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第2章・2話 春琴の厳しい稽古

 初めは他愛たわいのない「学校ごっこ」で孤独を紛らわせる程度でした。

 ですが月を重ね年を経ると、遊戯の域を越えてお互いに真剣になりました。


 お嬢様の日課は午後二時頃に春松検校師匠の家へ出かけて、四半刻(30分)から半刻(1時間)稽古を授かります。

 帰宅後、日の暮れまで習って来たものを練習する。

 夕食を済ませてから、時々気が向いた折に、私を二階の居間へ呼んで稽古をつけてくださいます。

 それがついには毎日欠かさず、教えてくださるようになりました。


 熱は収まるどころか、どんどん強くなります。

 9時10時に至っても、許しを頂けず、「わてそんなこと教せたか」「あかん、あか吞ん、弾けるまで夜通しかかったかてりや」と激しく叱咤なさるようになりました。


 そんな怒鳴り声がしばしば階下の奉公人共を驚かし、「またお嬢様こいさんの折檻が始まった」と眉をひそめたそうです。


 はち鼈甲べっこう象牙ぞうげで出来ていますが、弦と弦の間に難なく滑り込ませられるように、刃物のように鋭く尖っているのです。

 お嬢様は怒りが天辺てっぺんに達すると「阿呆、何で覚えられへんねん」と罵りながら撥をもって、私の頭を殴りました。

 頭を切られるのですから私が泣くも珍しくありません。


 私がひいひい泣くものですから、お嬢様の遊戯にあてがった大人たちもすこぶ当惑とうわくしたものです。

 それにくわえ、毎夜遅くまで響く琴や三味線の音、お嬢様の激しい語調で叱り飛ばす声、私のすすり泣く声が聞えるのでやかましいこと、この上ありません。


 ある日、女中の一人が見るに見かねて、稽古の現場へ割って這入りました。


「こんなことは姫様のすることやない! 男の児にえらいことしますわ!」


 それを受けて、お嬢様は襟を正して女中を睨みます。


「あんた等知ったこっちゃない! 放っといて!」


 と威丈高に斬り伏せます。


わてほんまに教せてやってるねんで、遊びごっちゃないねん!

 佐助のためを思っこそ一生懸命になってるねん!

 どれくらい怒ったかていじめたかて、稽古は稽古やないかいな。

 あんた等知らんのか!」


 私は泣きはしましたが、お嬢様が私のこと思っての言葉だと思うと、感謝してもしきれませんでした。


 私の態度も手伝ってか、お嬢様の稽古熱は留まることを知りませんでした。

 ある時私が出した音をお嬢様は気に入らず、何も言わずそっぽを向きました。

 これはいい音が出るまで、口を聞いてもらえない構えです。

 私は必死に音を探りますが、緊張で調子はずれの音ばかり出てしまいました。

 私は泣きながら元に戻そうとしますが、指が震えて余計な音が出る始末です。


 一刻(2時間)見えない敵と戦っていると、奥様が寝間着姿であがって来ました。


「熱心にも程がある。度が過ぎては体に毒だから」


 と宥めるようにして私たちを引き分けて頂きました。



 明くる日、お琴は両親の前へ呼び出された。


「そなたが佐助に教えてやる親切は結構だけれども、弟子を罵ったり打ったりするのは人も許さんし、我も許さん。

 お師匠様はそなたはいかに上手といっても、自分がまだお師匠さんに習っているのに今からそんな真似をしては必ず慢心の基になろう。

 およそ芸事は慢心したら上達はせぬ。

 あまつさえ女の身として男を捉え、阿呆などと口汚く言うのは聞くに堪えん。

 あれだけは何卒なにとぞ慎んで下され。

 もうこれからは時間を定めて、夜が更けぬうちに止めたがよい。

 佐助どんのひいひい泣く声が耳について皆が寝られないで困る」


 叱言こごとをいったことのない父と母に、ねんごろに説教を喰らったので、流石の我儘わがままお嬢様も返す言葉がなく聞き入った。



「佐助どんはおるか?」


 私が蔵で荷物運びをしていると、女中に曳かれてお嬢様がいらっしゃいました。

 ご両親にたっぷり絞られたので、詫びの一つでもくれるのかと思いきや―。


「この意気地なし!」


 頂いたのは罵声でした。


「些細なことで声立てて泣くから、お陰でわらが叱られた!

 これからは歯食い縛って耐えなされ!

 それが出来ないなら、師匠は降りさせてもらいます」


 それから私はお嬢様にどんな仕打ちを受けても、声をあげませんでした。


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