」
思わずオフィーリアの発言を飲み込むように言葉を発してしまい、我に返った。息を飲んだオフィーリアが、アーヴィンの方を窺っている。その顔はいつになく紅潮していた。
ここまで言うつもりはなかったが、彼女を不安にさせたままでいたくはない。アーヴィンは己の心の内を打ち明けることにした。
「君の素性を隠したいというのは、他の男にオフィーリアを知られたくないということだ。……君を、私だけのものにしておきたいと、そんな風に思う私を、軽蔑するか?」
「いえ! いえ……わたくしも、アーヴィン様さえお隣にいてくださったらそれだけで……」
アーヴィンの顔も、オフィーリアに負けず劣らず真っ赤に染まっていることを、少し離れたところに待機するメイドたちだけが知っていた。