第61話 罪悪・1(苑)~里帰り~
★直前ルート★
「第二章 原型(苑)~あなたがいないルート~」
1.
生まれ育った屋敷の最寄りのターミナル駅の外に出ると、苑は辺りを見回した。
駅前は開発され、近未来的な外装になっており、人を待つ車が何台も止まっている。
少し遠くのほうに目を向けると、霞むように山の連なりが見えた。
「苑さん!」
待ち合わせ相手は、すぐに見つかった。
苑の名前を呼ぶと、頭上で大きく両手を振り駆け寄ってくる。
「紅葉!」
苑が荷物を持って走り寄るより先に、紅葉が苑の手を取った。
「苑さん、会いたかったあ!」
「久し振り」
二人は両掌を合わせ、喜びの笑顔をかわす。
2.
九伊の本家を出て東京で大学に通っている苑と、大学を卒業したあと、地元で就職した紅葉が会うのは一年ぶりだった。
毎年夏、苑が一人暮らしをしている東京に紅葉が遊びに行っていたが、今年は苑が地元に帰ってきたのだ。
「さっ、行きましょう」
紅葉は苑の荷物を半分持つと、少し離れたところに待つ車に向かって歩き出した。
「お嬢さま、お久しぶりです」
車の前にいた四十前後の女性が、柔らかい笑顔を苑に向ける。芯の強い表情が、どこか紅葉に似ている。
「いつも紅葉が東京でお世話になって、ありがとうございます」
「郁美さん、お久しぶり」
女性の言葉に、苑は僅かに頬を染めて顔を伏せた。
「『お嬢さま』はちょっと……。苑って呼んで欲しいな」
「そうよ、お母さん。苑さんはもう、九伊家を出たんだから」
苑の代わりに、紅葉が母親に抗議する。
紅葉の母親……三峰郁美は、微笑みながら頭を下げた。
「そうだったわね、ごめんなさい」
三人で荷物をトランクに入れると、郁美は運転席に、苑と紅葉は後部座席に並んで腰かけた。
3.
東京での苑の生活や紅葉の仕事の話でひとしきり話が咲いたあと、話題は現在の九伊家の様子に移った。
(お前がこの家から……九伊から離れたがっているのは分かっている)
(お前の父親としては、お前をここから出して自由にしてやりたい)
(お前が本当にここを出たいなら、結婚せずともそう出来るように手を尽くそう。どうだ? 苑。九伊から……この屋敷から出たいのか?)
高校三年生の時、九伊の当主だった父親は、そう言って苑を九伊家から出してくれた。
この話をした後から、比較的回復していた父親の体調は、段々と悪化していった。
まるで、苑を外に出すために全ての力を使い果たしたかのように、苑が東京に出る直前に息を引き取った。
その後、本家がどうなったのか、父親が亡きあと、誰が九伊の本家を継いだのか、苑は紅葉の話を通してしか知らない。
(それについては少し聞き苦しい話がある)
父親はそう言っていた。
(九伊を出て行くと決めているのならば、お前が聞いても仕方がない話だ。聞けば、ますます一族のことに囚われる。『必ず出て行く』と決めたならば、外のことだけに目を向けなさい)
一般的に考えれば、いくら縁を切ることを決め外の世界に出たとはいえ、家のことに丸きり関わらず関心も示さないというのは、考えられないことだろう。
だが、それくらい徹底して心を切り離しておかないと、ふとした瞬間、「九伊家」というものが自分の中に入り込み、いつの間にか内部を喰われつくしまう。
外見は自分でも、自分ではない「何か」になってしまう。
そういう恐怖を、苑はずっと持ちながら育ってきた。
それは恐らく九伊家でも本家に生まれた者にしかわからない、自分の中に、自分よりももっと巨大で得体の知れない存在が巣くっていることに対する恐怖なのだ。
父親にはそれが分かっていた。
(そうでないと……私のようになる)
だから、二度と戻るつもりはない。
大学を卒業して薬剤師の試験に受かった後は、東京で働いて一人で生きていく。就職先も、希望していた公立の病院に決まっている。
父親の跡を継いで新しく当主となった人間にそのことを伝え、権利の放棄など後で問題になりそうな全てのことを片付け、完全に縁を切るつもりで帰って来たのだ。
郁美を始め幼いころから世話になっている家内の人々や、親戚の中でも親しくしていた人には別れの挨拶もしたい。
「苑さんは、旦那さまに会っていかれないんですか?」
郁美の言葉に、紅葉の仕事の話をうんうんと聞いていた苑は顔を上げた。
郁美が「旦那さま」と呼ぶのは、苑の父親の跡を継いだ九伊家の現在の当主だ。
「とてもお綺麗なかたよ。年齢は紅葉と苑さんと同い年で。紅葉なんて、初めて会ったときは、見とれて挨拶も出来なかったのよね」
「お母さん!」
紅葉は顔を赤くして、怒りの声を上げる。
「余計なこと言わないでよ。縁さまは確かに顔は少しいいけれど、無愛想でいっつも不機嫌そうで態度が悪くて、私は好きじゃないっていつも言っているじゃない」
「そうだったっけ? その割には家にいるときは、いつもそわそわしていない?」
「していません!」
笑っている母親の顔を、紅葉は睨みつける。
「お母さんこそ、『美形は目の保養だ』とか言ってるじゃない」
「縁さまって、ただ綺麗っていうだけじゃなくて雰囲気があるというか、独特の色気があるのよね。浮世離れしていて」
紅葉は、微笑ましそうに親子のやり取りを見つめていた苑のほうへ、勢いよく顔を向ける。
「苑さん、私、いつも言っていましたよね。新しく当主になった縁さまって、お高くとまっている感じがして嫌な奴だって。苑さんとは大違いですよ」
「うん、そうね」
苑は強いて逆らわず頷いた。
紅葉は、大学を卒業し寮を出た後、九伊家で郁美と一緒に暮らしている。
そのため、現在の九伊家の様子については、苑よりもずっと詳しい。
郁美は紅葉が中学生のころから九伊家で働いているため、今では古株の雇用人の一人だ。
高校を卒業した後の五年間、一度も故郷に戻ったことはないが、紅葉からの連絡を通して現在の九伊家の様子は何となくは聞いている。
苑の父親が死んだあと、九伊家を継いだのは「縁」と言う苑と同い年の人物だった。
苑が知っている限りでは、九伊の分家にそういう人物がいた記憶はない。
父親が「聞き苦しい話」と言っていたことを考えると、九伊の本家に近い血筋だが何らかの理由で外に出された子供だと考えるのが妥当だ。
今に至るまで分家筋がうるさいことを言ってこないのは、新しい当主がそうとう本家に近い血筋の人間か、父親が綿密に根回しを行ったか、恐らくその両方の要因が重なっているに違いない。
紅葉は九伊の話になると、「縁」の文句ばかりを言うので、苑は会ったことのない現在の当主についてだいぶ詳しくなっていた。
年齢は苑と同い年で、女性と見間違うくらい美しい容姿を持っている。
極度の人嫌いで、屋敷ではほとんど自室に引きこもって姿を見せない。廊下で行きあっても、紅葉のことなど目にも入らないかのようにほとんど無視して通り過ぎていく。
たまに親戚のうちの何人かが訪ねて来ることがあり、その中には苑の婚約者だった里海も入っている。
「苑さんや前の旦那様ほど気安いかたではないけれど、うるさいことは一切言わないし、ご自分の身の回りのことはご自分でされるし、面倒のないかたよ」
郁美の言葉に、紅葉は不満そうに口を尖らせた。
「うるさいことを一切言わないというか、人に関わらなすぎよ。屋敷にいる人間は、全員お手伝いロボットか何かだと思っているんじゃないの」
「紅葉は、お声をかけてもらえなくて寂しいのよね」
「お母さん! いい加減にしてよ」
紅葉が半ば本気で怒ると、郁美は肩をすくめて口を閉ざした。
苑は少し笑ってから、窓の外の風景を眺める。
見えてきたのは、苑が生まれてからずっと慣れ親しんできた、屋敷の周りの生まれ故郷の風景だった。
★次回
あなたに会いに行くルート
「第62話 罪悪・2(苑)~会えなかったあの子~」




