第37話 神室・8(縁)~告白の続き~
「ついに言った」という感慨が、縁の胸の中に溢れた。
別れ間際に「ああいうこと」をしたときも、どうしても聞くことが出来なかった。
一緒にいるときは言葉などなくとも、苑の微笑みや自分を見る眼差しが二人の気持ちや関係をしっかりと保証するものに思えた。
だが、苑が家から去った瞬間、ひどく不安な気持ちに襲われた。
本当に苑は冬休みに来るのか。
よしんば今はそういう気持ちだとしても、学校に戻って友達と過ごせば、気持ちが変わるのではないか。
学校には、色々な男が山ほどいるのだ。
あえて側にいない人間を選ばなくとも、と思うのではないか。
言葉にすると情けなく思えるそういった不安が、津波のように胸に押し寄せてきていてもたってもいられなくなってしまった。
なぜ、苑がいるときにきちんと気持ちを確認しておかなかったのか、と思う一方で、「お前に嫌がらせをしてやる」という宣言で始まった関係で、そんなことが聞けるわけがない。
苑のほうから何か言ってくれないかと、思っていたことに今更ながら気付いた。
そう、ずっと思っていたのだ。
何とか苑のほうから気持ちを言ってくれないか、せめてこちらの気持ちを問いただしてくれないかと。
しかし苑が学校に戻ってしまった後、そんな風にぐずぐずしていたことをひどく後悔した。
冬休みまでこんな焦りと不安を抱えて過ごさなければならないのかと思うと、気が狂いそうだった。
理由は分からないが、苑が身体を抜け出した生霊としての自分が見える、ということは、この不安と焦りを解消する千載一遇の好機だった。
縁の問いかけに、苑は頬を僅かに染めて下を向いた。
返答を待つ縁の心には強い焦りが生まれていたが、そんな自分を意地でも認めまいとするかのように強引に言葉を続けた。
「九伊の家系だと、儀式だとか何だみたいな話になるが……一般的には、そういうものはないからな。つまり……だな、ああいうことは、世間的には、だ」
縁は、緊張で息を吸い込む音を誤魔化すために、わざとらしい咳払いをした。
「特別なこと? なわけだろう。そういう特別なことをする、ということは、相手に……つまり、つまり、この場合は俺だな……お、俺のことをお前が特別な相手だと思っている、ということになるんだが……」
「うん」
俯いたまま、苑は微かに、だがはっきりと頷く。
縁はそんな苑の反応を見て、一瞬、少女のような容貌を輝かせ、勢いづいて前のめりになり言葉を吐き出した。
「お前……お前、俺のこと、す、好き、なのか……?」
縁の言葉に、苑は顔を赤く染めて、強く頷いた。
縁の顔全体に、雲が晴れて陽射しが射し込んだかのように喜色が広がる。
縁は小卓を回るようにして苑に近づき、赤く染まっている横顔を凝視した。
「す、好きなのか?! 苑?!」
苑は微かに瞳を上げて縁の顔を見たあと、叢に隠れる小動物のように前髪で顔を隠し、もう一度小さく頷いた。
縁は顔を輝かせ、両手で握り拳を作った。もう少しでその場で飛び上がりそうになったが、何とかその衝動を押さえつける。
抑えても抑えきれないか笑いを浮かべながら、縁は少しずつ苑に近寄った。
「そ……そうか、お前、俺のことを好き、なのか……。そ、そうか、へえ。まあ、何となくわかっていたけどな。そうか、そうか……ふ、ふうん。好きかあ、お前が俺をね……ふうん」
縁は少し手を伸ばせば苑の肩を抱き寄せられる位置まで来ると、何事かを待つように顔を明後日のほうへ向けた。
俯いたままその場でジッとしている苑のほうへ、視線を送る。何度か小さく咳払いをしたあと、勿体ぶった口調で言った。
「苑、お前は……俺に聞きたいことはないのか?」
苑は顔を上げて、不自然に視線を脇にそらしている縁の顔を見つめた。
縁は精一杯の平静な様子を保とうと肩をいからせているが、喜びが口元を笑みで緩ませ、白い滑らかな頬を桜色に上気させている。
苑は困惑したように僅かに首を傾げただけなので、縁は我慢出来なくなったように口を開く。
「た、例えば……例えばだ。俺の気持ちは……ど、どうなのか、とか……」
「縁の気持ち?」
苑はきょとんとしたような顔で、赤くなった縁の顔を眺めた。
縁は一瞬だけ苑のほうへ視線を走らせたが、すぐに目をそらして呟いた。
「俺は、お前のことをどう思っているのか、とか、気に……、気になるんじゃないか?」
一気に問いを吐き出すと、縁は緊張したように全身を強張らせて苑の言葉を待った。
苑はしばらく黙りこんでから、遠慮がちに口を開く。
「縁は……私のことを恨んでいる……のよね?」
縁がすさまじい勢いで振り向いたので、苑は慌てたように口を閉ざした。
縁の顔には、まるで突然打たれた犬のように、強いショックがむき出しのまま表れていた。
先程までの抑えても抑えきれないか幸福感はアッという間にくだけ散り、衝撃で青ざめた顔で、苑を見る。
呆気に取られたような苑の眼差しに、不意に我に返ると、縁は勢い良く顔を背けて叫んだ。
「そ、そうだ! 俺は……お前のことなんか……」
縁は何かを待つかのように息を詰め、言葉を区切る。
二人の間に、沈黙が通り過ぎる。
苑が何も言わないとわかると、縁は後ろから何者かに突き飛ばされたかのように、今にも消え入りそうな声を唇から落とした。
「……お前のことなんか……き……嫌い……だ」
まるで自分が言った言葉に深く傷つけられたかのように、縁は項垂れて肩を落とす。
縁の醸し出す空気がよほど重く暗かったのか、苑は困惑したように縁の顔を横からのぞき込み、その肩を優しく撫でた。
「……お前」
ややあって、縁は俯いたまま何かで歪んだ声で呟いた。
「俺がお前のことを嫌って恨んでいるのに……ああいうことをした、と思っているのか」
「ご、ごめんなさい」
苑は慌てて謝るが、縁の表情は暗いままだった。
「俺がお前のことを嫌いだと思っているのか……?」
苑は迷うように辺りに視線をさまよわせたあと、縁の肩にそっと手を置いた。
「ごめんね。縁が私のことを嫌っている、なんて思っていないわ」
苑は柔らかく微笑んだ。
「縁は、ちゃんと私のことを考えてくれているのよね?」
苑のほうを見ないまま、縁は苑の手に触れて軽く握った。
「俺も……お前のこと、けっこう好き……だ。そこまでじゃないけれど、まあまあそれなりには好きだ……」
「うん、ありがとう」
苑が笑顔で言うと、縁は顔を上げた。
半ば不安そうな半ば拗ねたような眼差しで、苑の顔を伺う。
「だから……ここにも来たんだ。何か月も会えないのは、さすがにちょっと長い、って……お前が寂しがるんじゃないか、と思って」
「うん、嬉しいわ。縁が来てくれて」
縁は苑の手を強く握り締めた。
「……本当か?」
「本当よ」
少し迷うように瞳をそらしたあと、縁は思い切ったように声を絞り出した。
「……俺とお前は、つ、付き合っている、ってことだな」
苑は少し考えてから、嬉しそうに笑った。
「そうね、そうなるわね」
苑の言葉に、縁は顔を輝かせて苑を見つめた。
歓びが今にもあふれ出しそうになるのをかろうじて抑えつけて、威厳を保つように言う。
「お前は俺の彼女……ってことだな? そうなるけれど、いいんだな?」
「うん」
苑が微笑んで言うと、縁は思わずと言った感じで笑いをもらした。
苑の柔らかい体に、体をゆっくりとつける。
「そ、そうか……お前は俺の、かの……彼女だったんだな」
緩みそうになる顔を意識して固く引き締めて、縁は言った。
「お前……、俺の彼女になったんだから、あんまり……他の男とは話すなよ。用事とかあれば、仕方ないけどな」
「そういうの束縛、って言うんですよ」
縁は突然触れられた猫が毛を逆立てて飛び上がるように、その場から飛びすさった。
部屋の入口で、壁に肩をもたれかけさせるようにして、紅葉が立っていた。
目を細めて、並んで座る苑と縁のことを見ている。
「お前、ノックくらいしろ」
「ここ、苑さまと私の部屋なんですけれど」
紅葉は、焦りと気まずさを誤魔化すように声を上げる縁の顔を、冷たい眼差しで見下ろした。
「まったく……、何が『男とは話すなよ』だか。そのうち、スマホのチェックとかし出すんじゃないですか。こっわ~~」
大仰に肩をすくめながら、紅葉は縁とは反対側の苑の隣りに腰かけた。
紅葉の言葉に、縁は眉を吊り上げる。
「話すな、とは言っていない。用事があればいい、って言っただろう」
「何で男の子と話すのに、いちいち縁さまの許可をもらわきゃいけないんですか?」
そう言われて、縁の口元には抑えても抑えきれない笑みが浮かぶ。
重大な発表でもするかのように、小さく咳払いをした。
「お前も聞いていたんだろ。俺と苑は付き合っているんだ」
「いやだから……付き合っていようがいまいが、男子と話すのに許可はいらないですよね」
「アホらしい」と今にも口から飛び出そうな表情で、紅葉は言った。
それから苑のほうへ目を向ける。
「苑さま、大丈夫ですか? 縁さまって、絶対滅茶苦茶束縛するタイプですよ。他の男子と話していたら、浮気だって大騒ぎするんじゃないですか」
「それは浮気だろう」と言いかけて紅葉が横目で見ていることに気付き、縁はかろうじて言葉を呑み込んだ。
苑は、縁と紅葉の顔を見比べて笑った。
「縁と紅葉って仲がいいわよね」
「は?!」
「ち、違います! 苑さま! 変なことを言わないで下さい!」
二人は同時に大声を上げる。
「わ、私は縁さまのことなんて、何とも……これっっぽっちも! いいなんて思っていませんから! ただ、苑さまのことが心配で言っているだけです!」
「俺も、お前みたいなうるさい女はごめんだ」
縁はツンと顔をそらす。そういう表情をすると、まるで高慢な貴族の姫君のように見える。
顔を真っ赤に染めていた紅葉は、表情を翳らせて急に黙り込んだ。
縁はそんな紅葉の様子に気付かず、苑の手を思い切ったように取った。
「俺は、苑みたいな奴が好きなんだ。ま、まあ、どちらかと言えば、だが……」
この世で一番幸福と言わんばかりの笑顔で苑の顔を見つめる縁を、紅葉は苛立ったような眼差しで睨みつけた。
バン! と掌で卓を叩くようにして立ち上がる。
「それはそれは、彼女が出来ておめでとうございます。私は、図書館に行きますから。お二人でどうぞ、ごゆっくり!」
「何だ、キリキリしやがって。少しは、お、俺の彼女を見習えよ」
紅葉はカバンに教科書や参考書を詰め込むと、物も言わずに部屋から出た。
すり寄ってくる縁を撫でながら、苑はその後ろ姿を考え深げな視線で見送った。
★次回
神さまを見守るルート
「第38話 神室・9(縁)~いつも見ていた~」




