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第56話 揺籃・14(縁)~いつか分かる~

 1.


 里海は六星家の所有の別荘に縁を連れ込むと、耳元で囁いた。


「君が恋人になってくれるなら、僕も君の希望を叶えるよ。本家との婚約は僕からは断れないけれど、結婚しても苑さんには触れない。

 君にとっては、僕が苑さんと結婚したほうがむしろ都合がいいんじゃないかな」


 里海は笑って、柔らかい手つきで無言でいる縁の髪を撫でた。


「君が僕に真心をこめて仕えてくれるなら、ね。君という恋人がいるなら、他の人間に時間を割くなんてもったいないもの」


 縁の細い体を背後から抱き、愛撫しながら里海は言った。


 何かを叫びたかったが声が出なかった。

 体を動かす神経が死に絶えたかのように、体を動かすことが出来なかった。

 里海が体をまさぐる感触だけが、体にヘドロをなすりつけられたかのような不快さを伝えてくる。


「また今度、ゆっくり会おうよ。その時に返事を聞かせて」


 里海は縁の裸の背中に唇を当てて、そう囁いた。



 2.


 屋敷に戻ると縁は着ていたものを脱ぎ捨て浴室に入り、全身に泡をなすりつけこすり続けた。

 どれほど洗っても、自分の体に染み付いた穢れは取れない気がした。


(縁、本家のあのパッとしないお嬢さんのことが好きなの?)


 里海の声が、暗い夜の闇のような心の中に密やかに流れる。


(当主は絶対に許さないよね。九伊の隅っこのほうにいる僕が選ばれたのだって、君とどうにかなる前に手っ取り早く誰かとくっつけておこうって発想だろうしね)


 何がおかしいのか、里海はクスクスと笑いを漏らした。


(まあ、当主からすれば無理もないよね)

(縁、君、『禍室』の務めはまだだったにしても、相当仕込まれているだろう? 反応を見ればわかるよ)

(そんな相手と娘を、なんてね。逆によく引き取ったよ、君のこと)

(それだけで十分、幸運だったんだからさ)

(それに)


 里海の声は手の動きに重なり、縁の白い肌の上を滑る。

 そのたびに意思を裏切り、体が震え、声が漏れる。


(僕は君以外は、どちらかといえば女性のほうが好きだけど、君はたぶん……)

(君が『禍室』だったら、大勢の男が君に狂っただろうな)

(だってさ、今だってこんなに……)


 縁は自分の頭を浴室の壁にぶつけた。何度も何度もそうする。

 この壁も屋敷も、自分の体も全て壊れて跡形もなくなればいい。

 苑も紅葉も一颯も他のクラスメイトも、全てが幻だったかのように、遠ざかって行く気がする。

 後に残ったのは、苑の父親や玖住の蔑みに満ちた眼差し、自分を憐れむような里海の声。


(君は結局は、本家に引き取られて普通に生活をしたって『禍室』なんだよ)

(君がいる場所が『禍室』になるんだ)


 最後に別れた時の母親の姿が思い浮かぶ。


(あなたは禍室よ。まだ務めを果たしていなくとも、本家に引き取られようとも)


 母親は唇を吊り上げて嗤った。


(いつか、わかる時がくるわ、縁。あなたにも)


★次回

神さまと育つルート

「第57話 揺籃・15(縁)~嘘つき~」

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