第55話 揺籃・13(縁)~君は売られたんだ~
1.
「来てくれて嬉しいよ」
数日後の夕暮れ時、縁は屋敷の近くの人目につかない場所にやって来た、里海の車に乗り込んだ。
里海は縁の端整な横顔に、美術品を愛でるようなあからさまな賞賛の視線を向け声をかける。
「お姫さま、どこに行きたいの?」
「気色悪い言い方はよせ」
シートを倒して高級そうなダッシュボードに靴を履いたままの足を乗せた縁は、愛想の無い鋭い声で里海の言葉を遮る。
「電話で話した通りだ。二人で話がしたい」
「嬉しいよ、誘ってくれて」
自分に向けられる里海の言動の不快さに耐えるために、縁は窓の外に視線を向けた。
2.
山あいにある小造だがそれなりに豪華な別荘の駐車場に、里海は車を止めた。
辺りは人気どころか電灯もなく、月明かりが遮られると闇に塗り込めらる。
里海が窓を開けてエンジンを止めると涼しい夜風が車内に流れ、辺りからは虫の声が聞こえてきた。
「本当は、禍室になるはずだったのか。君が禍室だったら、僕は毎日でも会いに行くな」
倒されたシートに腕をかけた里海は、縁の顔を覗き込むようにして髪に手を触れる。
「触るな」
縁は怒りと憎悪に満ちた声で叫んだ。
里海は手は引っ込めたものの、まったくひるむ様子もなく夜闇の中で囁いた。
「怒ったところも可愛いな。毛を逆立てた猫みたいだ」
凄まじい目付きで自分を睨む縁に、里海は言った。
「僕が君にどういう感情を抱いていて、何を求めているかは話したよね? 君はその上で僕の誘いに応じてここにいる。僕が何か勘違いしているのかな? それとももっとおままごとみたいな恋の語らいをして、そのあとのほうがいいの?」
「……お前と取引がしたい」
縁は里海の視線から逃れるように顔を背け、圧し殺した声を唇から出した。
「取引?」
子供から児戯を仕掛けられたかのような優しい声で、里海は言葉を繰り返した。
縁は低い声で言った。
「婚約を断らないなら、お前が俺を誘ったことを苑の父親にバラす」
里海は微かに目を見開いて、自分のほうを見ようとしない縁の固く強張った表情を見下ろした。
そして、不意に笑い出した。
心底おかしそうに笑う里海を見て、縁は怒りに顔を青ざめさせた。
「……何がおかしい」
「ごめんごめん。君が余りに何も知らないからさ」
形ばかり謝罪しながら、里海は夜の中に笑い声を響かせた。
目元にたまった涙を指でぬぐって、里海は縁の顔にさらに顔を近付け、うっとりとしたように夜目にも鮮やかな白い頬を撫でた。
「苑さんのお父さん……本家の当主なら、知っているよ。僕が君を誘ったこと」
里海は縁の頬に唇をつけた。
「今日、僕たちがこうして会っていることも知っている」
「……な」
縁の瞳が驚愕で見開かれる。
信じることが出来ないという風に、血の気のない唇を震わせた。
「『知っている』は言い過ぎかな。でも、察してはいる。どちらにしろ同じだよね」
「ふざけんな、離せ!」
抱きすくめられそうになり、縁はシートの中で必死にもがいた。
しかし長身で既に大人の体を持つ里海と、この世代の少年の中でも小柄で細身な縁では力の差は歴然としている。
里海は縁の体を押さえつけ服の中をまさぐりながら、その気を引くように囁いた。
「本家の当主は、むしろ僕に君と寝て欲しいんだよ」
衝撃を受けたように、縁は動きを止めた。
里海は手の動きを緩め、言葉を続ける。
「『穢れ払い』さ。君はそのための手ほどきを、子供のときに受けただろう」
凍りついたような表情を浮かべる縁の顔を見下ろして、里海は薄く笑った。
「『禍室はなくした』と言っても、やっぱり気になるんだろうね。当主は、苑さんのお母さんは穢れで死んだんじゃないか、と思っているふしがあるし。大事な娘じゃなく、婿である僕が穢れを払ってくれるのであれば、『迷信』に怯える必要もなくなるもの」
里海は動かない縁の頬を優しく撫で、その耳に唇をつけて囁いた。
「あのさあ、縁。君が何で僕と引き合わされたと思っているの? 普通に考えたら、僕と君が顔を合わせる必要なんてないよね?」
縁は凍りつき冷えきった心の奥底で考える。
あれは、苑の婚約者に実際に会わせて、自分の気を挫くためではなく……。
「あんな露骨な品定めをして、周りの人間が気付かないと思う? 連絡先を渡すのだって、あんな古典的な手法でさあ」
数日前のことを思い出したのか、里海はクスクスおかしそうに笑った。
「縁、気付かなかったの? 周りのみんなが、僕が君をどうとでも好きなように扱っていい、って認めていたんだよ。君が僕に人前で辱しめられていたのを、気付いていたのに見ないふりをしていたんだ」
里海は縁の手首を押さえつけ、唇をふさぎながら笑った。
「可哀想に、縁。君は売られたんだよ」
★次回
神さまと育つルート
「第56話 揺籃・14(縁)~いつか分かる~」




