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第11話 元型・8(苑)~夢で逢う~

 1.


 暗いからよくわからないが、よくよく見れば白い喉元に喉仏があるのがわかる。

 だが姿だけならば、苑が今まで見たことがある誰よりも美しい女性にしか見えない。


 挨拶が終わった途端、急に目の前の少年の雰囲気が変わった。

 この世ならざる物のような近寄りがたい神秘的な空気は一瞬にして消え、慣れない物事を前にしてどう振る舞っていいかわからない人間特有の、虚勢と気遣いが不器用に揺れる態度になった。


(これ……美味(うま)かった)


 どこか素っ気ない口調で、脇に置いていた入れ物を苑に差し出す。

 苑がいつも使っている弁当箱だ。


(お前が育てた野菜の料理、けっこう美味い。別にすごく美味い、ってわけじゃないが)


 少年は頑なに横を向いたまま、無愛想な口調で言った。


(毎日食っても飽きなさそうと言うか)


 そう呟いてから、少年は急に慌てたように付け足した。


(別に毎日食べたいという意味じゃない。あくまで飽きなさそうだ、と思っただけだ)


 苑は少年の顔をジッと見つめた。

 焦ったように躍起になって色々と言葉を並べている少年を見ていると、体の奥から愛情が溢れてこぼれそうになる。

 この少年に、自分が育てた野菜で毎日ご飯を作ってあげたかった。

 なぜ、そうならなかったのだろう。


 手に持った弁当箱が、空の割には少し重みがあることに気付く。

 開けてみると、綺麗に包装された包みの中に髪飾りが入っていた。

 少年はそっぽを向いていたが、薄闇の中でも分かるくらい頬と首筋が赤く染まっていた。


(料理の礼だ。お前、そういうのが好きかなと思って)


 苑は、繊細な花の形の飾りがついた髪留めを髪を束ねてつけて、反応を伺うように少年の顔を見つめる。

 少年は青みがかった黒の瞳で、ジッとその姿を見ていたが、すぐに目をそらして呟いた。


(まあまあ似合うな)


 嬉しくなり礼を言うと、少年は一瞬だけ視線を向け、また逸らしてから言った。


(作ったら味をみてやるから……また来いよ)


 その言葉を聞いた瞬間、嬉しさと同時に寂しさがこみ上げてくる。

 少年に会うためにここに来るには、事前にこの場所の管理者に連絡してもらわなければならない。

 父親は苑がここに来ることを、ひどく嫌がっているため頼むことは出来ない。前回と今回は、何とか家に古くからいる使用人に頼んだが、あの様子ではもう引き受けてはもらえないだろう。

 そういう連絡をしなくてもここに来ていいか、と尋ねると、少年の顔色が変わった。絶対に止めて欲しいと真っ青な顔で呟く。


 学校が休みの間は、毎日敷地内の色々な場所を回るから、来れるときに来て欲しいと言うと、少年は小さく頷いた。


(でも……そのうち、お前はここから出て行くよな)


 私はこの家を……九伊家から出たいんです。

 苑は里海に言った自分の言葉を思い出して、うつむいた。

 少年の顔に一瞬ひどく寂しげな翳りが射し込んだが、すぐにそれを覆い隠すように笑った。


(お前は鈍臭いから、一人で外でやっていけるか心配だ。でも……いつまでも、俺が付いていてやるわけにもいかないよな)


 苑は少年の顔に、真っすぐな眼差しを向けた。


 一緒にここから出よう。


 そう言って手を取ろうとした瞬間、少年は体を強張らせ、苑の手を拒絶するかのように手を引いた。

 少年は苑の視線から顔を背ける。


(俺は……駄目だ。ここからは出られない……)


 なぜ?


 苑は少年の足に目を向けて、目を見開いた。

 少年の足首は鉄鎖に繋がれていた。それは室内の奥の闇の中に繋がれている。

 何かあの鎖を外すものを見つけなければ。

 苑は立ち上がり、辺りを見回した。


 苑がほんの少し目を離した瞬間、少年の姿が目の前から消えた。

 驚愕で目を見開き、慌てて少年の姿を求めて辺りを見回す。

 辺りはいつの間にか薄暗い室内ではなくなり、闇に包まれた広大な空間が広がっていた。

 苑は闇の中を、少年の姿を求めて必死になって走り回った。


 遥か奥の暗闇の中に、少年の姿が見えた。罪人のように足を鎖で繋がれ、両手を戒められている。

 その少年を、何人かの男が取り囲んでいる。

 そのうちの一人の顔に見覚えがあった。

 今日の昼間、ずっと見ていた顔だ。


 里海さん……?


 里海は拘束された少年の体を抱きしめ、恍惚とした表情で少女のように繊細な容貌に唇を這わせる。

 苑の顔は怒りで蒼白になった。


 やめて、嫌がっているわ。


 苑は里海に、悲鳴のような叫びを叩きつけた。


 その人に触らないで。


(おかしなことを言うな、苑さん)


 里海は苑のほうを見て、嘲笑うように言った。


(彼がここにいるから、君は自由になれる。彼が穢れるから、君は正常でいられる。そう言っただろう?)


 やめて、私はそんなことは望んでいない。

 私が望んでいたのは、彼の側に行くこと。

 野原に座ってずっと一人で星を見ていた彼の隣りに行って、手を握ること。

 それだけよ。


(でも君は、僕と結婚することを選んだ。君は彼を捨てる。僕は彼を貰う。正当な取引だ)


 里海は苑のほうに顔を向けたまま、少年の髪や頬を撫でた。


(彼もそう望んでいるよ)


 そうなの?


 震える唇から落ちた苑の呟きに、里海の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。


(彼は君を憎んでいる。自分を犠牲にして存在する『神さま』をね。君は彼のおかげでずっと存在していたのに、彼のことを知りもしなかった。恨まれて当然だろう? 彼は君に会ったら、ああしてやろうこうしてやろうと色々考えていたみたいだよ。『神さま』にこういうことをしたら? って言うと反応が良くなるんだ。こんなに興奮するなんて、よっぽど恨んでいるんだなって思ったよ。そのほうが僕も楽しめるからいいけれどね)


 里海は嗤った。


(こんな話は苑さんには関係ないよね。君は九伊から出て自由になるんだから)


 苑は瞳を見開いて、里海に抱かれている少年を見つめた。

 少年は苑の視線を避けるように項垂れている。


 思わず少年の下へ駆け寄ろうとした苑の腕を、誰かが掴み強い力で引き止めた。

 反射的に振り返った苑は、自分を引き止めた人物を見て驚愕で目を見開く。

 中性的で端整な、透明感のある容貌。


 十谷……?

 何で……? と苑は呟く。


 苑の疑問には答えず、十谷はただ無言で、諭すように首を振った。

 苑は十谷の手を振り払おうとしたが、その力は強く、びくともしない。


 お願い、離して、十谷。

 私は彼のところに行かないと。

 お願い、お願い行かせて!

 彼は私のことを待っているの。

 ずっと待っていたの。


 苑は叫び、渾身の力でもがいた。

 だがその場から動くことは出来ず、鎖に捕らえられた少年の姿はどんどん闇の中へと遠ざかっていく。


 苑は狂ったように泣き叫び、そちらへ必死に手を伸ばした。



 2.


 苑は、自分の叫びで目を覚ました。

 そこは見慣れた、屋敷の自分の部屋だった。

 カーテンの隙間から見える外の空は、まだ薄暗く夜が明けていない。

 頬に何か感触があって、苑は起き上がりながら手を触れた。


「何で……泣いているの?」


 何も思い出せない。

 それなのに痺れるような切ない寂しさだけが全身を締めつけ、拭っても拭っても涙が溢れてくる。


 苑は立てた両膝に顔を埋めて、声を殺して泣き出した。




★次回

あなたがいないルート

第12話「元型・9(苑)~旅立ち~」

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