第1章・1話 春琴と佐助の出会い
彼女が俺の子どもを4人も生んでくれたのに、結婚してくれない
「今日からお世話になります、温井佐助と申します。未熟者ですがどうぞよろしくお願いします」
私は目の前に座る二人に向かって、深々と頭を下げる。
1837年、私は13歳にして、生まれの滋賀県・日野を出て、ここ大阪府・道修町とやってきました。
道修町は薬の街として広く知られています。江戸時代に中国やオランダから輸入された薬を検査・販売する薬種問屋が出来、幕府からの公認を得たからです。
その後日本で作られた薬もこの町に全て集められ、検査してから全国に流通されました。
私の目の前に座る二人は、薬種問屋・鵙屋の主人・安座衛門様と奥方・しげ様です。
「こちらこそよろしく頼みます。丁稚は辛いだろうが、父上もおじい様も頑張って来れたのですから、息子の自分が出来ないことはない」
丁稚とは商人の家に、住み込みで働く子どもです。大人でも住み込みで働く人を奉公人と言います。江戸時代ではよくある働き方で、農地を継げなかった農民の次男・三男が、暖簾分けをしてもらって商人になることを目指します。
ですが、私の実家は薬種問屋です。出稼ぎではなく、薬やお金の扱い方を教えてもらう為に、今日から住み込みで働きます。
ご主人が言ったように、父も祖父も鵙屋で修業し故郷で商家を営みました。
鵙屋は我が家にとって代々の主家ということです。
粗相がないよう、また帰ってから父に叱られないよう、研鑽しなければなりません。
ご主人から父について聞かれたので、しばらく近況を話していました。
すると頃合いを見計らって奥様が立ち上がり、ついてくるのように言われます。
「手曳きを頼むこともあるでしょうから……面食らわんようによろしゅう」
奥様は何か言いにくそうにしながら、中二階の座敷に私を案内して下さいました。
襖に手を掛けて、中に呼び掛けます。
「お琴、入りますよ」
襖を開かれると、一人の少女が座っていました。
とても小柄で、一つ一つ可愛い指で摘まみ上げたような、繊細な作りの掌を膝の上で重ねています。
顔の色は青白く、輪郭の整った瓜実顔に、今にも消えてなくなりそうな柔らかな鼻を備えていました。
そして特筆すべきは、目を閉じているのです。
静かに俯いて、瞑想するように深く考え込んでいるのかと思えば、奥様の声を聴いても、顔をこちらに向けるばかりで、目を開けようとしないのです。
それは衆生を慈悲深く見つめてくださる仏菩薩そのものです。
そんな方に、奥様が話し掛けます。
「こちら、今日から身を預かる佐助どん。年も近いから仲良くしてやってや」
奉公人は名前にどんをつけて呼ばれるのが一般的です。
お琴と呼ばれた少女は今年で九歳で、私よりも四歳年下です。
私が挨拶すると、お嬢様は顔を私に向けて額に皺を寄せました。
「田舎鴉! お前なんて国元に帰ってしまえ!」
私が仰け反ると、奥様が窘めます。
「これお琴! 丁稚とはいえ年上でござります。商いの家の生まれならもう少しお淑やかにできへんのか!」
「目明きに妾のことなんぞ、分かりませぬ!」
その後も四半刻(30分)程言い争い、お嬢様は疲れが出たのか、大人しくなりました。
それでも私を見据えて瞼越しに睨んでいます。
私は成ろうことなら、お嬢様に近付かないよう心に誓いました。