第63話 罪悪・3(苑)~ごめんね、一人にして~
1.
二人はかなり長い間、歩いた。
月と星の灯りしかなく、屋敷からはだいぶ離れたが、縁はまったく迷うそぶりもなく薄暗い道の中を歩いていく。
敷地の中でも屋敷から離れた整備されていない場所は、苑でさえ来たことがない場所が多かったが、縁はまるで知り尽くしているかのように歩き続けた。
2.
「こんな遠くまで来たことがなかったわ」
歩く間、縁は今いる場所にはどんな草木が生えていて、どんな虫が多くいるのか事細かく説明した。
最初は他に話すことがないから、とでも言いたげな面倒臭げな口調だったが、苑が感心して熱心に耳を傾けるので、徐々に夢中になって話し始めた。
草花や虫や天体のことがとても好きなのだ、ということがその話を聞いているだけで伝わってきた。
「私も花や植物が好き」
苑は思わずそう言った。
「高校の時は園芸部に入っていたの。ほとんど一人しかいないような部だったけれど、紅葉とか他の友達も手伝ってくれたりして、楽しかったな」
縁は苑の笑顔を見つめていたが、苑が顔を上げると僅かに瞳をそらした。
「そんな感じがする」
縁に手を引かれ、話を聞きながら歩いていると、徐々に不思議な気持ちになってきた。
ずっと昔、こんなことがあったような気がするのだ。
自分の手を引く縁も、ふとした瞬間に、二十三歳の青年ではなく十代半ばの少年のように思えた。
急に視界が広く開けた場所に出た。
そこは森に囲まれた、広大な野原のような場所で、空には降り注いでくるかのような満天の星空が広がっていた。
余りに美しい光景に、苑は言葉を失った。
「不思議ね。ずっと住んでいた場所なのに、こんな色々なものがあるなんて知らなかったわ」
しばらく目の前に広がる景色を見つめたあと、苑はそう呟いて、隣りに立たずむ縁のほうへ瞳を向けた。
その瞬間、驚いて目を見開く。
隣りにいたのは、二十三歳の縁ではなかった。
いつも夢想の中で見る、あの少年だ。
広い野原で一人ぼっちで座って星を見上げている、十代半ばの縁。
少年の姿の縁は、星空から目を離し苑のほうを振り返った。
「何でここから出て行ったんだ」
縁は苑の顔を睨みつけた。
「お前は無責任だ。自分だけ何もかも放り出して、ここから出て行って。後に残された人間のことを、何も考えなかったのか」
苑が何も言えず立ち尽くしていると、縁は目を伏せた。
「……俺のことは、お前、何も知らないのか。何も知らなくて……だから、ここに置き去りにしたのか」
「ご、ごめんなさい……」
苑は思わず呟いた。
縁は恐らく、自分がひどく怒り、憎しみと恨みのこもった刺すような視線で苑を見ていると思っているのだろう。
だが苑の目には、少年がひどく寂しげで今にも泣き出しそうに見えた。
細い肩が震えているのを見ると、胸が憐憫で強く締め付けられた。
縁は苑を責めるように、激しい口調で言った。
「お前、本当に、俺のことを何も知らないのか? 何も? 俺のことなんか一度も考えたことがなくて、ここで会わなかったら、一度も会わずに、二度と来ないでいなくなろうとしていたのか?」
「縁……」
「俺はずっとお前のことを考えていた」
縁は強い眼差しを、苑の顔に向けた。
「お前のことをずっと考えて、お前のことをずっと憎んできた。俺の人生を滅茶苦茶にして、俺を踏み台にして幸せに生きているお前が憎くてたまらなかった。『神さま』は必ず、俺のところに来るはずだ。俺は『神さま』のために、全てを犠牲にしているんだから。俺のところに来たときに、今までの恨みをぜんぶぶつけて罵ってやろうって、ずっとそう思っていた。それだけが……俺がずっと憎んできたお前が、俺のところに来る日だけが、俺にとっては生きていく支えだったんだ」
苑を見つめる縁の瞳は震え、目元には涙が溜まっていた。
まるで星みたいだ、と苑はその美しさに魅せられながら思った。
「それなのに……!」
縁は震える声で叫んだ。
「何で来てくれなかったんだ! 俺はお前のことを、ずっと待っていたんだ。お前が俺を置いて出て行ったときも、そんなはずはない、必ず俺のことを思い出して、迎えに来るはずだ、ってずっとそう思っていたんだ。お前がこんなところに俺を置いていくはずがないって……」
苑は顔を伏せて体を震わせ始めた、縁の体を背を伸ばすようにして抱きしめた。
「縁、泣かないで。お願い……」
縁の体が不思議と小さく感じられ、小柄な苑の腕の中にすっぽりと納まるように思えた。
苑はその小さな体を強く抱きしめ、宥めるようにその背中を撫で続けた。
「ごめんね、縁。迎えに来るのが遅くなって……。ごめんね、ずっと一人にして」
★次回
あなたに会いに行くルート
「第64話 罪悪・3(苑)~罪~」




