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第74話 魂恋・5(縁)~また会えた~

 1.


 苑、来なくていい。

 どうせ同じことの繰り返しだ。

 俺は自分の中の穢れに耐えきれなくて、怒りと憎しみをお前にぶつけて苦しめる。

 お前に外の世界で幸せになって欲しいんだ、本当に。


 そう思っているのは嘘ではないのに、一方で十五歳の夏をひたすら待ちわびている自分がいる。

 その日が本当にやって来るのか、自分と同い年の苑が本当に来るのか、余りに考えすぎて、息が詰まりそうになる時がある。


「縁、君はいつも『ここ』にいないね」


「禍室」の務めを始めたころからの「客」である六星里海が、半ばからかうように半ば寂しそうにそう言うことがある。


「どこにいるの? いつも」


 縁は答えずに目を閉じる。


 自分の心は、いつも苑の側にある。

 苑がいる時はまとわりつき、遠くにいる時は苑のことばかり考えている。

 物心ついたときに心の中心に据えられた「神さま」……苑と、ずっと一緒に生きている。



 2.


「縁、僕は、神さまのお婿さんになるかもしれないよ」


 十五歳の初夏、出会った時から変わらず足しげく禍室にやって来る里海がそう言った。


(そのうち、彼女は君のところに来るよ)

(婚礼の前には、『穢れ払い』をするからね)

(君の下に穢れを払いに来る)


 里海の言葉が、まるで夢の中で聞いているかのように不明瞭に心に響く。


 本当に来るのだろうか?

 苑が「禍室」に。自分の下に。

 自分のことを知らない、同い年の苑が。


(縁、少しだけ離れるけれど……また戻ってくるわ)

 最後に別れるときに苑に言われた言葉が、胸に響く。

(十五歳の夏、また会いに来るわ。縁)


 記憶の中で、苑が優しく微笑んだ。


(あなたを迎えに来るから)



 3.


 里海との内々の婚約が決まった苑を「禍室」に迎える日、縁はひどく平静な気持ちで準備を整えた。


 色々と考えた上で、心は決まった。


 これから会う苑は、自分のことを知らない。

 苑は昔、「夏休みを二人で一緒に過ごし、付き合うことになった」と言っていたが、自分が何事か言い出さなければそんな展開にはならないだろう。

「穢れ払い」は適当に誤魔化し、すぐに家に帰そう。

 そう決めた。


 そう決めると、今までの期待と焦燥と不安のせめぎあいからくる苦しさが嘘のような、ひどく穏やかな気持ちでその瞬間を迎えることが出来た。

 それでも恐る恐るといった感じで引戸を開け、単衣だけを纏った体を緊張で強張らせて自分の目の前に座った苑を見ていると、涙が溢れそうになった。

 自分に向ける驚愕と感嘆の眼差しが、目の前の苑は、自分のことを知らないのだ、とはっきりと突きつけてくる。


 それでも、嬉しかった。

 苑と、また出会えたことが。


「客」として口上を述べた後、苑は心配そうに縁の顔を覗き込んだ。


「あの……どうかしたの?」


 縁は俯いたまま、僅かに首を振る。

 それからなるべく優しい仕草で、苑の手を取った。

 苑は僅かに驚いたような顔をしたが、逆らうことなく、縁に手を預けた。

 縁はその手を優しくしっかりと握りしめる。


「悪い……。少し、こうしていていいか」


 聞かれて、苑は縁の顔を見つめたまま頷いた。


 そうしていると、懐かしい苑の温かさと優しさが穢れた禍室の中に流れ込んでくる。

 自分は今よりずっと子供で、苑が与えてくれた無償の優しさや愛情に何ひとつ返すことが出来なかった。

 苑の優しさに甘えて、自分の中のやり場のない辛さや寂しさをぶつけてばかりいた。


 少しでいい。

 苑が自分にくれたように、何かを返したい。


 縁はそんな思いを込めて、薄暗い禍室の中で、苑の手を握り続ける。

 祈るように。

 しばらくして、縁はそっと手を緩めた。


「これで終わりだ」

「……え?」


 怪訝そうな表情を浮かべる苑に向かって、縁は柔らかな笑みを向ける。


「穢れはちゃんと祓ったから、大丈夫だ」


 縁は少しだけ躊躇ってから、触れるか触れないかくらい、指先で軽く苑の焦げ茶色の髪を撫でた。


「暗いから世話役に送らせる。気を付けて帰れよ」


 苑は伏せられた縁の顔を、生真面目な顔つきでジッと見つめた。

 やがてゆっくりと立ち上がると、部屋から出ていった。



 4.


 縁は薄暗い禍室の中で、一人になった。

 これで良かったのだ。

 何度も自分に言い聞かす。


 あいつはここから出て行って、外の世界へ行く。

 俺の「神さま」は「神さま」じゃなくなる。

 自分の穢れを自分で引き受けて生きていく。

 それでいいんだ。


 それでも寂しさに、胸が締め付けられそうな気持ちになる。

 泣き出したくなるような気持ちになり、紅を刷いた唇を噛んだ瞬間、禍室の入り口が音もなく開いた。


 縁が顔を上げると、そこには先ほどと同じように単衣を纏ったままの苑が立っていた。

 苑は呆然とした顔をしている縁の前に、膝をつき、その顔を覗きこんだ。


「いなくなれって言ったら、その時はいなくなって欲しくても、しばらくしたら戻ってこい、ってことでしょう?」


 縁の瞳が驚愕で大きく見開かれる。


(『いなくなれ』って言ったら、いなくなるなっていうことなの?)


 幼いころ、自分の側にずっといた大人の苑の、生真面目そうな表情が目の前に浮かんだ。


(そうね……。私、何も知らなかった、縁のこと)

(これからはちゃんと俺のことを分かれよ)

(ずっと一緒にいるんだからな)


 縁が何も言わないので、苑はふと不安げな顔になった。縁の表情を伺うように、首を傾げる。


「戻ってくるのが……早すぎた?」


 縁は、表情を見られないように俯く。


「馬鹿……遅すぎだ」


 縁のか細い呟きに、苑は笑った。


 それから薄闇の中で、おずおずと禍室の装いをした縁に体をつける。

 縁は戸惑ったように顔を赤らめ、苑のほうを見た。


「な……何だ?」


 苑は上目遣いで縁を見て、闇に溶けてしまいそうな微かな声で言った。


「穢れ払い……しないの?」


 恥ずかしそうに目を伏せた苑と同じくらい顔を赤くしながら、縁は言った。


「さ……さっき、した、だろ……」


 苑は縁の言葉には答えずに、再び目線を上げて縁の整った容貌を見る。

 縁はその眼差しの引力に逆らえなくなったかのように、目をそちらへ向けた。

 苑は小柄な体を震わせ、瞳を僅かに潤ませながら、微かな声で囁いた。


「……私とそうなるの……嫌?」

「い、嫌……ってわけじゃあ……」


 縁は、苑の小刻みに震える体に手をかける。触れた部分から、柔らかさと温かさが伝わってくる。

 自分のことをジッと見つめる苑の顔から、縁は目を逸らした。


「苑、俺は……色々な穢れを受けている。多分、お前は後で……後悔する。俺とそうなったことを……」


 薄暗い闇の中で、苑はしばらく黙っていた。

 だがやがて、縁の首にしがみつき、唇に唇を寄せた。

 苑は縁に口づけし、頬を撫でながら囁く。


「……あなたがもし穢れているなら、その穢れが欲しい」


 苑は縁の体を強く抱き締めた。


「あなたの全部と一緒にいたいの」


 それを聞いた瞬間。

 縁は大きく瞳を見開いた。


 しばらく苑の顔を見つめた後、縁は苑の体を強く抱き締め唇を重ねた。

 夢中で口づけを繰り返しながら、苑の体を床の上に倒し、もどかしげに単衣をはだけさせ体を愛撫する。


「縁……」


 激しくなる縁の動きに体を動かして応えながら、苑は囁いた。


「あなたのことが好き」


 顔を上げた縁の両頬を捕らえて、苑は微笑んだ。


「たぶん、ずっと好きだった。あなたのことを知らないときから」


 そう言うと、苑は口づけを受けるために目を閉じた。



★次回

神さまを信じるルート

「第75話 魂恋・6(縁)~宝物~」

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