第18話 夢想・6(縁)~夢で恋をする~
1.
少女は、縁の話に最初は目を軽く見開いていたが、次いでニコニコと楽しそうに笑い出した。
まるで心の中にある鈴を優しく揺らされているような、心地いい笑い方だった。
自分の中の楽しい気持ちに励まされたかのように、少女が思い切った声音で言う。
「あの……、私、あなたにもう一度会いたくてここに来たの。庭を何度か探したんだけれど会えなかったから、ここに来ればもう一度会えると思って…」
彼女も、俺に会いたかったのか。
胸の鼓動が大きくなり、容易に収まりそうになかった。
「俺も」
縁は軽く咳払いをして言った。
「お前がどうしているかな、と思っていたんだ。まったく顔を見せないから」
先ほど話したこととは矛盾しているが、思わずそう言ってしまった。
「お父さんの具合が良くなくて……あと、その……」
少女は微かに顔を赤らめて口ごもる。
「ここに来るのって……その……」
「別にそんなことはしなくていいんだ」
少女の言葉を遮るように、縁は躍起になって声を上げた。
「そんなことはしないで、ただ話したり一緒に過ごすだけでもいいんだ。だから……」
だからまた来たらいい。
そう続けようと思ったが、少し急ぎすぎている気がして、言葉を飲み込む。
「そうなんだ」
少女は安心したように微笑んだ。
少女が笑うと、薄暗い部屋に急にもうひとつ灯りが灯ったかのように、明るく温かく感じられた。
「喉、乾かないか」
何を話していいかよくわからず、縁は急に立ち上がって言った。
部屋の隅に取り付けられた小さなキッチンに行く途中、敷かれた布団につまづきそうになった。
それがこの場にそぐわないひどく不適切な物に思え、縁は顔を赤らめて足で押しやる。
一体なぜ、こんなものを出してしまったのだろう、と自分に腹が立った。
縁が卓の上にりんごジュースを置くと、少女は礼を言ってコップに口をつけた。
縁は、しばらく少女の僅かにそらされた喉が規則正しく動くのを見ていたが、目に見えない空白を埋めるかのように卓の上の菓子を少女のほうへ押しやる。
「腹が減ったら食べていいからな」
「うん、ありがとう」
少女は笑顔で頷いた。
その笑顔が部屋に入って来たときよりもずっと打ち解けたものに見えて、縁は慌てて自分の顔を伏せて隠した。
続きの部屋から本を取ってくるついでに、禍室の格好を解いた。
ああいう格好はしたくてしているわけではなく、仕方なくやっているのだ。
普段はまったくあんな格好はしておらず、普通の服で過ごしているのだ、と繰り返し強調した。
奇妙な生活をしていると思われるかもしれないが、普段は自由に過ごしている。意外に普通の生活をしていて、他の人間と何も変わった点はない。
自分でも、なぜこんなにしつこく繰り返すのかわからないくらい、縁は何度もそう言った。
少女によく理解できない境遇に囚われて生きている、よくわからない人、と思われたくなかった。
そんな風に話しているうちに、ただ学校に行くことが出来なかっただけで、他の人間と何ら変わりない生活をしているのでは、と自分でも思えてきた。
縁は本を持ってきてそれを開きながら、以前、少女を案内した場所で話した、虫や植物や鳥の話をした。
「私も花や植物が好き」
少女は、夢中になって話す縁の端整な顔を除きこんで、ニッコリと笑った。
「学校では園芸部に入っていて、花の面倒をみたり野菜を育てたりしているの」
縁は少女の笑顔から、僅かに瞳をそらしながら呟いた。
「そんな感じがする」
日差し避けに麦わら帽子を被り、首をタオルで覆い、軍手をはめた手でじょうろやスコップを持つ少女の姿が目の前に浮かんだ。
自分はいつも少し離れた場所や、時には廊下や教室の窓から、そんな少女の姿を見ている。
「天候に左右されるから難しいんだけれど。自分で育てた、と思うと、お店で買うものより美味しく感じるのよね」
少女は本を見ながら言った。
「上手く育ったら、持ってくるわね」
縁は顔を上げて、少女の横顔を見つめた。
頬にかかる柔らかそうな髪に触れたかったが、踏ん切りがつかなかった。
2.
そのあと、外に出てまた星を見た。
会話が途切れた瞬間に、縁は言った。
「婚約、止めたらどうだ?」
少し困惑したように首を傾げた少女に、縁はさらに言った。
「相手のことが好きで、婚約したんじゃないんだろう?」
「お父さんがどうなるか、わからないから」
少女は膝の上に顎をのせて呟いた。
縁は、少し黙ってから言った。
「お前の親父は、大丈夫だよ」
顔を上げた少女のほうは見ずに、縁は続けた。
「大丈夫だ。死なないから」
呟きながら、縁は考えていた。
自分がもっと穢れを引き受ければ、九伊の当主……少女の父親は死なないはずだ。
父親に大事がなければ、少女は急いで結婚する必要はない。
里海は、自分が言えば婚約を取り止める。
自分が穢れを引き受けて、少女の父親を守ればいい。
そうしたら、少女は何の気兼ねもなく、ここに来られるはずだ。
「また来いよ」
縁は素っ気ない口調で呟く。
それから小さい声で付け加えた。
「俺、好きなんだ。野菜が」
★次回
神さまに恋するルート
「第20話 夢想・7(縁)~神さまが好きなの?~」




