第40話 神室・11(苑)~君が羨ましい~
1.
苑は里海の手により強引に車に乗せられ、本家の別棟に連れて行かれた。
客室が集まり、普段はほとんど使われることがない別棟の前では、里海が連絡したのか本家の雇用人たちの中でも特に古くからいる者たちが集まっていた。
2.
苑と二人で応接室に入り向かい合うと、里海は雇用人を下がらせた。
室内の空気は極限状態まで張りつめ、何か少しでも要素が加わった瞬間、爆発し、周囲に在るものすべてを四散させそうだった。
苑は刺すような眼差しで里海を貫く。視線が人を殺せるならば、里海の体は瞬時に八つ裂きになり霧散しているだろう。
「縁の体のあれは……」
苑は嫌悪で身を震わせながら、里海の端整な容貌を睨んだ。
「あなたがやったの?」
里海は、自分の姿を強い光を放つ瞳で食い入るように凝視する苑の顔を一瞥してから、面倒臭げにため息をついた。
「違う。僕じゃない」
「じゃあ、誰が……!」
声を上げようとした苑の顔に、里海は強い視線を向けた。その目に含まれる何かが、苑の口をつぐませた。
「誰が? ……誰がって」
里海は不意に嗤った。
「『客』だよ。僕以外の『客』。全部、話をつなぎ合わせれば、それくらいすぐに分かるだろう?」
里海は、テーブルの上に掌を叩きつけた。
「あなたがそれくらいの理解力がないというなら、はっきり言うけどね、縁は、数えきれないくらいたくさんの人間を相手にしているんだよ。君と会うずっと前からね」
顔面を蒼白にし、全身をガタガタと震わせる苑を、里海は嘲笑を隠そうともせずに眺めた。
「君が暢気に学校に行って、友達と遊んだり勉強したりしている間、ずっと縁は……」
「やめて!」
苑は甲高い叫び声で、里海の言葉を遮った。
震えながら呟く。
「聞きたくない……」
里海は奇妙な眼差しで、苑のことを眺めた。
軽蔑と憎悪が入り混じり、そして決してそれだけでもない感情を込めて、里海は紙のように白くなっている苑の顔を眺めた。
「そりゃあ、聞きたくないなら聞きたくないでけっこうだけれどね、それが事実だから。あなたが聞かなくても、事実は変わらないよ」
「……あなただって……」
吐き捨てるように言葉を投げつけられ、苑は顔を上げた。
「……あなただって、その一人だったんでしょう? 里海さん。縁が閉じ込められているのをいいことに……!」
「別に否定はしないよ。僕は縁が禍室になった頃からの付き合いだからね」
里海は「話しても仕方がない」と言いたげに、肩をすくめた。
「は、恥ずかしくないの……? 人を閉じ込めて、あんな……あんなことを……」
「恥ずかしい?」
里海は憎悪のこもった嘲笑を、苑の顔に叩きつけた。
「何を言っているんだい、苑さん。縁を閉じ込めているのは、君の家だよ? 九伊の本家だ。君のご先祖さまが代々、縁の家をああいう風に扱って、今もそうしているんだ。君は、縁がそうやって生きてきたことも知らずに、自分の家が何をしているのかも知らずに、生きてきたんじゃないか」
里海は日頃の穏やかな態度のどこにそんな感情を隠していたのか、と思うほど、強烈な憎悪に瞳を底光りさせて苑を睨みつける。
「恥ずかしい? 君にだけはそんなことは言われたくないな」
苑は、まるで高熱にうなされているかのように震えながら呟いた。
「私……、私、お父さんに言うわ。こんなこと、許せないって。すぐにやめてって。やめてくれないなら、警察に行くわ。虐待だもの、こんなこと許されないわ」
「許されちゃうんだなあ、これが」
露骨に馬鹿にしたように、里海は笑った。
「苑さん、君のお父さんが縁のことを知らなかったわけがないだろう? それを何年? 縁が生まれてからどころじゃないよ。禍室の風習は、その前から続いていたんだから。君のお父さんは、生まれてからずっと、このことを見て見ぬ振りをしていたんだ。それくらい少し考えれば分かるだろう? どうしちゃったの? 苑さん。賢い君らしくないなあ?」
苑の無知と愚かさを蔑むように、里海は言葉を続ける。
「それにね、君のお祖父さん。君のお祖父さんは、禍室にそりゃあ熱心に通っていたみたいだよ。縁がされていたああいうことを、君のお祖父さんも当時の禍室にして楽しんでいたんじゃない? 人の性癖ってわからないからね。そういうのは、君は恥ずかしいと思わないのかな? 思わないか、知らなかったんだもんね? 今はどう? 知ったわけだけど。恥ずかしいの? 恥ずかしくないの?」
里海の言葉のひとつひとつが、毒針のように苑の心に突き刺さった。
その言葉の激しさのひと言ひと言から、里海が自分に負けず劣らず激烈な怒りと憎しみを抱えていて、それを暴発させているのだと気付く。
「警察? 警察に行く? 無駄だよ。九伊はこの地方の王様だもの。警察に行ったって、役所に行ったってもみ消されるだけだよ。九伊家がこんな大スキャンダルに巻き込まれたら、この地方は滅茶苦茶になるしね。君はその正義感で、この地方を津波で跡形もなく沈めるの? さすが、神さまだね。ただね、どうせそんなことにはなりはしないよ。まあやるだけやってみたら? 君が学園の寮に閉じ込められて終わりだと思うけれどな」
苑は里海に訴えるかのような悲痛な声音で叫んだ。
「みんなに言うわ、この地方の人じゃない人に。誰か……誰か信じてくれる人がいるはずよ!」
不意に、里海の顔から笑みが消えた。
苑は気配に気圧されて、口をつぐむ。
「苑さん、君が何かをして失敗した場合、君は学校の寮に閉じ込められて、僕みたいな分家の人間をあてがわれるくらいで済む。でもね、縁はどうなると思う?」
里海は能面のように感情の無い顔で、苑を見つめた。
「まさか、そんな騒ぎを起こしても縁が今まで通りあそこにいられる、とは思っていないよね? 君はいくら何でもそんな馬鹿じゃないとは思うけど、念のため言っておく。
君が縁のことを外部に漏らして救うことに失敗した場合、縁は今以上に過酷な状況に置かれる。『禍室』の仕組みは、中にいる人間を保護する機能もある。『禍室』の外では、『人』は神女である禍室には触れられない。それが、君が今日見たような仕打ちをする奴の預かりになったら? そいつは喜んで縁を、自分の手元でいいように扱うだろうね」
里海は自分の言葉に体を刻まれたかのように、苦痛に耐えるような表情を浮かべた。
その痛みが過ぎ去るのを待って、口を開いた。
「僕は君とは比べ物にならないくらい一族の中で地位が低い。だからこそ、一族の根が君には想像もつかない場所まで張り巡らされていることを知っている。端の端は、世間知らずでお上品な君には想像もつかないような暗く深い場所につながっている。縁はそこに放り込まれるかもしれない。次の禍室を作るための種という扱いでね」
苑は、呆然として里海の顔を見つめた。
話しているうちに気付いた。
いま、自分が話していることを、里海はとっくに考え抜いてきたのだ。恐らく縁に初めて会った時から。
考え続けて、縁を救い出す唯一の方法を見つけたのだ。
(その相手を、この屋敷に引き取りたいんだ。それを認めて欲しい)
(今の境遇から連れ出したいんだ。)
(彼が置かれている環境や押し付けられているものから保護してあげたいんだ)
(九伊の中の差別的な待遇とか、変な風習とか、そういったもろもろだよ)
(そのために九伊の本家の当主の座が欲しい)
里海は静かに口調で言った。
「苑さん、僕は君が妬ましくて仕方がない」
ギリッと里海の口の中で、歯を食い縛る音がした。
「縁が君のことを好きだからじゃない。縁とあんなおままごとが出来るからじゃない。君には縁を救える力がある。僕が必死で手に入れたいと願っていたものを、君は生まれながら持っている」
里海は顔を上げ、ギラつく眼差しで苑の顔を貫いた。そこには深刻な怒りと憎悪が音もなく瞬いていた。
★次回
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「第41話 神室・12(苑)~何も知らなかった~」




