表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/11

第4話 心のままに泣いた日 [オフィーリアside]

『ねぇ、オフィーリア? これはとても大事なものよ』

『お母様、これ』

『貴女が使ってもいい、けれど、一人では使わないでほしい、わたくしのようにはならないで』

『これは、お母様の……! ぬ、抜けない……?』

『愛した人に渡すためにしか、抜けないのよ』

『お母様を愛しています!』

『それはね、一度渡したら、元の持ち主には戻れないの』

『そんな……どうして』

『もう、これを使う力は残っていないの。最後にやり残したことを片付けてくるから、いい子で待っているのよ』

『それが終わったら、ずっと一緒ですか?』

『えぇ、ずっと一緒よ。愛しているわ、わたくしのオフィーリア』


「お母様……ッ!」


 叫んだオフィーリアの手を、暖かい誰かの手が握っている。ベッドに横たわっていることに気づいた後、自分の寝室の香りとは違うことを感じ取り、置かれた状況に混乱した。


「ベレスフォード嬢、落ち着くんだ。大丈夫。貴女は母上のことを聞いて気を失い、私がここへ運んだ。一番上等な客室だそうだ。いつもと違う場所に思えるかもしれないが、貴女の家だから安心してくれ」


 パニックになりかけるオフィーリアの耳に飛び込んできたのは落ち着いたバリトンボイス。低く、それでいてオフィーリアを気遣う声色に、押し寄せていた不安の波が引いていく。安心したと同時に、母の死という事実がまた形を持ってオフィーリアの心に重くのしかかり、大粒の涙がほとほとと零れ落ちた。


「あ、……わたくし、すみませ……」

「謝らなくていい。涙を我慢すると貴女の心が溺れてしまうだろう。もし私がいて泣くのを遠慮してしまうなら、すぐに出ていく。手を離してくれたらの話だが」


 そう言われて初めて、オフィーリアはアーヴィンの手を自分がしっかりと握りしめていることに気づいた。羞恥心に全身が沸騰(ふっとう)しそうになる。けれど、その握りしめた手を優しく握り返してくれているアーヴィンの手が頼もしくて、離したくないと思ってしまった。


「貴方様の前で……泣いても……はしたないとお思いになりませんか……?」

「……思うはずがない。貴女の涙を、私が拭ってさしあげられたらと思っている」

「……ッ、う、うぅぅ、ああああぁぁ……ッ」


 声を上げて泣いたオフィーリアを、アーヴィンは優しく受け入れてくれた。メイドから借りたのだろうハンカチでオフィーリアの止めどなく流れる涙を拭い、しゃくり上げる背中を撫でてくれた。

 今まで、こんな風に感情を爆発させたことなどない。むしろ感情を制御できるようになりなさいと教わってきたし、その(すべ)をしっかりと身につけたはずだった。

 アーヴィンと話した時間など一時間にも満たないであろうに、どうしてこんなにも(さら)け出してしまうのだろう。それは、アーヴィンが自分に対して好意を向けてくれているからかもしれなかった。


 生まれつき目が見えなかったオフィーリアは、視力以外の感覚に優れていた。そして、相手から向けられている感情を読み取ることも。もちろんそれは目に見えるものではなく、声色や身体の動かし方、そういった雰囲気から読み取っているにすぎなかったが、使用人たちの具合があまり良くない時、一番最初に気づくのはオフィーリアだった。


(でも、お母様のことは分からなかった)


 母は自身の感情や体調を決して外に出すことはなかった。オフィーリアが分かるのは、母が敢えて感じ取らせていることだけだった。せめて、少しでも心を許してほしかった。己の死の気配まで完全に隠し切った母に、真実を教えてくれていたらと願っても届かない。


 オフィーリアは体内の水分を全て出し切ってしまうのではと思うくらいに泣き、そうしてようやく落ち着いた。落ち着いたところで自分の失態を振り返り震え、ひどい顔をしているに違いないからと慌ててアーヴィンに退出を願った。


 くす、と、アーヴィンが笑いを漏らした音が小さく聞こえ、それからオフィーリアの髪が一束、持ち上げられる気配がした。


「貴女は、泣き顔も美しいから安心してくれ」


 ちゅ、とリップ音がして、アーヴィンの気配が離れていく。音を立てたのは、目の見えないオフィーリアに何をしたか知らせるためだろう。それでも男性から贈られたことのないその音は、オフィーリアには刺激が強すぎた。


「ゆっくり、支度をしてくれ。私は貴女ともう一度話をしてから帰るつもりだから」

「は、い……ありがとうございます、セルシアス侯爵様」

「アーヴィン、と呼んでくれ」


 そう言ったアーヴィンは、返事を待たずに部屋から出て行ってしまった。これ以上話を長引かせては、オフィーリアの支度ができないと分かっていたのだろう。


「お嬢様、湯浴みのご用意もありますが、いかがされますか?」

「……あまり待たせたくないの。素早く、済ませられるかしら」

「はい、もちろんです」


 今までのやりとりを全て見ていたメイドたちは、今までにない手際の良さでオフィーリアを磨き上げていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ