第58話 揺籃・16(縁)~絆~
1.
高校三年生になる頃には、縁の表向きの評判はひどく悪くなっていた。
「誘われれば誰とでも寝る奴」という噂が校内中に蔓延しており、色々な人間と頻繁にトラブルを起こした。
彼女を取られた男が怒鳴りこんできて、結局、その男とも関係を持ち、しつこく付け回されたこともあった。
それでも学校から放り出されなかったのは、まがなりにも「本家から預かっている」という意識が学園側にあったからだろう。
「一颯、何とか忠告出来ないの?」
見かねた紅葉が一颯を呼び出し、こっそりとそう言ったことがある。
「本人の問題だからな」
一颯は普段と変わらない、平静な口調で答えた。
「思い込んだ人間は怖いからほどほどにしておけよ、とは言ったけれど」
「それだけ?」
紅葉は呆れたように言った。
一颯は少し考えてから答える。
「縁には縁の事情があるんだろう。俺に決められるのは、俺が縁と友達でいるかどうかだけだからな」
縁からは幾度か「俺といると、お前まで変な目でみられるぞ」と言われたことがある。
縁の対象が性別を問わないために、「縁と付き合っているのではないか」という目で見られることもあった。
一颯は、そういう周りの目は意に介さなかった。
「離れたくなったら、勝手に離れるよ」
一颯の淡々とした言葉に、紅葉は半ば呆れたように半ば感心したような顔をする。
「一颯って冷たいのか熱いのかわかんない」
「別にどっちでもないだろ」
一颯は肩をすくめて答えた。
2.
縁は相変わらず、時間がある時は二階の窓から苑の姿を見ていた。
苑の動きは毎日、まったく変わらなかった。
まるで決められた宗教の儀式を行っているかのように、だいたい同じ時間に同じ格好でやって来て首にタオルを巻き、帽子を被り、軍手をはめて、道具を手早く広げた。
そうして丁寧に作業を始める苑の姿を見ている時間が、唯一、穏やかな気持ちで過ごせる時間だった。
七月も半ばを過ぎたせいか陽射しが強く、ひどく蒸し暑く感じる。
こんな風に苑の姿を見ることが出来るのも、あと半年か、と思う。
先日、里海に会ったとき、里海は悪い酒にでも酔ったかのような暗い眼差しを縁に向けた。
「僕があの屋敷の主になったら、君を閉じ込めて出さないつもりだ。君は僕の恋人なんだから、少し貞淑にしてくれないと困る」
自分を睨む里海の顔を見ながら、縁は暇つぶしのように考える。
自分といると、里海もどんどんすさんでいくように見える。いや、元々こういう男だったのかもしれない。
それにしても里海の言い分は滑稽だった。
「閉じ込める」も何も、自分は既に閉じ込められているのだ。「禍室」という自分の肉体に。
だから苑の側に行けず、こうして遠くから見ていることしか出来ない。
そう思いながら再び窓の外に目を向け直した瞬間、縁は軽く目を見開いて身を乗り出した。
畑の前で苑がしゃがみこんでいた。小さく丸まった背中は動く様子がなく、作業をしている感じではない。授業が午前中で終わりだったせいか、辺りには人気は全くなかった。
何か考えるよりも早く、縁は外へ行くために走り出した。
外に出て裏庭へ行くと、苑が青ざめた顔でしゃがみこんでいた。
顔から冷や汗が出て、口元を押さえている。
「苑」
縁は苑の肩に手をかけると、顔を覗きこんだ。
「大丈夫か、苑」
苑はそのままの姿勢で微かに頷いたが、すぐに小さな声で言った。
「……気持ち悪い」
熱中症ではないだろうか。
肌を刺す陽射しの強さを感じながら、縁は考える。
「苑、学校の中に行くぞ。歩けるか?」
ふらつく苑の体を支えながら、縁は冷房が効いている屋内に連れて行った。
座り込んで腕の中に顔を埋めている苑に、縁は買ってきたスポーツドリンクを差し出す。
「飲め。良くなるから」
苑は弱々しく頷いて、受け取ったスポーツドリンクを飲み出した。
半分くらい飲むと、顔色が少し良くなったように見えた。
「落ち着いたら、保健室に連れて行ってやる」
苑は冷たいペットボトルを細い首筋に当てたまま、首を振った。
「大丈夫。少し休んだら良くなるから」
苑はしばらくそうして体調が回復するのを待っていた。
やがて落ち着いたのか、縁のほうへ微かな笑顔を向ける。
「ありがとう、縁」
縁は視線をそらした。
「お前な、こんな暑い日に一人で外で作業をするな。……俺がたまたまいたから良かったけれど」
「うん、気を付ける」
苑は微笑んで、手のペットボトルの冷たさを味わうように瞳を閉じた。
それから口を開いた。
「縁、しばらく一緒にいてくれる?」
縁は一瞬躊躇ったが、返事をする代わりに苑の隣りに座り直した。
「昔みたいね」
しばらく無言で座っていたあと、苑が口を開いた。
「いつも一緒にいた時みたい」
縁は苑のほうを見ないまま言った。
「昔とは違う」
「そうなの?」
苑は特に反論する風でもなく、穏やかな口調で言った。
「私にとっては余り変わらないけれどな」
縁は少し黙ってから言った。
「俺は……もう、子供のころの俺じゃない」
「私には、昔のままの縁に見えるわ」
縁は苑の視線を避けるように腕の中に顔を埋め、何とか感情を押し殺した声で呟いた。
「……お前だって知っているだろう。俺がどんな風に言われているか」
縁は腕の中に顔を伏せたまま言った。
「好きでもない奴とでも平気で寝る。みんなが俺がそうなるのが当然だと、ずっと思っていた。今はやっぱり思った通りだったと思っている」
苑は、顔を上げない縁の姿を見つめたまま言った。
「他の人のことはわからないけれど、私にとって縁は変わらないわ、ずっと」
縁が僅かに顔を上げると、苑は嬉しそうに笑った。
「縁は私の親分で、私は縁の一番の子分」
縁は腕の中で小さく笑う。
笑った瞬間に目から涙がこぼれそうになるのを、何とかこらえる。
「そんなの……子供のころの話だろう」
苑は縁の言葉には応えず、穏やかに……だがはっきりとした口調で言葉を続けた。
「親分と子分は、ずっと一緒」
(俺とお前は親分と子分で、ずっと一緒、なんだからな)
「縁がそう言ったのよ、私に」
縁は顔を上げ、青みがかった黒の瞳で苑の茶色い瞳を見つめた。そこには縁自身の姿が映っていた。
「お前だって……」
縁は目の前の宙に浮かぶ見えない文字をなぞるかのように、乾いた声で呟いた。
「俺のことを知れば……俺のことを嫌になる……」
苑は縁の顔を瞳に映したまま、微かに首を振った。
「ならないわ」
縁の肩に手を乗せて、強い口調で言う。
「絶対にならない
苑の言葉を聞いた瞬間、縁の瞳から涙が溢れた。
顔を隠すように伏せた縁を、苑は腕を回して抱き締める。
「苑」
縁は、くぐもった声で囁いた。
「本当に……ならないか?」
「ならないわ」
「どんな俺でも、か? 俺がどんなに穢れていてもか?」
苑は縁を抱き締める手に力をこめる。
「私はどんな縁も好き。ずっと」
縁は顔を上げ、しがみつくようにして苑を抱き締めた。
体を震わせ、声を殺して泣き出した縁を、苑は守るようにしっかりと抱き締めた。
★次回
神さまと育つルート
「第59話 揺籃・17(縁)~一緒にいてくれ~」




