第81話 魂恋・12(縁)~幸せを願う~
1.
縁は里海の「客人」として、元々は別棟のほうにいたが、正式に当主となってからは本館の当主の部屋へ移ってきた。
里海は苑との婚約を解消したために本家から六星家に戻った。
その後も足しげく、縁が当主となった九伊家に通い続けた。
雇用人たちは全員、引き続き屋敷に仕えることになったが、特に古くからいる雇用人が縁を見る目はひどく冷ややかだった。
「玖住なんて、外から迷い込んできた野良犬でも見るような目で俺を見やがる、あのババア」
縁は灯りを落とし薄暗い、当主の執務室にあるソファーに座って不貞腐れたように呟く。
背後の大きい窓から入ってくる月明かりが眩しく、部屋全体を青白く染めていた。
「あいつ、昔からあんな感じなのか?」
縁はソファーに足を投げ出し、上半身を苑に寄りかからせるようにして座っていた。
二十四歳の姿をした苑は、縁の身体に宥めるように手をかける。
「玖住は昔から厳しいの。悪い人じゃないんだけれど」
縁はフンと鼻を鳴らした。
「悪い奴じゃない。俺のことが嫌いなだけだろ」
九伊の当主の座に就いてから、子供の頃に視えていた二十四歳の大人の苑の姿が、また見えるようになった。
苑は昔通り、いつも側にいてくれて、縁の傍若無人なふるまいを優しく受け入れてくれる。
「苑」
縁は苑の腕に寄りかからせてる頭を、僅かに動かした。
「大学、どうなんだよ。楽しいのか?」
「うん、楽しかった。好きな勉強がたくさん出来て」
縁は呟いた。
「……彼氏とか、出来たか?」
苑は少し黙ってから、小さく笑って首を振った。
「出来ないわ、そんな人」
縁はしばらく黙って、窓の外の月を眺めた。そのままの姿勢で言った。
「お前、いい奥さんになりそうだよな。子供も好きそうだし。真面目でいい奴と付き合って結婚して、二人とか三人くらい子供が生まれて、そんな感じなんだろうな」
苑が何も言わないので、縁は自分の想いにふけるように呟いた。
「目に浮かぶな、お前がいいお母さんになっているところ」
縁が仄に養子の話を持ち掛けて欲しい、と言ったとき、里海は最初は躊躇った。
「君が当主の異母弟? 本当なの?」
里海の言葉に、縁はうっすら笑った。
「本当も何も、俺が子供のころ、あいつは九伊家に俺を引き取ろうとまでしたんだ」
「それにしても先代の息子を禍室にするなんて……ちょっと信じ難いな」
眉を寄せる里海に、縁は説明する。
「『禍室』は母系だ。父親が誰であろうと、母親が禍室なら禍室を継ぐ。あの女に他に子供がいれば話は違ったんだろうが、俺だけだったからな」
里海は少し考えてから言った。
「なるほど、九伊の血筋だけで見ると、女である苑さんよりもむしろ君のほうが当主の座につく権利があるのか。当主には『降嫁』した姉しかいなかったはずだからね」
里海は縁の顔を不審そうに見た。
「それにしても、何だって急にそんなことを言い出したの? 今までそんなこと、ひと言も言っていなかったじゃないか」
縁は何でもなさそうな口調で答えた。
「あの父親は俺をすさまじく嫌っているが、それでも自分が死にかけている今なら話に乗るんじゃないかと思ってな。娘が外に出たがっているわけだし」
「それだけ?」
里海は疑り深そうに、縁の整った顔を見る。
「君も苑さんを外に出してあげたいんじゃないの? 当主と同じように、さ」
「馬鹿なことを言うな」
縁は里海の言葉を打ち消すように、素っ気なく答えた。
「あいつは俺を棄てていなくなった。もう二年も会っていないんだぞ。何だって俺がそんな奴のために、こんなクソみたいな家を継がなきゃならないんだ」
「ふうん?」
自分の表情を伺うように見る里海の視線を捕らえて、縁は唇を笑みで歪めた。
「俺とお前でこの家を乗っ取るんだ。この屋敷で、何不自由なく一生贅沢三昧暮らせる」
「でも……」
里海は考えるように指を顎に当てて呟いた。
「それだったら、僕が苑さんと結婚して君とこの屋敷で暮らしてもいいわけだし」
「駄目だ!」
縁が激しい声で叫んだため、里海が驚いた顔をして口をつぐんだ。
縁は誤魔化すように、里海に微笑みかける。
「あの女は……とっとと追い出したほうがいい。結婚なんかしたら、後で揉めるかもしれないぞ」
里海は縁の言葉を思案するように考えこむ。
その合間に、ちらちらと縁のほうに視線を投げた。
縁は居心地の悪さを誤魔化すために、ひどく不機嫌そうな顔をした。
「何だ」
「縁……、君、変わったね」
「変わった……?」
「ここに来たときは、何に対しても関心なんかなさそうだったのに。どうしたの? 急に」
縁はしばらく俯いていたが、不意に顔を上げた。
媚を含んだ微笑を浮かべて、里海の身体にすがりつく。
「……お前のことが好きになったんだ」
里海は縁の身体を抱きとめて、その顔を上向かせた。
その顔には僅かに疑わしげな色があったが、すぐに喜びと幸福感にとって代わった。
「本当に……?」
縁は僅かに目を伏せて黙ったあと、呟くように言った。
「……本当だ。だから……お前と一緒にいるために、九伊の当主になりたい」
里海は顔を喜びに染めながら、縁の顔を見つめた。
「信じるよ、僕の女王さま。君がそう言うなら、君の足下にこの家を捧げる。僕から君への愛の証に」
里海からの愛撫と口づけを受け入れるために、縁はゆっくりと瞳を閉ざした。
2.
縁は瞳を開けた。
月明かりが溢れる執務室の中で、苑は黙って自分の腕に寄りかかる縁の身体の温かみを感じているようだった。
自分の中の思いを辿るように、縁は言葉を続けた。
「俺、ガキの頃、お前と結婚すると思っていたんだ」
子供の頃の自分を思い浮かべて、縁は微かな笑いをもらした。
「早く大きくなりたいって、そればっかり考えていた。今ぐらいの年齢になれば、お前に告ってもそんなにおかしくないんじゃないかって、そんなことばっかだったな、頭の中にあったのは」
(じゅ、十年も立たなくて、たぶんあと五年くらいでお前より大きくなるし、お、俺もそのころには十分大人、だしな。十八とか九くらいなら、そんなに変わらないし)
「あの時は、まさか、十八になったらこんなことになっているなんて思わなかった。変な母親で変な家で、妙なことばっかりやらされて……、でもそのうち学校にも行かせてもらえて、ちゃんと普通になって、お前と付き合えて結婚出来るんじゃないかって思っていた。
俺、お前に何て告白するか考えて、練習までしていたんだぜ? 笑えるだろ?」
縁は半ば無知だった子供の自分を嘲るように、だが半ばはそんな自分を懐かしむように笑った。
苑は自分のほうを見ようとしない縁に向かって囁いた。
「何て、言うつもりだったの?」
青白い月明かりの中で、縁はゆっくりと苑のほうを振り向いた。黒い瞳に射し込む青い光が、いつも以上深い輝きを帯びていた。
「苑」
縁は苑の顔を見つめて口を開いた。
「お前のことが好きだ。子供のころからずっと好きだった。これから先も、一緒にいて欲しい。幸せにするから」
「うん」
苑は瞳を優しく細めて頷いた。
縁の顔が一瞬、喜びで輝いた。
だがその笑顔は、すぐに月明かりの中で溶けてなくなる。
顔を下に向けたまま、縁は呟いた。
「もういい。分かっている」
(ノイはこれから成長して、外へ出て行くんだ)
(いつまでもこんな君のお遊びに付き合っているわけにはいかないことくらい、ちょっと考えれば分かるだろう?)
(ノイにふさわしいのは、現実をちゃんと歩ける人間だよ)
(ノイはそういう風に生きたいんだからさ)
(怒ったふりをするなよ。君だって、本当はそんなことわかっているだろう?)
十谷の言う通りだ。
本当は全部分かっている。
何故なら十谷の言葉は、縁自身の心の声そのものだからだ。
苑にふさわしいのは、外の世界で生きられて、自分の足で苑の隣りを歩けて、苑と結婚出来、家庭を築ける人間なのだ。
十二歳の時は、自分がそういう人間になれて、いつか苑に「ずっと一緒にいて欲しい」と告げられるのだと信じていた。
「苑、お前、ちゃんと幸せになれよ」
縁はソファーに置かれた苑の手に手を重ね、その重なりを見ながら呟いた。
「俺がこんなにお前のことを思っているんだからさ」
苑の手を握りしめて縁は言った。
「ありがとな、今までいてくれて」
言葉が涙と一緒にこぼれ落ちた瞬間、苑の姿は幻のように消えた。
★次回
あなたを迎えに行くルート
「第82話 魂恋・13(苑)~迎えに来れた~」




