9話
○湊 優希
六月の第二土曜日。
黒咲さんと映画館に行った六日後の今日。
梅雨入りが発表されて間もない本日は、友人たちが遊びに来る日でもあった。
現在の時刻は正午過ぎ。
今は部屋の片付けを終わらせて休憩しているところだ。
さっきなっちゃんから連絡があったので、そろそろここに着く頃だろう。
そう思って待っていると、案の定インターフォンの音が鳴る。
外の映像を確認してみれば、久しぶりに見る三人の姿が映っていた。
「いらっしゃい」
私はしばらくぶりの再会に少し心を躍らせながら、玄関の扉を開いて三人を迎えた。
「あ、出てきた」
「久しぶりー、ゆっき……い?」
「……え、誰?」
(なにその反応?)
と一瞬思ったが、それは当然の反応だったのかもしれない。
(あー、そういえば私が髪を切ったこととかまだ伝えていなかったな)
戸惑う友人たちを前にして、私はすでに慣れきった自らの容姿を今一度思い出した。
「久しぶり三人とも。とりあえず中に入って」
しかし玄関先で話をするのも何なので、私は友人たちを家の中に招き入れたのだった。
リビング。
というと広い部屋を想像すると思うが、一般的な一人暮らしの大学生の家にそんなものはない。
そこまで広くなく、しかし四人が座るには十分な広さがあるこのリビングで、私たちは一つの正方形の机を囲んで座っていた。
座布団とかクッションとかぬいぐるみとかクッションの上に座っていた。
「それで?これはどういうこと?」
「そうそう、どういうことなの?」
「何で髪型が変わっているの?」
「それに眼鏡はどうしたの?」
「「ねえ、一体全体どういうことなの?」」
「どうといわれても…」
怒っている。
明らかに怒っている。
しかし私にはその理由が分からなかった。
この二人はなぜここまで怒っているのだろうか。
今まで話していなかったからだろうか。否、両隣に座るこの二人はそんなことでここまで怒りはしないだろう。
「あの長い髪はどこへ行ったの!?」
「あなたの眼鏡はどこへ行ったの!?」
「「あの黒髪ロング眼鏡美少女はどこへ行ってしまったの!?」」
「何を言ってるのよ…」
埒が明かないので、私はさっきから無言を貫いている正面の友人に助けを求めた。
「ねえ、莉奈。この二人が言っていることを私にも分かるように説明してほしいのだけど」
「……」
莉奈は一回、首を縦に振った。
矢島莉奈。ゲームが好き。髪型はロングのポニテ。あだ名はりなちー。そう呼んでいるのはなっちゃんだけ。
彼女は、特徴的な抑揚のない喋り方でこう言った。
「つまり、この二人はこう言っている。湊優希のキャラが崩壊しているのは何故か、と」
なるほど、確かにそれは由々しき事態だ。
私にそんなキャラ付けがされていたとは思わなかった。
「私はいつから黒髪ロング眼鏡美少女というキャラになったのよ」
「いや会ったときからだよ。中学一年のあのときからだよ!」
「中一と言わず生まれたときからだよ!」
「それはないでしょ」
私は指摘した。
「それはないわ」
なっちゃんも突っ込んだ。
なっちゃんこと橙木夏美。漫画アニメが好き。絵が上手。ロングのストレート。『なっちゃん』は自分でそう呼んでほしいと言っている。気に入っている呼び名らしい。
「えっ。なっちゃんに裏切られた」
今裏切られたのが白石真雪。たぶん腐女子。本人は否定している。セミロングで毛先がふわふわしている。あだ名はまっきー。やはりそう呼ぶのはなっちゃんだけ。
「で、冗談はここまでにするとして、その変化はどういうことなの?」
私の右手に座るなっちゃんから再度質問が来た。
「えーと、普通に、大学生になったから心機一転しようかなと思ったまでで…」
その質問に答えるのは私。
湊優希。趣味、読書。たまに絵を描く。ショートボブ。あだ名はゆっきー。勿論そう呼ぶのはなっちゃんだけ。
この四人が揃うのは、実に半年ぶりのことだった。
約五分後。
半年ぶりに会った友人の容姿がガラッと変わっていたら驚くのも当然だと思った私は、簡潔にそのことについての説明をした。
と言っても、わざわざ話すようなことなど何もないのだけれど。
「優希は大学生デビュー的なやつに成功してしまったと」
莉奈がそうまとめた。
その言い方なら普通は「失敗してしまった」ではないのかとは思ったが、言っていることは概ね正しい。
「まあ、だいたいそんな感じ」
といって一息つく。
(これでひとまずは落ち着いたかな)
そう思った矢先のことだった。なっちゃんが口を滑らせたのは。
「なるほど、だからゆっきーに新しい友達ができたのか」
「え、なにそれ?」
「聞いてない」
「「優希」」
それは、よりにもよって、ここ半年で一番大きな話題だった。
そしてこうなったら、話さないという選択肢はないのだろう。
「その話は長くなりそうだから、とりあえず飲み物とお菓子持ってくる」
私は冷蔵庫へ向かいながら、どこまで話したものかなと考えるのだった。
約三十分後。
私は三人の質問に答えながら、私と黒咲さんの間にあった出来事をかいつまんで話した。
告白とそれに関係することは話していない。なっちゃんにも言っていなかったし、ここで言っても話がややこしくなるだけだと思ったのだ。
だから黒咲さんとは、普通に喫茶店が満席だったから相席して出会ったことになっている。
「まさかあの優希が出会って二回目で会話するだなんて」
「私たちは一週間くらいかかったよね?」
「うん。毎日登下校中に話しかけまくった記憶がある。なんか負けた気がするわ…」
莉奈と真雪は見るからに驚いていた。
なっちゃんだけは落ち込んでいた。
「私の話はこれくらいにして、それよりもみんなお昼まだでしょう?なっちゃんが私の料理を食べたいって言うから、一応準備してあるんだけど」
「ゆっきーの手料理!」
なっちゃんが復活した。
「私も優希の食べたい!」
「私も」
ということで、私はお母さんに貰ったレシピに従って、簡単に作れるトマトミートパスタを作ることにした。
時刻は現在十四時頃。
昼食を食べ終わったところだ。
パスタに対する三人の感想がこちら。
「美味しい!」
「普通に美味しいね」
「……」
上からなっちゃん、真雪、莉奈である。
莉奈は特に何も言わなかったが、完食してくれたので良かったと言うことだろう。
当然私も食べたが、真雪の言った通りで普通に美味しかった。
すごく美味しいというわけではないが、不味くはない。普通の美味しさだった。
ただ、レシピをくれたお母さん本人のものよりは数段落ちる味だったと思う。
総評、普通のトマトミートパスタだった。
それから、昼食を食べ終わってみんながくつろぎ始めた頃のこと。
私が食器を洗っていると、唐突にこんな声が聞こえてきた。
「よし、映画に行こう!」
なっちゃんだ。
「えー、外雨降ってるよー」
反対したのは真雪。
「…」
莉奈は多分スマホのゲームをしている。完全にくつろいでいた。
「何で映画?」
全く相手にされないなっちゃんを少し憐れに感じた私は、そう問いかけた。
「さっきのゆっきーの話を思い出したら、なんか行きたくなった」
「ああ。なっちゃんもその映画見たいの?」
「まあ、そういうこと」
「それなら…」
と言ったのは私ではなく莉奈。
「なに?りなちー」
「今日はやめて、明日行けばいい」
「明日?」
どういうことだろうか。
「明日は晴れの予報」
「おお、いいね。それならまっきーも文句ないでしょ」
「いいよー」
「え、ちょっと待って。明日もまたここに来るの?」
私がそう尋ねると、三人は揃って「何言ってんだこいつ」みたいな顔を向けてきた。
私も会話がかみ合っていない事には気づいている。
「あ、分かった」
と言ったのは真雪。
「あのね優希。私たち今日、ここに泊まる予定なんだよ。言ってなかったけど」
何言ってんだこいつ。
私はこの時そんな顔をしていたに違いない。
約五時間後。
友人たちが泊まるつもりだったことを知った私は、しかし特別な何かをするわけでもなく、普通にゲームをしたり漫画を読んだり夜ご飯を食べたりして、友人たちと土曜日の午後を過ごしたのだった。
今はなっちゃんと約束していた例の百合漫画を読んでいるところだ。
だけど、私はその漫画にあまり集中できないでいた。
なぜなら黒咲さんのことを考えてしまうから。
百合漫画の中でも本格的な恋愛ものだったから、余計に黒咲さんのことを連想してしまうのだ。
読めば読むほどに黒咲さんが私に対してどんなことを思い、考え、感じているのかを考えてしまうのだ。
今思い出していたのは、先日の帰り道のこと。
その時は、手を繋いで歩いたことにはなんとも思わなかったのだが、いや、なんとも思っていないと思っていたのだが、私は自覚していないところで、意外と黒咲さんのことを意識していたのかもしれない。
意識している、と言うよりは気にしている、と言うべきか。
私は、黒咲さんの気持ちを気にしているのだ。
私は黒咲さんのことが好きだが、その好きは黒咲さんが私に言った好きとは別物だ。
私のそれは友人たち、なっちゃんや真雪や莉奈に向ける好意、友情に近い。今日三人に会って、それを実感した。
私のは、黒咲さんの恋的な好きとは違うのだ。
黒咲さんの恋的な好きは、私のとは違うのだ。
そう思った。
黒咲さんのそれは、私の好意よりもっと強く、大きく、激しいものではないのか。
だからあの日、初めてあった日。黒咲さんは周りが見えなくなるほどに、私に夢中になっていたのではないか。
そんなことを、考える。
今更ながら、私が黒咲さんと仲良くなるとはどういうことなのかを、考える。
私を好きな人と仲良くなると言うことは、どういうことなのか。
しかし自問自答の繰り返しは、莉奈の発言によって中断することとなった。
「そろそろ、お風呂入らない?」
その声はいつもの抑揚がない声に比べて、心做しか弾んでいるように聞こえた。
「あれ、もうそんな時間なの?」
「じゃあ、お風呂湧かしてくるね」
ということで、お風呂の時間である。
私が風呂場から帰ってくると、莉奈からこんな提案があった。
「せっかくだし、一緒に入ろう」
と。
しかし、それには問題がある。
「うちの風呂、そんなに大きくないよ」
「二人ずつならどう?」
「それならまあ、多分大丈夫」
「分かった。それじゃあ、私は真雪と入るから。なっちゃんは優希と先に入ってくると良いよ」
「え、ちょっ、ちょっとりなちー!?」
戸惑うなっちゃんに対し、莉奈はサムズアップ。
今日の莉奈はどうやらテンション高めのようだ。
「真雪、ゲームしよ」
「いいねー。なにするの?」
「音ゲーは?」
「おっけー」
莉奈は真雪とゲームを始めてしまった。
私となっちゃんが一緒にはいるのは決定事項のようだ。
「それじゃあ、私たちは入ろっか」
「え、ええ。そうね」
なっちゃんも珍しく恥ずかしがっているのかもしれない。
少し赤くなった彼女の顔を見て、そう思う。
そんな感じで、私はなっちゃんとお風呂に入ることになった。
風呂場にて。
先に体を洗った私は、湯船につかっていた。
今はなっちゃんが体を洗っているところだ。
数年ぶりに見たなっちゃんの体は、当たり前だけど成長していた。
最後に見たのは中三の修学旅行の時だっただろうか。
目の前の比較的大きな胸が揺れるのを見ながら、昔のことを振り返る。
「あ、あの、ゆっきー」
いつの間にか、なっちゃんは手を止めてこちらを見ていた。もう髪も体も洗い終わったようだ。
「どうしたの?」
「そんなにじろじろ見つめられると、居心地が悪いというか…」
なっちゃんの表情を見るに、どうやら恥ずかしいらしい。
確かに、自分の体をじっくり見られたら誰だってそう思うだろう。
「ああ、ごめん。ただ、おっきくなったなーと思って」
なっちゃんは、さっと手で胸を隠した。
「何その反応」
「ゆっきーのえっち」
「何言ってるの。それより、さっさとこっちに来たら?体冷めちゃうよ」
「う、うん」
なっちゃんは何故かおっかなびっくりといった様子で、湯船の中に足を踏み入れた。
なっちゃんが胸を隠しながら腰を落とすと、大量のお湯が溢れ出ていく。
その様子を横目で見ながら、私はなっちゃんの成長した胸が水面に浮かぶのを眺める。
やがて溢れ出る水の流れが止まったのを見てから、私は口を開いた。
「やっぱり二人は狭いね」
窮屈と言うほどではないが、二人だとやはり少し狭い。
「確かに、ちょっと狭いかも、というか…これは近すぎるというか…」
なっちゃんが何かを言ったが、後半がよく聞き取れなかった。
「ごめん、良く聞こえなかった。なんて言ったの?」
「いや、何でもないから」
「そう?」
それはさておき、私たちは現在、中途半端に足を伸ばしている状態だった。
普段足を伸ばしきってお風呂に入る私としては、なかなか寛ぎにくい状態なのだ。
そこで私はなっちゃんに声を掛けた。
「ねえ、ちょっとこっち来て」
「え、なんで?」
「いいからいいから」
「わ、分かった」
なっちゃんは少し腰を上げて、一歩だけこっちに近づいた。
「そのまま反対を向いて」
「う、うん」
なっちゃんは言われたとおりに私に背を向ける。
私はなっちゃんの肩を押さえると、そのまま自分の方に倒した。
そのまま私の足の間に座らせる。
「ひゃうっ、ゆ、ゆっきー!?」
可愛らしい悲鳴を上げたなっちゃんを無視して、私は彼女のお腹に手を回した。
これでよし。
「これなら二人とも足を伸ばせるし、そんなに狭く感じないでしょ?」
「う、うん。そうなんだけど…」
「実は妹と入るときに、いつもこうしていたんだよね。だからどうかなと思って」
「ゆっきーの妹…。優香ちゃんだっけ?」
「そうそう。五つも年が離れてるから、お風呂も最近まで一緒に入ってたんだよねー」
「そう………。あのさ、さすがに恥ずかしくない?」
「そうかな?」
「だって、私たちもう大学生だよ?」
「そうだけど…。あ、もしかして嫌だった?」
「別に、嫌ではないんだけど、むしろ…」
「むしろ?」
「いや、何でもない」
と言ったなっちゃんは、少しだけ私に体重を預けた。
私はそのことを嬉しく思いつつ、妹の事を思い出しながら、なっちゃんを抱きしめる手の力を少しだけ強めたのだった。
 




