第47話 揺籃・5(苑)~ずっと一緒~
1.
夏休みが終わると、縁はいよいよ苑と一緒に小学校へ行くことになった。
縁はいつも通り、学校に行くことなど大して騒ぐことでもない、という風に、気のない感じを装っていた。
が、内心ではひどく緊張し落ち着かない気持ちでいることが苑には伝わってきた。
余り細かく面倒を見ると縁がうるさがり怒るため、努めて口出ししないようにしていたが、内心では縁以上に苑のほうが不安だった。
苑の地方では他の地方でもよくあるように、家族同士もお互いのことを良く知っていて、子供たちもずっと同じ顔触れで過ごすためか、気心も知れていて仲が良かった。
だが同時に、子供というのは変化に敏感で、ひとつの流れが出来てしまうと驚くほど流されやすく残酷になる。
大人たちも九伊家の威光を恐れて外では口には出さないが、家の中では縁の素性についてあれこれ噂をしているかもしれない。
色々な物事が絡まった複雑な環境から縁を自分が守れるか、苑は不安で仕方がなかった。
しかし、事態は苑が考えてもみなかった方向に進んだ。
2.
教師が縁を連れて教室の中に入ると、室内には非日常的な空気が充満した。
子供たちは呆気にとられたような無心の表情で、ただひたすら教師の隣りに立つ縁を姿を凝視した。
教師でさえ少し緊張した様子だった。
「美しさ」というのはただそこに存在するだけで、場を支配するほどの力を発揮することがあるのだ、ということを、その時にまざまざと感じた。
考えてみれば、苑も最初に縁に出会ったとき、その美貌に圧倒されたのだ。
九伊の本家である苑の家に引き取られている、という背景も、視えない「力」になった。
子供たちは最初、縁が纏う「力」に圧倒され休み時間も遠巻きに眺めているだけだったが、クラスの中でもリーダー格である一人が話しかけ、縁がそれに答えるとたちまち人だかりが出来た。
少女のような姿に似合わない縁の傲慢で乱暴な言動は大人には敬遠されたが、子供には……特に男子にはひどく受けが良かった。
ちょうど反抗期のとば口に立っていた少年たちからは、縁の大人の権威を物ともしない態度、時に大人ですら黙らせる頭の回転の速さや無礼さは称賛と尊敬の的になった。
教師たちはそんな縁の態度を苦々しく思っていたようだが、どうせあと一年半の付き合いだと思い放っておくことに決めたようだった。
子供たちの中で地位を築くにつれ、縁の苑に対する態度は徐々に変わっていった。
学校では話しかけられることを嫌がるようになり、「関わるな」「他人のフリをしろ」と厳命されるようになった。
苑の家に世話になっている、という事実が自分の沽券に関わると考えたようだ。
苑のこともクラスの「ちっとも面白くない女たち」の一人として扱うようになり、学校では無視され、通学も一緒にしなくなった。
そのくせ帰り路は、学校から離れた場所で待ち合わせするように言われ、家では今まで通り四六時中一緒にいた。
何故学校では仲良くしてくれないのかと聞くと「家と外では違うだろう」と、苑にはよく分からない答えが返ってきた。
わからない、と言ってしつこく問いただせば、機嫌が悪くなるのは目に見えているので苑は黙っていた。
縁は苑からの問いは簡単に済ませると、少し黙ったあと不機嫌そうに言った。
「お前、青井とよく話しているな」
学校では苑などまるで存在しないかのように振る舞っている縁だが、家に帰ると細かいところまで苑の様子をよく見ていて驚くことがある。
苑自身でさえ覚えていないことを、執拗に問いただされることがあった。
「えっと……」
苑は、いつも通りあやふやな記憶を辿りながら答えた。
「そんなに話していないと思うけれど……」
「いや、話している。今日だって三時間目のあと話していただろう」
そう言われて苑は思い出した。
その前の授業で、わからなかった部分を聞いたのだ。
青井一颯は、他のクラスメイトと同じように小学校一年生のころから一緒の時間を過ごしている、いわば幼友達だ。
一颯は年に似合わない大人びた少年で、周りに流されない独特の雰囲気を持っている。
大人たちからは信頼されており、子供たちからは一目置かれていた。
地元の公立の中学ではなく、苑も行くことになっている九伊の分家が運営する私立学園の中等部に進むことが決まっているため、勉強のことを尋ねたり相談することが多かった。
一颯はただ頭がいいだけではなく、物事を説明することが上手く、また人に対して辛抱強かった。
苑は男子が苦手で関わりを持つことは少なかったが、一颯とはたまに話をした。
「勉強なら先生に聞けばいいだろう」
普段は教師のことを馬鹿にすることが多いのに、苑が「分からないところを聞いていただけだ」と答えると、縁は憤然としてそう言った。
苑が黙っていると、縁も不機嫌そうに横を向いた。
それから不意に言った。
「お前……あいつのこと、好きなのか?」
苑は目を丸くして、縁の横顔を凝視した。
余りに予想しなかったことを言われて、何と答えていいのかよくわからなかった。
ただ休み時間に勉強について少し話しただけなのに、なぜそんな話につながってしまうのか。
苑が余りに驚いた顔をしたせいか、縁は振り向いて言った。
「勉強のことなら、俺に聞けばいいだろう」
「だって……縁、学校では話しかけるなって……」
苑がおずおずとした口調で抗議すると、縁はさらに声を強めた。
「家で聞けばいいだろう」
余りに無茶苦茶な言い分に、苑は困惑して口をつぐんだ。
縁は算数や理科に関しては一颯をしのぐほど成績が良かったが、一颯とは逆に教えることにはまったく向いていなかった。
教わるほうの理解には無頓着で、自分が教えたいことを教えたいように話し、相手がすぐに呑み込まないと怒り出した。人に物を教えるような根気や親切心に、そもそも欠けていた。
苑が何も言わないことが、縁の機嫌をひどく損ねたようだった。縁は半ば怒ったように半ば躊躇いがちに言った。
「お前、大人になっても……ずっと俺の側にいる、って……言ったよな?」
困惑で眉を寄せながらも、苑は頷いた。
苑が頷くのを確認すると、縁は声を荒げた。
「じゃあ、何で青井と話すんだ」
苑は、訳が分からず泣きそうな気持ちで考える。
「大人になっても、縁の側にずっといる」と言ったし、苑は元よりそのつもりだ。
実際に、今も一緒にいるではないか。
縁と一緒にいることと一颯と話すことは、相反することではない。
それなのになぜ縁の中でそれがつながっているのか、どうつながっているのかがわからなかった。
「お前、あんな真面目ぶった奴がいいのか」
縁は少し黙ってから、顔を赤らめて小さい声で付け加えた。
「……お、俺よりも」
縁が息をひそめるように返事を待っていることに気付いて、苑は慌てて首を振った。
「自分には縁よりも好きな人なんて存在しない。父親よりも死んだ母親よりも玖住よりも、学校のどの友達よりも、縁のことが好きで大切だ」と答えると、縁はやっと安心したようだった。
不安そうな光を浮かべていた瞳が、安堵で柔らかく緩む。
縁はホッと息を吐き出すと、ひどく勿体ぶった態度で咳払いをした。
「苑、学校では男同士の付き合いがあるから、女のお前のことを余り構えない。でも、俺はお前のことを一番の子分だって思っているからな。だからお前も……俺がお前の親分なんだ、ってことを忘れるなよ」
縁は苑の顔をジッと見つめて言った。
「俺とお前は親分と子分で、ずっと一緒、なんだからな」
苑が真面目な顔つきで頷くと、縁は苑の手を取り安心したように笑った。
3.
そんな風にして苑と縁は小学校時代を過ごし、春から中学生になった。
中学は九伊の分家が運営する、この地方では文武両道の実績と整った設備で有名な中高大の一貫校に入学することになった。
★次回
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「第48話 揺籃・6(苑)~中学生になった~」




