第1話 はじめまして、王子様 [オフィーリアside]
短編として公開した物を、加筆修正しております。
本日、三話ほど投稿予定です。
書き足りなかった二人のもだもだも倍増予定ですので、どうぞよろしくお願いします!
鳥のさえずりと風に揺れる草木の音だけが響く、人気のない森の中。唯一話し声が聞こえるのは、ひっそりと建つ貴族の隠れ家めいた屋敷の中だけ。
歴史を感じさせる趣きであるにもかかわらず、日々使用人たちが丁寧に磨き上げ、どこもかしこも清潔に保たれている。
太陽が心地良い昼下がり。薔薇の見事な中庭で日課のティータイムを楽しんでいたオフィーリアの耳に、家令の足音とは別の初めて聞く足音が届いた。
「セルシアス侯爵様が、お嬢様にお会いしたいと」
「初めまして、私はアーヴィン・セルシアス。先触れもなしに訪問した無礼をお許しいただきたい」
今まで聞いたことのない響きを持ったバリトンは、オフィーリアの鼓膜を甘く震わせた。
椅子から立ち上がり、声の聞こえてきた方向を見つめる。
「貴方が、わたくしの王子様でいらっしゃいますか?」
思わず口にしてしまったオフィーリアは、ポンと上気した顔を扇で慌てて隠し、姿勢を正した。
「…………王子、という柄ではない。貴女は目が見えないのだと聞いた。だから私がどれほど王子という単語から程遠いか分からないのだろう」
「まぁ、そんなこと」
顔の熱はもう引いている。オフィーリアは扇をしまい、何度も練習してきた挨拶をした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。オフィーリア・ベレスフォードと申します」
手の角度も、首の角度も完璧なはずのカーテシーをしながら、目の前のアーヴィンがどんな表情をしているのかと緊張する。少しの間の後、アーヴィンが跪くのが分かった。
「お手に触れることをお許しいただけるだろうか?」
「えぇ、もちろんです」
オフィーリアの右手が、ごつごつとした大きな手によって軽く持ち上げられる。手袋越しに伝わる体温に、また顔に熱が集まるのを感じていた。優しく包まれた手に神経が集中しているみたいで、甲にそっと口づけられるのが分かる。
(やっぱり、わたくしの王子様なんだわ)
オフィーリアは、いつか母と交わした会話を思い出していた。
『いつか貴女を、王子様が迎えに来てくれるわ。きっとその時、わたくしはそばにはいられないけれど、貴女は王子様と幸せになるのよ』
『おかあさま、いないのですか? どうして?』
『わたくしの命は期限付きなの。本当は二人で行うことを、一人きりで行っているから』
『オフィーリアがお手伝いします!』
『ふふ、ありがとう。その気持ちだけ受け取っておくわ』
オフィーリアは大きな不安に包まれた。母に最後に会ったのはいつだったか。はしたないと思いながらもアーヴィンの手に縋り、母の安否を問うた。
「この屋敷に、誰かが訪ねてきたのは初めてなのです……もしかして、母になにかあったのでは……?」
「……君の、母というのは、リュミエール・ベレスフォードで相違ないな」
「えぇ、そうです」
「すまない。あの方は、お隠れになられた」
母が、死んだ。その言葉を理解するより早く、オフィーリアの意識は闇に飲まれた。