表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/89

第42話 神室・13(苑)~初めての彼氏~

 1.


 里海が部屋から出て行った後も、苑は部屋の中でジッとしていた。

 そうしていると、すぐに分かった。自分の背後で気配がして、躊躇いがちに自分の側に寄って来るのが。


「里海の奴、好き勝手喋りやがって」


 縁はどう話していいのか分からない、というように、視線の置き所を求めてあちこちに視線をさまよわせた。

 時折、気遣わしげに、俯いた苑の顔を覗きこむ。


 苑は口の端を、少し持ち上げた。

 自分では笑ったつもりだったが、唇が震えてうまくいかなかった。


「里海さんは……縁のことを愛しているから」


 苑は顔を上げて、縁の顔を見つめた。


「縁……私、これからずっと縁の側にいるわ。学校を辞めて、縁とあの家で暮らす。夏の時みたいに。いいでしょう?」


 縁はしばらく苑の顔を見ていたが、やがて優しい笑みで顔を綻ばした。


「駄目だ、苑。もう俺のところには来るな」

「私、縁のことを守るわ。ずっと守る。お願い、一緒にいたいの!」


 縁は優しく、だがはっきりと首を振る。


「もう来ないでくれ。あそこでお前に会いたくないんだ」


 縁を見つめる苑の瞳から涙が溢れた。


「何で……? 何で……? 本家にも私がいるから来たくなくて、あの家でも会いたくないの? 里海さんはいいのに? 何で? 縁、私のことを嫌いになったの? ……それとも」


 苑は、唇から小さな呟きを落とした。


「……元々嫌いだったの?」


(縁が前から、君のことを見守っていたなんて、いくら何でも都合が良すぎない?)

(縁は苑さんのことを、ずっと嫌って恨んでいたし、客観的に見てもそれが自然だと思うよ)

(君のことを、自分と同じ目に合わせてやりたい、ってよく言っていたな)

(そうしたら君はどんな顔をするか、って想像するのが堪らなく面白い、って言っていたよ)


 里海の言葉が、耳の中に木霊する。その響きが嘲笑となって脳内に広がり、頭を割るように内側から叩いた。


 縁は瞳に寂しさを漂わせて呟いた。


「お前はどう思うんだ? 俺がお前のことを嫌っている、と思っているのか?」


 苑は、髪の毛をまとめている花の形をした髪飾りに触れる。

 繊細に編み込まれた金色の細い鎖が微かに揺れて、柔らかな音を立てた。

 縁は脇を向いて言った。


「俺は、『神さま』であるお前を生かすために閉じ込められているんだ、って母親から、ずっと聞かされて育った。俺がこんな目に遭うのは、全部お前のせいなんだ、ってそう思って生きてきた」


 苑に話すと言うよりは、自分の心の中を振り返るような淡々とした口調で縁は話した。


「ずっとお前のことを考えていた。俺がこうしているとき、『神さま』は何をしているんだろう、お前のせいでこんな目に合っている俺のことなんか何も知らないで、のうのうと生きやがって、ってそう思っていた」


 縁は言葉を続ける。


「里海の言う通りだよ。里海にはずっと、お前のことを憎んでいて恨んでいて、いつかここに来るだろうから、その時はああしてやる、こうしてやるってそんなことばかり喋っていた。

 そうすると里海が言うんだ、『君の気持ちは分かるけれど、内気な普通の女の子だよ』とか『学校で頑張っているみたいだよ』とか『植物の世話をするのが好きみたいだよ。意外と庶民的だよね』とか、な。

 そう聞くと、何だかお前が生きている姿が見える気がしたんだ。こんな風なのか、あんな風なのかって色々考えた。他に言う奴がいないから、里海に悪口を喋って、それでまた何やかやお前のことを聞いて」


 縁は苑のほうへ視線を向けた。


「お前のことが嫌いだった。お前に対する恨みとか憎しみとか、そういうものしか俺の中にはなかったんだ。嫌いで憎くて、早くお前が俺のところに来ないかって、ずっと考えていた。それだけを待っていた。お前のせいで俺がどんな目に遭っているか、生まれてからどういう風で、どんな思いで生きてきたか、お前がいかに何も知らないのか、そういうことを全部聞かせてやりたかった。ずっと……そう思っていた……」


 縁は苑の顔を見て、黒曜石のように深い光を放つ瞳を細めた。


「なのに、どうしてだろうな。実際にお前に会ったら、あんなに色々考えていたことが全部頭から吹き飛んだんだ。お前が俺の目の前で笑ったり、勉強したり、俺の言葉に反応して何か話しているのを聞くと、ずっと遠くから見ているだけだったお前が、俺の目の前にいるのが奇跡みたいに思えた。……俺がこうやって生きてきたのは、全然無駄じゃなかったんだ……、お前がまあ、こんなに……可愛いんだから……、お前がこうしているだけで俺の人生は意味があったんだ、ってそう思えたんだ」


 縁は、自分の顔を瞬きもせずに見つめている苑に向かって言った。


「だから……これからも、お前に普通に外の世界で生きて欲しい。お前が元気で幸せに生きている……と思うと、俺の人生にも灯りが点るような気がするんだ……。それが俺の支えで誇りなんだ」


 縁は座っている苑の頬に手を添え、反対側の手で苑の髪にある髪飾りに手を触れた。


「苑……俺をお前の彼氏にしてくれてありがとうな」


 縁は苑の頬を優しく撫でた。


「俺を『禍室』じゃないものにしてくれて、ありがとうな。生まれて初めて『禍室』じゃないものになれた。お前がしてくれた」


 縁は顔を見られないように伏せて、少し笑った。


「俺、お前の中で『初めての彼氏』でいたいんだ。生まれたときから閉じ込められている可哀想な奴でもなく、助けて守らなきゃいけない存在でもなく、変な境遇にいる変わった奴でもなく」

 

 縁は微かに震える声で呟いた。


「『お前のことが大好きだったのに、あんまり素直になれなかった初めての彼氏』で、ずっといたいんだ」

「私にとって、縁はずっと大好きな彼氏よ。いつまでも変わらないわ」


 苑は顔を両手で覆って泣き出した。


「私はあなたに恋している、ただの普通の人間よ! 縁の側にいたい! あなたが好きなの、縁!」


 縁は泣きじゃくる苑の頭を、触れるか触れないかくらいの手つきで撫でた。


「紅葉にも礼を言ってくれ」


 頭に触れる優しい感触が遠ざかるような気配を感じて、苑はハッとして顔を上げた。


「縁?」


 苑、お前と学校で一緒に過ごせて楽しかった。


「縁?!」


 苑は必死で室内の空間を探し回る。


「縁! お願い、行かないで! 側にいてよ!」


 いくら探しても室内には自分の他に誰もいないことが分かると、苑はその場に崩れ落ち泣き出した。


「側にいて……縁……」



 2.


 苑は里海との婚約を続けたまま、正月が明けるのを待ち、寮に戻った。

 学校が始まる前で、まだ人がまばらな寮の中で、苑は紅葉と共に過ごしていた。


「ごめんね、紅葉。付き合わせちゃって」

「いえ……、それはいいんですけれど」


 苑の言葉に、紅葉は探るような気がかりそうな視線を向ける。


「縁さまと……喧嘩でもしたんですか?」


 苑は終業式の後、家に帰ってから縁と会う様子がなかった。

 苑のことを知らない人間には、いつも通り穏やかで物静かな様子に見えているかもしれないが、紅葉は苑の内心がひどく暗く沈んでいることを感じ取っていた。


 紅葉の言葉に、苑は無言で手の中の紅茶の表面が揺れる様子を眺める。

 紅葉は思い切って言った。


「まったく……縁さまも勝手ですよね。最初のうちは、苑さまにべったりだったのに。私にも『苑のことをちゃんと見ておけ』って言ったり、『他の男が苑にちょっかいを出したりしないか見張っていろ』って言ったりいい迷惑ですよ」


 苑はふと顔を上げた。

 おかしそうに微かに笑う。


「そんなことを言っていたの?」


「ようやく苑が少し明るい顔をしてくれた」という安堵をひそかに覚えつつ、紅葉は苑の気持ちを引き立てようと、大げさな口ぶりで言った。


「言っていましたよ~。もう、ほんっとうにうるさいったら。初めて彼女が出来て、舞い上がっちゃって……共感性羞恥、っていうんですか? 見ているこっちが恥ずかしかったですよ」


 紅葉はしょっちゅう自分のところに来ては、苑のことをうるさく話す縁の姿を思い浮かべながら言った。


「縁さまって、黙っていればすごい美形で神秘的なのに……話すと普通のそこらへんにいる男子って言うか、うちのクラスの男どもと大して変わらないですよね。話せば話すほど、落差が凄くて。

 私も最初は、ま、まあ……ちょっとはカッコいいな、とは思いましたけれどね。でも我が儘で甘えたで、いっつもカッコつけて斜に構えていて『苑が俺のことが好きだから仕方ない』とか言っちゃってさ、自分が苑さまのことを大好きなくせに、とか言うとすぐに怒るんですよね。ほんと面倒臭い人ですよ」


 こうして話していれば、「紅葉、お前ふざけるな。好き勝手言いやがって」と怒るために縁が姿を現すのではないか、と思い、紅葉は辺りを何となく見回した。

 しかし部屋の中には、自分が話す声の残響が、微かに残るだけだった。


 紅葉は苑ではなく、もっと遠くの誰かに聞かせるかのような口調で話を続ける。


「私といるときに、いっつも苑さまのことばかり話すんですよ。『苑は意外と鈍臭いから、お前がちゃんと見ていろ』とかね。素直になれなくて、好きな子の悪口を言って、そのくせ好きだから誰かに話したくてたまらないんですよね。メンタルがお子様っていうか」


 紅葉はそこまで話して、唐突に口をつぐんだ。

 縁を悪く言うことに苑が気を悪くするのではないか、という心配が不意に浮かんだのと、「素直になれなくて好きな子の悪口を言って、そのくせ好きだから誰かに話したくてたまらない」という自分の言葉に、何となく顔が赤らんできたからだ。


「す、すみません、苑さま。喋りすぎちゃって……」


 苑は俯いて、膝の中に顔を埋めた。


「……もっと話して、紅葉」


 苑は顔を伏せたまま囁く。


「縁のこと、もっと話して」

「苑さま……」


 苑の声に涙が混じる。


「聞きたいの、縁のこと。もっと……」


(お前、いっつも苑の側にいるもんな)

(俺、お前と一緒に苑を見守っていたようなものだな)

(仲間、っていうか、同志っていうか)


 紅葉は、腕の中に顔をうめて肩を震わせる苑の肩に手を乗せた。

 その小さく細い体に手を回し、宥めるように体をさする。


 不本意だが、お前しかいないから仕方ない。

 俺のぶんまで、苑のことをちゃんと見ていろよ。

 任せたぞ、紅葉。


 聞いたはずがない声が、聞こえるはずのない声が耳に届いた。

 紅葉はその声に応えるように、泣き続ける苑を抱く腕に力を込めた。




(BAD END4 神さまになった/条件①④入手)


(分岐)

 周回する

 →「第七章 揺籃(苑)~あなたと育つルート~」


 八年後、九伊家に戻る→

「第九章 憎悪(苑)~あなたに憎まれるルート~」



※※※


「神室ルート」を完走していただいてありがとうございます。

 いただいたブクマや評価は、大変励みになっております。ありがとうございます。


 次章は、「十一歳のとき、もし縁が九伊家に引き取られていたら?」というifルート、二人が一緒に育つ「揺籃ルート」です。

 引き続き、二人の恋の行方を見守っていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ