第59話 揺籃・17(縁)~一緒にいてくれ~
1.
縁はその後、長い時間をかけて苑に今までのことを話した。
全てを話すにはかなりの勇気が必要だったが、苑が手を握ったまま真っ直ぐな優しい眼差しで見守ってくれていたために、何とか最後まで話すことが出来た。
「ごめんね、縁。今まで何も気付かなくて」
苑は縁の震える手を両手で包み、おし抱くように額の前に持ってくる。
「……ううん、違う……。私、気付いていた。ちゃんと見れば分かることなのに。気付かないふりをして、縁を置いてきぼりにしていた……」
苑は静かに呟いた。
「……里海さんの言う通りだわ」
「私は《《いつも》》、見えないふりをして縁を苦しめた」と苑は言った。
「里海……?」
縁は、自分の手を握り締めている苑のほうへ、不審そうな眼差しを向ける。
「里海に何か言われたのか?」
苑はゆっくりと首を振る。それから強いはっきりとした口調で言った。
「これからは何があっても、縁を一人で置き去りにしたりしない」
「苑……」
縁は涙がこぼれそうになるのを誤魔化すように、瞳をしばたかせる。
しばらくして感情が治まると、縁は半ば照れたように半ば強い意思をこめて言った。
「俺、お前の父親に話して、お前とのことを認めてもらうように頼んでみる」
苑は驚いたように、縁の瞳に浮かぶ強い光を見つめた。
縁はやや顔に翳りを浮かべる。
「たぶんお前の父親は、許してくれないだろう。そうしたらさ……」
縁は自分の性急さを押し留めるように、言葉を飲み込んだ。少し躊躇ったあと、思い切ったように言う。
「俺と一緒に……あの家を出てくれないか。……大変だと思うけれど」
縁は顔を上げて、目元を緊張で赤らめて言う。
「苦労させるかもしれないけれど、頑張って働くから。俺と一緒に外の世界で生きてくれないか」
苑は、瞳を大きく見開いた。
その顔にまず驚き浮かび、次いで強い喜びと巨大な幸福へと切り替わっていく。
苑は縁の首にしがみついた。
その小柄で柔らかな体を抱き締めながら、縁は苑の耳に囁く。
「苑、本当に俺でいいのか……?」
苑は縁の腕の中で、何度も頷いた。
「私は……縁の子分なの……」
(お前は今日から、俺の子分にしてやる)
「初めて会ったときから、これから先もずっと」
縁は苑の言葉を聞くと、抱く腕に力を込めた。
「お前……そんな何もかも真に受けるな。子分なんて……子供だからそう言うしかないだろう」
縁は初めて、苑に会ったときのことを思い出した。
縁にとって苑は、会う前からかけがえのない存在だった。
「お前のことが好きだ、苑。俺とずっと一緒にいてくれ」
本当は出会ったときから、そう言いたかったのだ。
「高校を卒業したら家を出て、結婚して欲しい」
縁の言葉に、苑は何度も頷いた。
二人は離れていた長い年月を埋めるように、ずっとそうしていた。
2.
里海との別れ話はかなり難航するだろう、という縁の予想を裏切って、里海は穏やかな表情で縁の話を聞いた。
「苑さんが婚約を断ってきたからね。そんなことだろうと思った」
苑からの通告は激烈であり、「二度と自分の前に顔を出さないで欲しい」という言葉が婚約破棄の言葉に添えられていた。
「里海、俺はお前のことは好きじゃないし、お前がしたことは許せない。でもお前が俺のことをそれなりに考えてくれていたことはわかっていたのに、わざと傷つけたことは悪かったと思っている。これで終わりにして、今後は関わらないで欲しい」
里海はしばらく黙った後、言った。
「君がそうして欲しいと言うなら、もちろんそうするよ。僕は君を愛しているからね」
「でもね」と里海は、ひどく静かに笑った。
「君はまた、僕のことを必要とすると思うな」
縁は悠然とした笑みが浮かぶ、里海の顔から目を逸らして強い口調で言った。
「そんなことはない」
里海は最初出会ったときのように、自分のほうへ目を向けない縁の姿をゆっくりと観察した。
そして笑いながら言う。
「あの女には、君のことはわからないよ。『神さま』だもの。人の心がないからね」
縁が返事をしないことを予想していたかのように、里海は言葉を続けた。
「僕は君のことがわかっている。君が何を考えていて何を求めているのかを」
縁は立ち上がった。
「話は終わりだ」
自分の顔を見ようとせず足早にドアに向かった縁の背中に、里海は声をかけた。
「何かあったらいつでも連絡してよ、縁。いつでもね。待っているから」
「お前に、連絡なんてしない」
縁は里海に背中を向けたまま叫んだ。
里海の「待っているよ」という奇妙なほど優しい声を断ち切るように、縁は急いで部屋から出てドアを閉めた。
★次回
神さまと育つルート
「第60話 揺籃・18(縁)~復讐~」




