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第23話 禍室・2(縁)~神さまが結婚する~

 1.


「縁、僕は、神さまのお婿さんになるかもしれないよ」


 古い馴染みの「客」である、六星里海にそう言われたとき、縁は驚いて里海の顔を見直した。


「結婚するのか?」

「ショック?」

「別に」


 里海の言葉に、縁は反射的に素っ気なく返したが、心の中には強い衝撃が走っていた。

 縁にとって、「神さま」は自分だけのものだった。

 自分の中に渦巻くドス黒い感情を受け止め、共に生きていく者、それが「神さま」だった。

 その「神さま」が他の人間と結婚する。


 里海は縁の表情を伺いながら、言葉を続けた。


「本家の一人娘の婚約者として、白羽の矢を立てられたんだ。本家の当主は、いま、体を悪くされている。当主に万が一のことがあったら、その娘一人しか跡を継ぐ者はいないからね」


 神さまは女なのか。


 九伊家の本家の子供が、女であることは知っていた。

 だがそれは、縁の心の中にいる「神さま」とは、うまく結びついていなかった。


「九伊の娘には会ったことがあるのか?」


 縁の言葉に、里海は頷いた。


「可愛らしい子だったよ。かなり内気で、余り話さなかったな。年は十五って言っていた」


 里海が語った瞬間、心の中の「神さま」が急に自分と同い年くらいの小柄な少女になった。

 大人しく引っ込み思案でいつも瞳を伏せている、見るからに内気そうな少女だ。


「名前は何て言うんだ?」


 縁は強いて興味がなさそうな風を装いながら、何かの事のついでのように尋ねた。


「その。九伊苑」

「その……?」


 呟いた瞬間に、心の中で少女が顔を上げた。大きな優しげな茶色の瞳をしている。

 顔を上げ、にっこりと嬉しそうに笑う。


(何を笑っているんだ。俺はお前のことが大嫌いなんだ)


 そう思ったが、言葉が出てこなかった。

 そんなことを言ったら、少女は怯えてすぐにどこかへ隠れてしまいそうな気がした。



 2.


 それから縁の心の中に出てくる「神さま」は、「苑」という名前の少女になった。

 縁が辛いときや苦しいとき、いつもただ黙って側にいてくれた。


 縁は「客」たちと寝床を共にしなければならない時、よく「苑」のことを考えた。

「苑」は、今ごろ何をしているかな。

 そう考えると、少女が生きている日常が見える気がした。


 自分がこうやって穢れを引き受けることで、「苑」は元気に楽しく日々を過ごしているのだ。

 そう思うと、以前は怒りや憎しみがわいたのに、今はそのことが何だか救いのように思えることもあった。

「苑」が生真面目そうな顔つきで真剣に勉強したり、明るい陽射しの中で友達と楽しそうに弁当を食べる姿を想像するだけで、どんなことでも耐えられるような気がした。

 そういう時は、蔑んでいた母親の気持ちが少しだけ分かるような気がした。

 自分がこういう目に遭っていることは、意味がないことではない。

 そう信じることができた。


 ただそう思えば思うほど、「苑」は自分の存在など何も知らないのだ、とういうことに強い恨みに似た寂しさを感じるようになっていた。



 3.


 里海が九伊の娘と婚約したのは、それから程なくしてだった。

 里海はいつも通り、それを薄暗い禍室を訪れた時に縁に話して聞かせた。


 里海が「苑」と婚約して以降、縁は里海の訪問を心待ちにするようになった。

 以前は、里海の訪問は縁にとってわずわらしく面倒臭いだけのものだった。

 里海は「客」の中では、縁個人に興味を持ち大切にしてくれたが、だからこそ行為以外の部分でも縁の言葉や心を欲しがり、自分の恋心を受け入れることを求めてきた。


 里海のように、縁に強い執着を持つ人間は珍しくない。

 自分の何がそこまで人を惹きつけるのか。


 母親にうり二つの容貌か。

 持っている雰囲気か。

 特異的な状況に置かれている境遇のせいなのか。


 それはわからない。

 自分は男たちの暗い欲望を刺激し、それを狂気的な独占欲にまで高まらせる何かを持っているらしい。

 そういう人間は、抗えない強力な磁力に惹きつけられるように、縁の下に定期的に舞い戻ってきた。



 4.


「驚いたよ」


 里海は縁の体を抱きしめ優しく愛撫しながら、おかしそうに言った。


「苑さんがね、僕と『取引がしたい』って言い出したんだ」

「『取引』?」


 里海の愛撫を気がなさそうに受けていた縁は、ハッとしたように里海のほうへ視線を向けた。


「『取引』って何だ?」


 里海は笑いながら、自分のほうを向いた縁の白い頬を撫でる。


「九伊の家を出たいらしいんだよ。僕と結婚するのもそのためなんだって。苦労知らずのお嬢さまの割には行動力があるよね」

「家を出る?」


 縁は里海の言葉の他の部分は耳に入らないかのように、言葉を繰り返した。


「どういうことだ? 今だって学校の寮に入っているんじゃないのか?」


 里海は縁の剣幕に驚いたように手を止めた。

 少し思案してから、暗闇の中で言葉を返す。


「九伊と完全に縁を切りたいんだってさ。当主の座も、僕か他の人間かに譲るって」

「ふざけるな!」


 縁は寝床からいきなり体を起こし、我知らず大声で叫んだ。

 里海は思わず口をつぐみ、呆気にとられたように縁の顔を見上げた。

 縁の顔は夜目にもはっきり分かるくらい、血の気が引き蒼白だった。体が小刻みに震え、闇の中で青さがいっそう鮮やかになる瞳はギラギラとした光を放っていた。


「九伊から出て行くだと? そんなことは許さない」

「どうしたんだよ、縁。彼女が出て行くなら出て行くで好都合じゃないか」


 里海は、縁の表情を伺いながら言った。


「苑さんに君を屋敷に引き取っていいか聞いたら、『是非ともそうして欲しい』って言っていたよ。僕と君に屋敷で幸せに暮らして欲しいってさ」

「幸せ?」


 縁は、愕然として瞳を見開いた。


 お前が俺との縁を切ってどこかへ行って、俺は一人でここに取り残される。

 それが俺の幸せだと、お前が言うのか? 

 お前が? 

 俺の「神」が?


「君が彼女を恨んでいる気持ちは分かるよ」


 黙り込んだ縁を宥めるように、里海は言った。


「分かるけれど、それは苑さんの責任じゃない。確かに君のことや禍室のことを今まで何も知らなかったのは、僕も驚いたけれどさ。九伊家に復讐したいのであれば、本家を僕と君で乗っ取ることで十分果たせるんじゃないのかな?」


 体の奥底から奔流のように湧いてくる可笑しさを止めることが出来ず、縁は嗤い声を上げた。耳に届く自分の笑い声は、かつて母親が上げていた狂った哄笑によく似ていた。

 里海が僅かに怯えているのが気配で分かる。


 里海は何もわかっていない。

 わかっていないのは当然だ。何も関わりがない人間なのだから。

 九伊というのは神であり、縁にとって神は一人だけだ。

「神」は自分によって存在し、自分は「神」が存在するために全てを捧げている。

 その信徒を棄てていくなど、重大な裏切りではないか。


 里海が縁の体に手を触れた。


「縁、苑さんが君に会いたいらしいんだけれど、ここに来させて大丈夫かな?」


 縁は思わず、顔を上げて里海の顔を見つめた。

 会いたい……?


「九伊の娘が……俺に?」


 里海は自分の中の戸惑いを治めるように、軽く咳払いをした。


「僕もよくわからないんだけれどさ、君に会ってみたいんだって。婚礼前にはどうせ『穢れ払い』をしなくてはいけないから、それが早まると思えばいいんだろうけれど。ただ君がもし……」


 里海はその後も長々と何かを話していたが、その言葉は縁の耳には入っても体の内奥に届くことはなかった。

 里海を不審がらせないためだけにただ口を動かしていた。

「初心な小娘だろうから、適当にあしらってやる」などと尤もらしいことを適当に話し、娘を「穢れ払い」に来させるように言った。


 その後の里海の愛撫も、そこから始まったいつもすることも、まるで壁に映し出された退屈な映画のように感じられた。五感から入ってくる現実の全ての音や風景が遠くに去っていく。

「神」が自分の下へやって来る。

 にわかには信じ難いその可能性への衝撃と期待だけが、体や心の全てを支配した。


「苑」は今頃、何をしているだろう?

 寮の部屋で、友達と話でもしているだろうか?

 寮の部屋で「苑」と同室なのは、あの娘だ。

 中学生の時に、「苑」の側付きとして雇われた娘。

 二人は仲がいい。

 始終一緒にいて、いつも話をしている。

 大抵、側付きの娘がずっと話している。「苑」は笑顔で話を聞きながら、時々口を挟んだり笑い声を立てたりする。


 明るく優しい音だ。


「苑」は必要なこと以外は、余り話さない。

 だが自分が心を開いている親密な相手といるときは、温かく心地いい沈黙をその相手と共有することが出来る。

 自分といる時も、あんな風なのだろうか。

 黙って微笑んで、ずっと側にいてくれるのだろうか?


 そのうち側付きの娘は「眠い」と言って先にベッドに入った。

「苑」は「おやすみなさい」と挨拶をし、その後一人で卓の上の紅茶を飲みながら考え事をしている。


 何を考えているのだろう?

 学校のことだろうか? 

 家のことだろうか? 

 婚約のことだろうか? 

 将来のことだろうか?


(……俺のことか?)


 柔らかい夢見るような表情を浮かべる横顔を、そっと伺う。


 本当に来るのか? お前は俺のところに。


 そう聞きたかった。


「苑」

 俺はここにいる。

 待っているんだ。お前の側で、お前が来るのをずっと……。


★次回

神さまと暮らすルート

「第25話 禍室・3(縁)~神さまがきた~」

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