第87話 魂恋・18(苑)~連れて行って~
自分を呼ぶ声がどこか遠くのほうから聞こえ、苑はうっすら瞳を開けた。
最初は濁ってよく見えなかった視界に、自分を見つめる青みがかった深海のように澄んだ黒の瞳が映る。
自分のことを食い入るように見つめるその姿は、暗黒のようなこの場所に灯る、たったひとつの光のようだった。
(綺麗……)
苑は視界が定まらない瞳にその姿を映しながら、声にならない声で呟く。
(神さま……みたい)
気がついた瞬間、凄まじい臭気が鼻についた。
腐り落ちていく自分の肉体の臭いだ、と苑はぼんやりと考える。
腐臭に満ちた自分の体を、縁が泣きながら固く抱き締めている。
苑は崩れていないほうの手で、縁の滑らかな頬に触れた。
「泣かないで……縁」
縁は自分に触れた苑の手を、握りしめた。
「俺は、いつもお前を汚して傷つける……。お前には外の世界で生きて欲しい、と言っておいて、出て行ったお前を恨む。お前がいなくなったら、お前への憎しみを神にする。
……何かにすがらないと生きていけないんだ」
苑は、縁の手を握り返した。
「あなたは私を汚してなんかいないわ。これが本当の私なの。『禍室』を持たない、人間の私の姿なの」
苑は黒く爛れた顔で微笑んだ。
「私はこの姿で、外の世界で生きていく。ただの人として」
苑は、半分以上崩れた顔を縁に向け、白い骨がのぞく手を差し伸べた。
「縁……一緒に来てくれる?」
縁は腐臭を放つ体を見つめて言った。
「ずっと……待っていた。お前が迎えに来るのを。お前を憎みながら、ずっとずっと……」
苑の体を抱きしめて、縁は囁いた。
「苑、連れて行ってくれ。俺を禍室の外の世界に」
縁の言葉に苑は頷いた。
その瞬間。
闇に塗り込められた暗黒の世界に、光が広がっていった。
★次回
終章 手紙(苑)~外の世界で生きるルート~




