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第6話 あなたの香り

 アーヴィンは隙を見て屋敷に通う日々を送ることになった。オフィーリアに再び逢えることが嬉しくはあったが、とあることがアーヴィンを悩ませている。

 元々女王の葬儀、そして新たな王の戴冠式が済むまでは王都を離れることはできなかったため、領地に戻らないことは問題ではない。


 では何が問題なのか。アーヴィンの見た目である。いくらオフィーリアには見えないとはいえ、使用人たちの視線には晒される。アーヴィンが帰った後に、側仕(そばづか)えが『あの方は不潔でした』などと報告されてはたまらない。


 今まで女性に全く興味を持ってこなかったアーヴィンは、見た目などどうでもいいと思っていた。戦時中に受けて治りきらなかった全身の傷も、目つきが悪く睨んでいると誤解される目も、気にしたことはなかった。

 しかし、オフィーリアに悪印象を与えてしまうとなれば話は別だ。アーヴィンは自室の鏡の前に立ち、唸った。傷は治せない。せめて目つきだけは、可能な限り穏やかに。


 黒い髪は前髪の一房を残して後ろに撫でつけられ、清潔な印象を与えているはずだ。メイドたちがしっかりと管理をしてくれているシャツやベストなどは(しわ)一つなくクローゼットにかかっているし、匂いも……ふと、アーヴィンは思い立った。


「香水を買おうと思う」


 突然部屋から出てきたと思えば、今まで一欠片も興味のなかった香水を買うと言い出す主人に、使用人たちは仰天した。何やら表情も普段と違って違和感が(ひど)く、熱でもあるのではと騒ぎになった。


「旦那様、驚かせないでください」

「すまない。そこまで大ごとになるとは思わなかったんだ」


 執事のウォルツが冷静な表情のまま苦言を呈す。王都で一番の質と種類の多さを誇る香水専門店の商人が呼ばれ、既に応接間でアーヴィンを待っているらしい。


「そもそも旦那様が何かを欲しがるというのが初めてのことですからね、みなが慌てるのも仕方ありません。どういう風の吹き回しですか」

「いや、実は……美しい令嬢の前に恥ずかしくない姿で立ちたいと思ってな……」

「!」


 普段から徹底して表情を崩さないウォルツの目が、驚きに染まった。珍しいものを見たと思うアーヴィンは、自らも同じ感想を抱かれていることに気付かない。


「そういうことでしたら、心ゆくまでお選びください。ご令嬢の好みの香りはご存じですか?」

「……知らない」

「では、何かを好んでいらっしゃる様子はありましたか?」

「中庭で紅茶を飲んでいた。中庭は色とりどりの花が絶妙なバランスで植えられていたから、何か特定の花を好んでいる感じではなかったと思う。彼女からは爽やかで、少し甘い香りがしていたな」

「……それだけ分かれば幾つか候補の香水を購入できるでしょう。身に纏ってご令嬢を訪ね、彼女の反応でこれという香水をお決めください」

「分かった」


 長年アーヴィンの世話をしてきた執事は戸惑いつつ、嬉しさを隠しきれなかった。ダメ元で聞いた令嬢の好みに対する質問に、あれほど詳細な答えが返ってくるとは。女の影も形もなかった主人に、遂に春が訪れたのである。


 商人を待たせている応接間の扉を開きながら、彼の脳内では次回の訪問時にアーヴィンに持たせるお茶菓子の選定が始まっていた。


「数ある香水店の中から当店をお選びいただき、誠に光栄でございます。セルシアス侯爵様を担当させていただきますトーマスと申します」

「突然呼び立ててしまってすまないな」

「いえいえ、滅相もございません! ご自身で使われるものなのか、ご婦人方への贈り物なのかが分かりませんでしたので、男性用女性用問わずに数をご用意いたしました。何かお好きな香りなどはございますか?」


 アーヴィンは先ほどウォルツにした話を繰り返した。トーマスはうんうんと頷き、いくつかの香水を小さな紙に吹き付けてアーヴィンに差し出した。


「こちらの中に、そのご令嬢の香りに似ているものはございますか?」


 順繰りに香りを確かめていくと、一つ似ている香りがあった。


「これだな。こちらの方がやや鋭い気がするが、似ていると思う」

「なるほど、ではおすすめはこの辺りですね。ご令嬢の香りと反発せず、それでいてしっかりと主張してくれます」

「ふむ……」


 慣れた手つきで再び何枚かの紙が差し出され、アーヴィンは結局三つの香水を購入した。

 大瓶ではなく、小ぶりなもので、数回試して気に入ったものを定期購入することを勧められ、その通りにした。



 次の日、アーヴィンは早速香水を付けてオフィーリアを訪ねることにした。手土産には、女性たちに人気だという焼き菓子。

 女王の葬儀のための準備が進められている中、見咎められないようにワインセラーに入ったアーヴィンは緊張しながら屋敷への道のりを歩いていた。


 目が見えないということは、他の感覚が鋭いということだろう。あまり多く付けては嫌がられるかもしれないと、ほんの少しだけ振りかけた香水。

 オフィーリアはアーヴィンを迎え入れた瞬間、その香りに気がついた。


「アーヴィン様、この間お逢いした時と香りが違いますね。一瞬別の方かと思いましたわ」

「き、今日は香水を付けてみたんだ。その……嫌いな香りではないだろうか」

「いい香りだと思います。わたくしもお母様がくださった香水を付けているのですが、少し似た香りですね」

「あぁ、貴女の香りを邪魔したくなかったのでな」

「わたくし……そんなに香っておりましたか?」

「この間、気を失った貴女を運んだ時に。いい香りだったから、私も真似しようかと」

「まぁ……」


 小さな手で隠しきれないオフィーリアの頬が、桃色に染まる。すぐに気を取り直したらしい彼女が率先して中庭に向かうのを、アーヴィンは微笑ましく見つめていた。


 購入した三種の香りの中でアーヴィンが一番気に入ったものを、いい香りだと言ってもらえたことが嬉しく、屋敷に戻ったらその香水を追加で発注しようと心に刻むのだった。

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