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第71話 魂恋・2(縁)~俺のこと、わかれよ~

1.


「稽古」をした日は、よく苑に抱き締めてもらったり、膝枕をしてもらったりして甘えて慰めてもらった。


「何であんなことをしなきゃいけないんだ」


 縁が泣きながら訴える内容を聞くと、苑は自分自身が痛みを与えられているかのような辛く悲しそうな表情をした。


「こんなところ出て行きたい」


 縁は苑の顔を伺いながら、そう言う。

「外の世界に出て、二人でずっと一緒に暮らそう」と答えてくれないかと期待しながら。

 だが苑は何も言わず、ただ慰めるように縁の体を抱きしめ、頭を撫でるだけだ。


「女の恰好をするのも、化粧をするのも全部嫌だ。あと他のことも……気持ち悪くて……すごく嫌なんだ」


 縁の訴えるような言葉にも、苑は何も言わない。

 縁は飛びすさるようにして苑から離れると、涙で汚れた顔のまま、苑の顔を睨みつけた。


「苑、お前、何も出来ないじゃないか! 何が『神さま』だ。お前のせいで、俺はこんな目に合っているのに!」


 泣きながら叫ぶ縁の声を、苑はただ黙って悲しそうに聞いている。

 その顔を見ていると、どんどん苛立ちが大きくなり爆発しそうになる。強いられている理不尽な物事に対する怒りや憎しみを、全てぶつけたくなる。


「俺の母親がおかしくなったのだって、お前のせいだ。お前がいなければ、あいつもあんなにおかしくなくって……普通の母親だったかもしれないのに! 俺だって他の奴らみたいに普通だったかもしれないのに。俺がこんなところにいなきゃいけないのも、全部全部お前のせいだ! お前なんか大嫌いだ! どうせ何も出来ないくせに! 消えちまえ!」


 縁は泣きながら、苑の体を叩き、部屋から追い出すように体を押す。

 苑はほとんど逆らわず、痛ましそうな表情で泣き続ける縁のことを見つめ、不意に消えた。



 2.


 縁はしばらくその場で声を上げて泣き続けた。こんな風に毎日が続くのだ、と思うと辛くて仕方がなかった。

 一方でこうして泣き続けていれば、苑がいつものように懸命に慰めてくれるに違いない、とその言葉を待っていた。

 苑が何を言ったらこんな風に答えよう。

 この怒りと辛さをぶつけて、泣きわめいて苑を困らせてやろう。

 そう思っていた。


 だが、いつまで泣いても苑の声は聞こえず、何より側にいる気配がないことに、縁はその時ようやく気付いた。

 縁は泣くのを止めて、部屋の中を見回す。


「苑……?」


 広いリビングの中に、テラスからの風が吹き抜けた。

 縁はテラスの前に置かれた籐の長椅子から起き上がり、立ち上がった。

 最初は苑がどこかに隠れているのではないかと疑うように用心深げに、やがてどこにもいないと分かると必死になって部屋中をあちこち探し出す。


「苑? 苑?! おい! 苑!」


 縁は真っ青になって、リビングに続いている洋室、浴室やトイレと必死になって探し回った。テラスに出て、ついでそこから一階の庭も覗いてみたが苑の姿は見えなかった。

 やがて探し疲れて、縁は長椅子に倒れこんだ。

 悲しみと悔恨が胸を痛いほど締めつけて、涙が止まらなかった。


 顔を伏せて泣き続ける縁の頭に、誰かがそっと触れた。

 縁は泣くのを止め、その手の感触を味わう。

 温かく優しい手つき。

 こんな風に自分に触れるのは一人しかいない。


「苑!」


 縁は起き上がり、苑の体にしがみつくと感情を爆発させるように泣き出した。


「お前、どこに行っていたんだ! 何で急にいなくなるんだよ!」

「ごめんね……」


 苑は戸惑ったような顔をしながら、自分の胸の中で泣く縁を抱きしめた。


「縁が……私にいて欲しくないのか、と思ったから……」

「馬鹿!」


 縁は叫んだ。


「消えちまえって言ったら、いなくなるなってことなんだ! 何でそんなことも分からないんだ!」


 縁の言葉に、苑は驚いたように瞳を軽く見張った。泣き続ける縁に、苑は問いかける。


「『いなくなれ』って言ったら、いなくなるなっていうことなの?」

「当たり前だろう! そんなの!」

「そうだったの……」


 苑は何か得心がいったように、目を伏せて微かに頷いた。



 3.


 しばらくしてようやく泣き止んだ縁は、苑の膝の上に頭を乗せ、また消えないか不安に思っているかのように腰に腕を回してしがみつく。


「苑……、俺はお前に色々と言うことがあるけど、お前は『神さま』だから我慢しなきゃ駄目だからな」


 縁はひどくつっけんどんな、だがその奥で自分の言葉を受け入れてくれるか不安に思っているかのような僅かに臆病さがのぞく声で、念を押すように言った。


「俺はお前のせいで、色々我慢しているんだからな。お前も俺に我慢しておあいこだぞ」


 縁は自分が口に出した言葉がいかにも筋が通って聞こえることに、満足したような顔をする。

 苑は生真面目な顔つきで頷いた。


「わかったわ、縁」


 縁はやっと安心したように笑い、勢いづいて言葉を続けた。


「さっきも言った通り、いなくなれって言ったら『いろ』ってことだからな。いや、その時はいなくなって欲しくても、しばらくしたら戻ってこいってことだ。嫌いって言ったら、そうでもない、って意味だぞ。嫌いな奴にわざわざ嫌いとは言わないからな」


「そうだったの……」


 自分の言葉に苑がいちいち感じ入ることが嬉しく、縁は得意げに言った。


「そうだ。お前、大人のくせに何も知らないんだな」


 苑はどこか遠くを見るように視線を上げて呟いた。


「そうね……。私、何も知らなかった、縁のこと」

「これからはちゃんと俺のことを分かれよ。ずっと一緒にいるんだからな」


 縁がそう言うと、苑は嬉しそうに笑った。


★次回

神さまを信じるルート

「第69話 魂恋・3(縁)~約束~」

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