57話 優香帰宅
〇湊優希
「……きて……ゆう……起きて」
『……ちゃん……いな……』
「起きて、優希さん」
「ん……」
「やっと起きてくれた!」
『ゆー……』
体が揺すられて目が覚めた。
決して心地よいとは言えない部類の起こされ方だったけど、頬に当たっている枕の感触がいつもより気持ちよくて、総合的には気分のいい目覚めだった。
気分のいい目覚めを迎えた私は、まだ半分も起きていない頭でなんとか周囲の状況を把握する。
そうしたところ、誰かの焦っているような声と、もう一つの遠くから聞こえる声だけが、辛うじて寝惚けた頭の中に入ってきた。
「優希さん、優希さん!誰か帰ってきたみた──」
「──ゆーちゃん?いるなら出て……」
不機嫌そうな声が聞こえてきて、声がした方を見る。
するとそこには、優香ちゃんがいた。
私の部屋に入って一歩目で動きが停止した優香ちゃんがいた。
言うまでもないことだけど、私は現在、遥さんに膝枕をされている。
「………………お、お邪魔しました」
「……」
「……」
……………………………………………………見られた?
「遥さん。すぐに戻ってきます」
それだけ言い残して、私は部屋を飛び出し優香ちゃんを追いかけた。
「優香ちゃん!」
「ゆ、ゆーちゃん?えっと、ごめん、邪魔しちゃって」
「いや、その、全然いいから!あ、いや良くないけど、良くないんだけど、でも邪魔とか、ぜんぜん思ってないから!うん、全然だからね」
「本当にごめんなさい。せっかく彼氏に膝枕してもらってたのに、勝手に入っちゃって」
「違うから!遥さんは彼氏じゃなくて………………彼氏?」
「ゆーちゃんの彼氏も女装してたのはびっくりだけど、でも悪くないと思うよ。うん。やっぱり姉妹だから彼氏の趣味も似たりするのかもね。うんうん。私はいいと思うよ」
「いや、そもそもあんたの彼氏の女装は趣味じゃなかったでしょ……じゃなくて!遥さんは、さっきの人は普通に女だから」
「え?……はぁ、なんだもう。びっくりさせないでよ……あれ?でもじゃあ、さっきの膝枕って何?」
「何って、あれよ。友達同士のスキンシップみたいなあれ」
「え、友達?のスキンシップ?……え?」
「え?友達なら膝枕ぐらいするでしょう?」
「え?するの?」
「え?しないの?」
「……」
「……」
「ところで優香ちゃん、部活帰りでお腹すいているでしょう?冷蔵庫に焼きそばがあるから、温めて先に食べてて。私も遥さんと話をしたらすぐに行くから」
「ちょっと待ってゆーちゃん、その話の切り方は無理があるから。それで、どうなの?友達と膝枕した事あるの?」
「お、落ち着いて優香ちゃん。どうしたの?なんでそんなことを知りたがるの?」
「妹だから。私はゆーちゃんが常日頃から膝枕をしてきたかどうかを知りたいの。妹として、姉のそういう所は知っておかないといけない気がするの」
「わ、分かった。分かったから、この話は後でするから、だから優香ちゃんは先にお昼を食べてて」
「ダメ。後で聞いても絶対にはぐらかすから、今じゃないとダメ。それでどうなの?今までどれくらい膝枕をしてきたの?されてきたの?」
「え、えっと……」
万事休す。優香ちゃんに軍配が上がり、勝敗はもう目に見えていた──そんな絶妙なタイミングで援軍は現れた。
「優希」
「遥さん!」
起きてから名前の呼び方が元に戻っていることは自覚しているけれど、遥さんはその事に触れてこなかった。
遥さんには、それよりも優先すべきことがあったのだろう。
「今の話、私も詳しく聞きたいわ」
「……え?」
「膝枕、どれくらいしたことあるのかしら?」
どうやら、援軍ではなく敵軍だったらしい。にっこり笑っている遥さんを見て、私は抵抗するのを諦めた。
リビング。
「遥さん。こちらが妹の優香です。私の五つ下で、今は中学二年生です。優香ちゃん。この人は黒咲遥さん。バイト先の上司で私の友人ね」
「初めまして、優香さん。さっきは驚かせてしまってごめんなさいね」
「あ、はい、よろしくお願いします。私もいきなり入ってしまって、ごめんなさい……」
妹の敬語というのはかなり新鮮みがあった。遥さんの方はバイト中によく聞くので慣れたものだけど。
「それじゃ、ひとまずお昼にしよっか。遥さんもそれでいいですか?」
「ええ。せっかくだからご馳走になるわ」
と言うことで、紹介を終えた私は二人をリビングに残してキッチンに向かう。
優香ちゃんも遥さんもコミュ力お化けなので、初対面とは言え心配はいらないだろう。
決して逃げたわけではない。
と、誰にとも無く言い訳じみたことを考えていたところに、後ろから声がかかった。
「ね、ゆーちゃん」
「?」
「ちょっとちょっと」
手招きしながら優香ちゃんの方が近づいてくる。
「あの人なに、モデルとか?超美人じゃん」
「え?いや、そんな話は聞いたことないけど」
「てか、ゆーちゃんなんであんな変な話し方なの?友達なんでしょ?」
変な話し方って……変、なのかな。敬語、やめた方がいいのかもしれない。あと名前も。
「それは。えーと、遥が、年上だから……ほら、仲のいい先輩と話すときみたいな、あんな感じ」
仲のいい先輩なんて一人もいないけど。
「ふーん……」
「な、なに」
「べっつにー」
そう言うと優香ちゃんはリビングへと戻ってしまった。
何だったのだろうか?
もう遥との関係がバレたりとかは……さすがに無いと思いたかった。
焼きそばとお茶と箸を三人分、お盆に乗せてリビングに戻ると、明るく談笑している二人の声が聞こえてきた。
「──の後は、どうなったの?」
「そしたら優希がね、泊まり込みで看病してくれて」
「へー、そんなことしてたんだ。でも面倒見がいい所はゆーちゃんらしいかも」
「そうなのよ。その時の優希、本当に優しくてね、うどん作ってくれたり、体をふいてくれたり──」
え、待って。
ちょっと待って。
遥?遥さん?優香ちゃん相手になんの話をしているの?
「ちょっとストップ!今何の話してた!?」
「あ、ゆーちゃん。やっぱり友達っていうの嘘だったんじゃん」
「?」
「恋人なら恋人だってちゃんと紹介してよね。まったく。気恥しいのは分かるけどさ」
「??」
「優希。その、ごめんなさい。優香ちゃんに聞かれて、隠しきれなくて……」
優香ちゃんは興味津々に、遥は居た堪れない様子で、わたしのことを見ていた。
こうして、酷く居心地が悪い状況から、お昼ごはんの時間が始まった。
私の予感は裏切られた。
意外なことに優香ちゃんは私に何か追求することも無く、遥に質問するのでもなく、聞き役に徹していた。
「ごちそうさまでした。美味しかったわ」
「遥はこの後用事があるんだったよね?」
「ええ、そうね。だから、そろそろお暇しないと……でもその前に、優希に聞いておかなければいけないことがあるわ」
「ん?」
「さっきの膝枕の話、覚えているわよね?」
「……」
「詳しく聞かせて欲しいわ」
そう言われても、遥が危惧しているようなことは何もない……いや、今思えば、なっちゃんは下心があったかもしれないのかな……。
とりあえず、今はなっちゃんのことは置いておこう。
「友達にやってみたいって言われてやったことがあるの。でもただのスキンシップだから、遥の心配しているようなことは何もなかったよ」
「ただのスキンシップ?」
「うん」
「……分かったわ。決めた。また今度、優希に膝枕をするわ」
「え……まあ、いいけど」
「ふふ、約束よ。では、私は帰るわね」
「うん。じゃあ私は遥を見送ってくるから、優香ちゃん、片付けお願いしていい?」
「……」
「優香ちゃん?」
「え、……ああ、片付けね。わかったやっとく」
「うん、よろしくね」
そして玄関前。
「そういえば、午後からは何を?」
「ちょっと仕事の関係でね。それじゃあ、またね優希」
「はい……またね、遥」
食事中ずっと「遥」と呼んでいたおかげで、もう名前を呼ぶことに違和感は感じなかった。
玄関の鍵を閉めてリビングに戻ると、優香ちゃんが部活の練習着のままソファーに寝転がっていた。完全にくつろぎモードである。
「片付けありがと。お風呂入ってきたら?お湯湧いてるよ」
たった今、少し外に出ただけでもすごく暑かったのだから、部活帰りの優香ちゃんが汗をかいていないはずがない。もう乾いていたとしても、ベタつくだろう。
「はーい」
「……」
「何?」
「いや……」
てっきり遥のことについて追求の一つや二つはあると覚悟していたから、優香ちゃんの素っ気ない反応は予想外のものだった。
「行ってくる」
「あ、うん」
行っちゃった……。
「んー」
優香ちゃんらしくない反応というか、なんというか。
調子が狂う。
「……私もお風呂、入ろっかな」
大学の夏休みも既に半分を過ぎている。今のうちに優香ちゃんとスキンシップをとっておかないと。
でもこの前は嫌がられたし、どうしよう……。
「……よし」
少し悩んだ末に、私は着替えとタオルを取ってお風呂に向かった。
〇湊優香
お風呂。
「はぁ」
ちょっと前から、ゆーちゃんは変わった。
絶対変わった。
最初は大学生になったからだと思っていたけど、違ったみたい。
今日分かった。
「くろさき……はるか……」
ゆーちゃんの恋人。彼女。らしい。
そう。ゆーちゃんの恋人は女の人だったのだ。
ゆーちゃんが変わったのは、たぶんぜったい、あの人のせい。あんな感じの美人に限って性格が悪いってよく聞くし、間違いない。
「そもそもゆーちゃんも女だし……彼女とか、絶対おかしいでしょ」
ゆーちゃんはあの人に騙されているのかもしれない。そうでもなければ、普通同性と付き合ったりはしないはずだ。それにあの人、ずっとにこにこしてて何考えているか分からなかった。
信用できない。
「……」
ゆーちゃん、なんであんな人と付き合ってるんだろう。
「入るよー?」
ゆーちゃんがお風呂に侵入してきた。考え事をしていたせいで、扉が開くまでゆーちゃんがすぐ外にいることに気が付かなかった。
昨日も嫌だって言ったのに。
「ちょっと、勝手に入ってこないでよ」
「外から確認したけど、優香ちゃん何も言わなかったでしょ?」
「聞いてないし。後で入って」
「えー、でも服脱いじゃったし、それにもう濡れちゃったから」
「いいから出てってよ」
そう言ってるのに、ゆーちゃんはシャワーで体を洗い始めた。
「もう、どうしてダメなの?」
「ダメなものはダメなの」
「まあ、そう言わずに」
ムカ。
「出てけっつってんの!」
ムカつく。今日のゆーちゃんは、なんかすっごい腹が立つ。
ゆーちゃんの顔に、思いっきり水をかけてやった。
「わっ、ちょっと何?あー最悪、目に水入った」
運良く目に水が入ったみたいで、慌ててるゆーちゃんを見て少しだけ気が晴れた。だからと言うわけでもないけど、追い出すのはやめておいた。言っても聞きそうになかったし。
ゆーちゃんが洗い終わるのを待つ。チラチラとたまにこっちを見てきたけど、それは無視した。
「その、そんなに嫌だった?」
「……別に」
「えっと、じゃあ入ってもいい?」
「……ん」
洗い終わったゆーちゃんが浴槽に入ってくる。
遠慮しているのか、今日はいつものように抱きついてこないで私の正面に座った。
何となく目を合わせるのが嫌で、横を向く。
「優香ちゃん、怒ってる?」
「怒ってない」
「……」
「……」
別に、怒ってはいない。
怒るとか、そういうのじゃなくて……。
「ねぇ」
「うん?」
「ゆーちゃんは、さっきの人のどこが好きなの?」
「えっ……。えっと、それは……」
じっと正面のゆーちゃんを見詰める。
「な、なんとなく、かな……」
「具体的に」
「具体的に……、それじゃあ……話してて楽しいところ、とか」
「他には」
「え……、えっと、よく、私のペースに合わせてくれるところ」
「他には」
「……優しいところ」
「他」
「待ってこれいつまで続けるの!?」
羞恥心が限界を迎えたのか、ゆーちゃんは顔を赤くして立ち上がった。ザバッと浴槽のお湯が波立つ。
(ゆーちゃんもそんな反応するんだ……)
こうしてゆーちゃんが慌てふためくことは滅多にないのだけど、今日はこれで3回目くらい。どれもこれも遥さんが関わっている。
「今日のところはこれで許してあげる」
「許してあげるって……」
「先に出てる。……遥さんのこと、お母さん達には黙っておくから」
まだモヤモヤ感は残るけど。
ゆーちゃんが遥さんのことをどう思っているのかは、ゆーちゃんの顔を見ればだいたい分かった。
それが分かったから、追求するのはまた今度することにした。
 




