第50話 揺籃・8(縁)~応えて欲しい~
1.
自分が苑に持つ感情を、何と呼んでいいのかどう表していいのか分からない。
苑と出会う前から、縁の心の中には「神さま」が存在していた。
自分たち「禍室」は、「神」を存在させるためにわが身を犠牲にして生きなければならない。
母親から幼いころから呪いのように吹き込まれ続けた言葉を、縁は馬鹿馬鹿しく思っていた。
だがどれほど馬鹿げていると思っても、その教えから逃れることは出来なかった。
まるで鉄鎖によって足首をつながれているかのように。
「神さま」は物心がついた時に母親によって心の中心に置かれ、その後ずっと一緒にいる存在だった。
2.
苑に初めて会ったとき、「神さま」がパッとしない普通の女の子であることに拍子抜けした。
同時に「ずっと自分の側にいたのは『苑』だった」という確信が、何の矛盾もなく心に生まれた。
幼いころ、気が狂った母親の代わりに自分のことを見守ってくれたのも苑だったし、大人たちから強いられた禍室としての作法にどうしようもないほど苦痛と屈辱を感じたときに、慰めてくれたのも苑だった。
自分の境遇に対する八つ当たりめいた呪詛を受け止めてくれたのも苑だった。
「神さま」である苑が自分の心の中から外に出て、同じように自分の側にずっといてくれるのは、縁にとっては不思議な感覚でもあり、当たり前のことでもあった。
「禍室」というのが何なのか、自分がどういう境遇に生まれたのか。
幼いころから自分が教え込まれてきたことにはどういう意味があるのか。
なぜ苑の父親を初め、周りの大人たちは自分を忌まわしい者のように見るのか。
年を重ねて幼いころ見聞きしたことの意味が分かるようになればなるほど、縁はその「意味」に苦しむようになった。
一生、消すことが出来ない烙印を押されたような気持ちだった。
苑が側にいてくれると、大人たちによってつけられた傷痕が優しく慰撫されるのを感じた。
自分がそういった外界の「意味」からしっかりと守られ、心が癒されるようだった。
だが同時に。
いつまで一緒にいられるだろう、と思う。
年月が経つにつれて、自分と苑を隔てる壁がはっきりと見えるようになった。
苑の姿が視える場所にいるときは、壁の外側で息をひそめるようにして苑の気配を捉えている。
その距離がどんどん延びていって、中学に入るころには、苑が気付くことが出来ないひどく遠い場所から苑のことを視ているような気持ちになっていた。
「子供に罪はない」という建前は、小学校を卒業する頃には薄い張り紙のように吹き飛ばされ、その底に潜んでいた大人たちの忌避感や嫌悪がむき出しになった。
縁と苑が毎晩同じベッドで寝ている、ということを知った玖住は、子供を相手にしているとは思えない鋭い語気で縁のことを責め立てた。
「苑に近づくな」とはっきりと言い、怒りを込めた眼差しで縁の顔を睨みつけた。いつも冷静な玖住の変貌を目の当たりにし嵐のような激烈な感情にさらされ、縁は黙りこむことしか出来なかった。
本当は、自分が苑に抱く感情がなぜこれほど嫌悪され「罪」として断罪されなければならないのか、聞きたかった。
それが許されない「悪」ならば、なぜ自分の心から消え去ることがなく、その感情こそが自分そのものであると感じるのか。
「神さま」に応えて欲しかった。
★次回
神さまと育つルート
「第51話 揺籃・9(縁)~嫉妬~」




