第26話 禍室・5(縁)~何を考えているの?~
1.
「一体、どういうつもりなんですか?」
どこか暗い雰囲気がある一階とはまったく違う、明るい陽射しが射し込む開放的な二階で、紅葉は正面に座る縁の顔を睨みつけた。
「あなたが九伊とどういう関係の人か知りませんけれど、非常識じゃないですか。あ、あなた、男の子……なんですよね?」
興味がなさそうに脇を向いている縁の顔をまじまじと見つめながら、紅葉は言った。
姿勢悪く椅子に寄りかかっていた縁は、紅葉の顔を一瞥して笑った。
「男だから何だよ? 何か問題があるのか? 何、想像してんの? お前?」
揶揄するように言われて、紅葉は顔を赤らめた。
「じ、実際に何かあるとかないとかそういう問題じゃなくて! そもそも男が女性に一緒に住めって言うのが非常識だって言っているの!」
「非常識か」
縁は紅葉の言葉を鼻で笑った。
「生憎、俺はお前と違って、常識を学べるようないい境遇で育ってないんだ。説教したいなら他所でやれよ、うざい」
紅葉の怒りなど気にも留めず、縁は言葉を続ける。
「俺と苑は親戚だぜ。苑がいいって言ってるんだから、お前が口出しすることじゃないだろう」
「苑さまの口からあなたのことなんてひとっことも聞いたことがないけど、本当に親戚なの?」
疑わしそうな眼差しで自分を見る紅葉の言葉を、縁は馬鹿にしたように笑った。
「親戚じゃなきゃ、人んちの敷地内に住んでいるわけないだろう。赤の他人にはわからない複雑な事情があるんだよ」
「赤の他人」と言われて、紅葉は言葉に詰まりグッと黙り込んだ。
悔しそうに唇を噛んで、縁の顔を睨みつける。
「人手が足りないなら、誰か人を雇ってもらえばいいじゃないの。何なら、私が来ましょうか? 苑さまをこき使いたいだなんて、ただの嫌がらせじゃない」
縁は不機嫌そうに眉をしかめて、紅葉を横目で見た。
「これは俺と苑の問題なんだ。お前には関係ない」
縁は素っ気なくそう吐き捨てた。
紅葉は縁に訴えても埒が明かないと見てか、奥の洋室で荷物の整理をしている苑の下へ向かった。
ドアが開け放しになっているので、紅葉が苑に「こんな無茶な要求に従う必要はない」「お父さまに相談しましょう」果ては「嫌がらせが趣味なんて、変態ですよ」などと言っているのが耳に届く。
それに答える苑の声は小さくてよく聞こえなかったが、気配から穏やかに紅葉を宥めているように思える。
「いいのよ、これで縁の気が少しでも済むなら」
そう言っているような気がして、何故かそのことに苛立ちが湧いてくる。
昨夜家の中を案内した時も、苑が家から荷物を持ってくるのを待つときも、「苑とここに一緒に住む」ということに舞い上がる心地がしながら、どうも本当のこととは思えなかった。
苑が何ひとつ抗議もせず、唯々諾々と従うので、「ここに住む」という意味が本当にわかっているのかと縁のほうが不安になる。
穏やかで生真面目そうな顔つきの下で、苑が何を考えているのか、縁にはよくわからなかった。
苑が「縁が何を考えているかよくわかっている」と思っている節があるところも、不満だった。
確かに「苑は自分を閉じ込めた九伊本家の人間なのだから、そのことに対して償うべきだ」「苑も自分と同じように閉じ込められて、自分の面倒を見ることで憂さを晴らさせろ」と言った。
しかしそんなのは、どう考えても無茶苦茶な話だ。
縁を禍室に閉じ込めたのは九伊家の一族であり、縁の母親なのだ。苑個人には何の責任もない。
苑は、好きで九伊家に生まれたわけではない。縁の窮状を知っていたわけでもない。むしろ縁のことを知ったら、助けの手をさしのべてくれようとした。
「この境遇から救うために、すぐに本家の屋敷に来てもらうようにする」という苑の言葉をはねつけて、縁は苑を禍室に呼んだのだ。
紅葉に色々と言われたことはうざったかったが、反面どこかホッとしていた。
それは当然、言われることを予想していた疑問や抗議だったからだ。
「一緒に住むのはさすがにちょっと」と渋られたら、「仕方がないから、休みのあいだはここに通う、で勘弁してやる」と譲歩出来た。
「こんなのただの嫌がらせじゃないか。どうしてそんなことをするのか?」と聞かれたら、もう少し何か話せた気がする。
何故、何ひとつ文句を言わないのだろう?
何故、何も聞いてこないのだろう?
2.
夕方、荷物の整理が終わったころ、紅葉は屋敷へ帰って行った。
「苑さま、この人に何かされそうになったら、夜中でもいいんですぐに連絡下さい。屋敷中の人を引きつれてここに来ますから」
紅葉は名残惜しそうに苑の手を握りながら、聞こえがよがしにそう言った。
苑の横に立っていた縁は、不機嫌そうな顔つきで脇を向いていた。
「そんなに心配なら、明日も来ればいいだろ」
「来るわよ」
紅葉は噛みつくように叫んだ。
「苑さまに、な、何かしたら許さないから」
「紅葉、お前、妄想しすぎ。欲求不満なのかよ?」
揶揄するような笑いを含んだ視線を向けられて、紅葉は夕闇の中でもはっきりとわかるくらい顔を赤らめた。
「よ、呼び捨てにしないでよ!」
ほんと失礼な人! と何かを誤魔化すかのように叫ぶと、足早に帰って行った。
紅葉の姿が見えなくなると、苑は縁を顔を覗き込んだ。
「少し休んだら、夕飯を作るわね。何か食べたいものある?」
縁はその顔から、反射的に目をそらして言った。
「今日のぶんは、もう作った」
驚いたような顔をする苑に、縁は強いて作ったような不機嫌そうな様子で言う。
「お前らの片づけがあんまり遅くて暇だったから、作ったんだ。今日は特別だ」
苑は嬉しそうに微笑んで言った。
「ありがとう」
縁は一瞬そちらに目を向けたが、すぐに何かを恐れるかのように目をそらし、ひどく無愛想な口調で言った。
「夕飯はハンバーグだ。ソースは和風と洋風、どっちが好きなんだ?」
苑は少し考えてから言った。
「和風、かな?」
「アホか。俺のハンバーグはチーズをのせて洋風のソースをかけるのが一番美味い、って決まっているんだ」
「ごめんなさい」
突然怒られて、苑は肩をすくめる。
縁はどこかひどく苛立っているが、自分が何に苛立っているのかよくわからない、そしてそれは全て苑のせいだ、と言わんばりの目つきで苑のことを睨みつけた。
それからフイっと顔をそらす。
「まあいい、今日は特別に和風にしてやる」
(特別がたくさんある日なのね)
そう思ったが、口にすると縁がひどく怒りそうだと思ったので、苑は笑って頷いた。
★次回
神さまと暮らすルート
「第28話 禍室・6(縁)~神さまと暮らす~」




