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第19話 夢想・7(縁)~神さまが好きなの?~


 当初、里海に婚約を破棄させることは簡単だと思っていた。

 だが予想に反して、里海は「九伊の娘との婚約を破棄して欲しい」という縁の要望に難色を示した。


「ちょっとやってみてやっぱり止めます、というわけにはいかないよ。子供の習い事じゃないんだからさ」


 里海の言葉に、縁は苛立ちを抑えきれない声で言った。


「お前、最初は興味がなさそうだったじゃないか」

「興味がないわけじゃない」


 里海は穏やかな声音で言った。

 子供を諭すかのように、噛んで含めるように説明する。


「九伊の本家の当主の座は、魅力的だ。本家は、表向きは神事を受け持つから、奥にひっそりと引っ込んで、俗世のことには関わっていない。世間的には、分家の勢力や羽振りのよさに比べると取るに足らない存在だ、と思われているけれど逆だ」


 里海は話を続ける。


「本体である大事な存在だからこそ、おいそれと外に出さないんだ。ご本尊だからね。

 九伊家の人間にとっては、冗談抜きで生神に等しい絶対的な存在だよ。それが九伊の名も持たない、分家の末端のそのまた末端の僕が婿入り出来るんだからね。それこそ神に伏して拝みたい、破格の話だ」


 里海の言葉に、縁の美しい顔から血の気が引いた。

 紅を引いた唇を噛んで、里海の顔を睨む。


「じゃあ、結婚するつもりか? 俺が言ってもか?」


 里海は縁の黒い髪を手に取り、赦しを請うように微笑みながら口づけする。


「心配しないで。例え神さまと結婚しても、僕の愛と忠誠は君のものだよ」


 縁は、里海の手を乱暴に払った。

 表情を強張らせている縁を見て、里海は真面目な顔つきになり言った。


「婚約を破棄なんかしたら、この家での僕の立場は悪くなる。事実上、存在を抹消される」


 縁は唇を歪めて笑う。


「地位を失うのが怖くて結婚するのか?」

「そんなことは怖くない」


 里海は静かに言って、縁を見つめた。


「君に会えなくなる」


 縁は自分を見つめる里海の眼差しから目を逸らした。

 背中を向けた縁に、里海はさらに言った。


「君を守れなくもなる。僕が本家の当主になったら、性質の悪い『客』は寄せつけないよ」


 里海の言葉に、不意に縁は身を震わせた。

 その細い体を、里海は背後から腕を回して抱き締めた。


「君のことを守れるようになりたいんだ。本家の当主になったら、君に事実上の僕の妻になって欲しい。誰にも触れさせない。縁、君を僕だけの物にしたい」


 縁の白い耳を唇で愛撫しながら、里海は囁いた。


「君が僕以外の誰かに触れられるのは、耐え難い」

「俺はお前のことなんか、何とも思っちゃいない」


 縁は里海の腕から逃れて、里海の顔を睨んだ。


「知っている」


 里海は半ば寂しげに半ば笑うように言った。


「でも、大勢の男たちに、好きに扱われるよりはマシだろ?」


 縁は暗い眼差しで考える。

 里海も根本的には、他の「客」と何ら変わりない。

 縁を自分の思い通りに出来るものだと考えていて、それでいながらそのことを恩恵でも施しているように思っている。


「だいたいどうしたんだ? 縁。君は、九伊の娘と僕が、結婚することを望んでいたんじゃないの? 僕を穢れの通り道にして、九伊の娘を腐らせるためにさ」


 里海は口を閉ざし、淡い光源の中で縁の美しい姿を見つめた。

 しばらくしてから口を開いた。


「そう言えば……僕の婚約者は、穢れ払いにここに来たみたいだね。君は、僕に一言も言わなかったけれど」


 縁は、里海の顔を見ないようにしながら呟いた。


「あいつ、俺がちょっとでも動くと……ビクッてなるんだ……怖がりで、男に慣れていないんだ」

「……だから?」


 里海の言葉に、縁は顔を上げて言った。


「だから……触ったりするのは、……余り……」

「好都合じゃないか」


 里海は縁の顔をジッと見つめたまま、静かな声で言った。


「君の気持ちを少しでも分からせたいんだろう? 男を怖がっているなら、余計に苦痛と恐怖が増すだろう」


 縁の繊細な容貌が、物理的な痛みを加えられたかのように歪んだ。


「……やめろ、そんなの……」

「おかしなことを言うな、縁」


 里海は、項垂れた縁の顔を、探るように見つめた。


「彼女に、自分が味わった苦痛を味合わせたいと言っていたじゃないか」


 里海は言葉を続ける。


「僕は嬉しいよ。君の代わりに、君の思いを果たせるなんて。女の子をいたぶるなんて趣味じゃないけれど、君がそうして欲しいと言うなら何でもするよ」


「俺は……そんなこと、望んでいない」

「君は、何を望んでいるの?」


 何を望んでいるの?


 心の中に問いが響くと同時に、瞼の裏に映像が思い浮かぶ。

 熱心に本を覗きこむ横顔や、その頬にかかった柔らかそうな髪や、声をかけると浮かぶはにかんだような微笑みや、星を見上げる綺麗な瞳が。

 まるでそのシーンが、映像として切り取られ、心の奥底の引き出しにしまいこまれているかのように、一枚一枚取り出せる。


 里海が呟いた。

 好きなの? 神さまのことが。

 縁は自分の目元が濡れていることに気付いて、乱暴にこすった。


「そんなわけないだろう。好きになって、どうするんだよ」


 里海は縁の肩に手を置いた。


「好きになっても、どうしようもない。それでも好きになってしまうんだ」

「違う。好きじゃない」


 縁は強い口調で里海の言葉を遮ったあと、呟いた。


「ただ……あいつ、植物とか星の話をすると嬉しそうな顔をして……隣りにいると、すごく楽しそうで…。あいつが育てた野菜で作った物、美味くて、美味いって言うと、すごく嬉しそうに笑うんだ」


 僅かに震える声で、縁は言った。


「だって……どうするんだよ、俺なんか禍室で……学校にも行ってなくて……数えきれないくらい、沢山の奴と寝て……そんな奴、どうしようもないだろう、あいつを好きになったって」


「縁……」

「だから好きじゃない……」


 里海は縁の細い体を優しく抱きしめ、黒い髪に口づけた。



★次回

神さまに恋するルート

「第21話 夢想・8(縁)~思うことすら許されない~」

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