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第77話 魂恋・8(縁)~何も出来ない神だけど~

1.


 いつも心のどこかで苑がそれでも戻って来るのではないか、「迎えに来た」そう言ってくれるのではないかと思っていた。

 苑が過ごした部屋に入り、苑が座った長椅子に座り、苑が作った畑を見るたびそう思った。


 明日には来るのではないか、明後日には来るのではないか。

 玄関で物音がするたびに、庭で気配がするたびに、「客」の予定を見るたびに、いつもいつもそう期待してしまう。

 長期休みの時期は、一日中庭をうろついた。

 ひょっとして苑がどこかで自分を待っているのではないか、座って待っていればどこからか現れるのではないか、そう思い苑の姿を探してしまう。


 里海によって本家に引き取られた後は、暇さえあれば玄関が見える廊下の窓の前にいた。

 苑と同じ屋根の下で里海の恋人として過ごすのは耐えがたいと思う癖に、帰って来た苑の姿が見えるかもしれない、そう期待することを止められない。


 もし会ったら、どうしよう。どんな話をしよう。

 そんなことばかりを考えてしまう。


「客」が入室してくる最後の瞬間まで「苑が入って来るのではないか」と期待し、入って来た「客」に抱かれるたびに、玄関を一日見ていても苑がやって来ずその夜を里海と過ごすたびに、心に残る微かな期待が無惨に踏みにじられるたびに、自分でもどうしようもないほど苑に対する恨みと憎しみが募るのが分かる。


 自分の肉体という禍室が憎しみという穢れで腐り、その腐臭の強さこそ苑を求める気持ちなのだ。

 暗い禍室の中で、おぞましさに顔を背ける苑を腐った手で抱きしめ、嫌悪に粟立つ肌に唇を当てたい。

 この汚れた肉体に苑を永遠に閉じ込めたい。

 それこそが自分が本当に望んでいることなのだ。


 穢れを詰め込まれ、「禍室」にされたのではない。

 元々、自分自身が暗く腐った「禍室」なのだ。

 だから側にいると、苑を苦しめるのだ。


 そう思って目を強く閉じた瞬間、苑がそっと縁の手を取った。


「縁、しばらくの間、一人で頑張ってくれる?」


 縁は苑の顔を見つめた。

 苑は縁の瞳を見つめ返し、僅かに微笑んだ。


「私、縁と外の世界で一緒に暮らせるように頑張る。私はまだ子供で、縁をここから連れ出すには力が足りないから」


 苑は縁の手を握りしめて、顔を覗きこんだ。


「その力を身に着けて迎えに来るから。それまでいなくならないで、待っていてくれる?」


 縁は目を閉じた。

 十二歳のとき、大人の苑が切実な眼差しで自分に訴えていたことを思い出す。


(これからも? 私のことが嫌になって、いなくなったりしない?)

(約束……してくれる?)


 縁は瞳を開き、僅かに顔を伏せて言った。


「お前が……いなくならないで欲しい、って言うならいる。ずっと側に」

「辛くなったら私のことを憎んで」


 苑は自分の手の中にある、縁の手に唇を当てる。


「でも……いなくならないで」


 その時に分かった。

 苑は自分の中の憎しみに気付いている。

 今はまだ存在しない、これから先、自分の中に生まれ大きく育っていくだろう苑に対する憎しみに。



 2.


 夏休みが終わって苑が学校に戻り、禍室が虚ろな空間になっても、縁は生霊になり苑の下へは行かなかった。


 会いたい。

 そう思う。

 狂うほど、苑の存在を渇望している。


 でも会いに行っても、禍室の空虚さは決して埋まらない。その空虚さに、穢れが注ぎこまれ憎悪が溜まっていく。


 何故この虚ろを埋めてくれないのか。

 何故他の人間に穢れを注ぎこませるのか。


 そんな怒りが、闇の中で渦巻くドス黒い憎悪になっていく。


 最初のうちは「客」を迎えるときに、苑のことを考えてしまうことに罪悪感を覚えた。

 苑のことは自分の中の神聖なもの、美しいもの、こんな暗く澱んだ腐臭に満ちた場所とは関係ないものにしておきたかった。


 だが段々それが難しくなり、やがてむしろ、苑は自分がこうやって穢される様子を何もせず、何も出来ず黙って見ているのだ。そう思うようになった。


 俺が穢されることで、お前も穢されればいい。

 この腐った汚泥の中で、のたうち回ればいい。

 どうせ何も出来ない「神」なのだから。


 そうして自分がありとあらゆる方法で汚される様を、ただジッと見つめる苑の姿が見えるようになった。



 3.


 冬休みになり、苑が「禍室」にやって来た。


 暗い室内の中で、単衣を纏い金色の鎖で繊細に編まれた花形の髪飾りを髪につけた苑は、縁の白い背中に何重にも走る赤く擦れ腫れ上がった傷跡に唇を当て、愛しむように時間をかけてなぞる。


 縁は苑に背中を向けたまま、暗闇の中で囁いた。


「……苑、俺、お前のことが嫌いなんだ」

「うん」


 縁の呟きに、苑は背中の傷跡を愛撫しながら頷く。

 縁の細い体が、僅かに震えた。


「お前と別れてから、お前への憎しみで頭がおかしくなりそうだった」


 苑は縁の背中に頭を寄せ、背後から抱き締めた。


「『客』に色々なことをやられている間、お前も同じ目に合わせてやりたかった」

「うん」


 縁は涙に染まった声で呟いた。


「苑、俺はお前のことを憎んでいる。今も、これからもずっと」

「うん」


 苑は頷くと、しばらく縁の体の温かみを感じるようにジッとしていた。

 それから微笑みを浮かべ、もっと遠くにあるものに届かせるような声で囁いた。


「縁、大好き」


 縁の裸の肩が震え出した。

 禍室の静かな静寂の中に響く縁の微かな嗚咽に、苑は耳を澄まし続けた。



★次回

神さまを信じるルート

「第78話 魂恋・9(縁)~三人で生きていこうよ~」

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