5話
○湊 優希
一週間後。
同じ喫茶店の同じ席。向かい合って座る私と黒咲さん。机の上には二つのアイスコーヒー。
まるで一週間前の状況を再現しているようだ。
だけど一つ、決定的に違うものがあった。
それは黒咲さんの表情。
この前は常に笑顔で明るい雰囲気だったけれど、現在はにこにこの微笑みなど欠片もない。
真顔である。
真顔でこちらをじーっと見つめてくるのである。
前回と様子が違いすぎる黒咲さんを前に、私は固まることしかできなかった。緊張ゲージは既に最大だ。
それでも、黒咲さんの顔を見ることができている自分に、少しだけ安心した。
黒咲さんがアイスコーヒーを一口飲む。
カラン、と氷の音だけが響く。
グラスを置いた黒咲さんは、今までの沈黙が嘘のように話し始めた。
「この前は本当に、ごめんなさい!」
「……」
「いきなり話しかけて、告白して、本当に迷惑だったと思うわ。それに、優希さんのこと色々知ってて、私のことを怪しく思ったかもしれない」
「……」
「優希さんのことは、高校の時に知ったの。高三の時に好きになったって話は本当で、そのときに優希さんのことが気になって、人づてに聞いたり、クラスを見に行ったりしてて…あ、高校が同じって信じられないなら、卒業アルバムもあるんだけど…」
「……」
「それで、えと、何が言いたいかと言いますとですね……」
「……」
「…私は、優希さんと仲良くなりたいです。もっと優希さんのことを知りたいんです。それから、もし優希さんが良ければ、私のことも知ってほしいと思っています…」
「……」
「私は、優希さんのことが好きです。恋人になりたいです。でも、同性の私からそんなこと言われても、普通は困ると思います」
「……」
「だから……だから私は、恋人じゃなくてもいいので、これからも優希さんと会ってたくさん話をしたいです。優希さんと一緒にいたいですっ!」
怒濤の勢いで話し続けた黒咲さんは、最後に息を切らしながら頭を下げた。
その姿勢のまま荒い呼吸を繰り返す黒咲さんをじっと見つめる。
…私は衝撃を受けていた。
もちろん悪い意味ではない。いや、いきなり謝罪されてそのまま色々とまくし立てられたが、黒咲さんが突拍子もない人なのは前回同様なので置いておくとして。
衝撃を受けたとは、つまり心を打たれたということ。感動したということ。
こんなにも純粋に、真っ直ぐに好意を向けられたのは初めての経験だった。黒咲さんの「好き」という気持ちが、私にダイレクトに伝わってきたのだ。
羨ましい。
自分の思いを言葉にして私に伝えた黒咲さんを、私は羨望していた。
私もこの人のように、自分の言葉を伝えたい。この人の思いに答えたい。
そう思ったとき、衝撃で揺らいでいた私の心から零れるように言葉が溢れ出てきた。
「…先週、黒咲さんに告白された時、この人は本当に私のことが好きなんだなって、なんとなく分かったんです。」
ぽつりぽつりと話し出す。私が話し始めると、黒咲さんは顔を上げてこちらに耳を傾けてくれる。
「だから、黒咲さんのことは嫌いじゃないというか、悪い人ではないなと思っていました。えっと、確かに、怪しい部分もありましたけど…」
慣れてくると、話すスピードが少しずつ上がってきた。
「それから、黒咲さんともっと話がしたいという気持ちは私にもあります。なので私からも、これからよろしくお願いします」
最後の方はかなりスムーズに話せていた、と思う。
話すのをやめて静かになった瞬間、心臓の音が聞こえてきた。
ドクドク、ドクドク。
いつも他人と話す時に聞く音。聞き慣れた、慌ただしいリズム。
いつも緊張している時に聞くその響きが、今は心地よかった。
「……」
久しぶりの長文だった。高校で喋った総文字数より多かったかもしれない。
それにしても、私と黒咲さんの関係はこれからどうなるのだろうか。
私にも黒咲さんに対する好意はあるが、それは黒咲さんが私に向けるものとは別物である、と思う。私のは、どちらかと言えば友人に向ける好意に近い。
とりあえず付き合う云々の話は無かったことになっているようなので、ひとまず安心である。
たぶん、安心していいはずだ。
「……」
……沈黙が長い。
私は静かな空気が好きだけど、こういう状況は望んでいない。
だから、そろそろなにか喋って欲しい。この状況で、私から話しかけるのは非常に困難だ。黒崎さん相手には緩和されているとはいえ、私のコミュ障は治っていないのだから。
「……」
カラン、という小さな音が静かな空間に響く。
溶けた氷が崩れてグラスにぶつかったようだ。
アイスコーヒーはまだほとんど口につけていない。
音が鳴ったグラスを見てそのことを思い出した私は、気を紛らわせるようにアイスコーヒーを口に運んだ。
静寂な空間に変化が訪れたのは、そんなときだった。
先に気がついたのは、私だった。
それから少しして、自分の頬に伝わるものを感じ取ったのか黒咲さんも気がつく。自身の変化に。
「え。あ、あれ?なに、なにこれ。涙…私の?泣いてる?」
そう、黒咲さんは泣いていた。
涙を流している本人は、自分が泣いていることに驚いている様子だ。
まさか本当に自分が泣いてることに気が付かない人が実在するとは思わず、私も驚いている。
ああいうのはアニメとか小説とか、創作の世界の中の話だと思っていたけれど、どうやら私は考えを改めないといけないらしい。
「ご、ごめんなさい。ぐすっ。私ったら、うっ、なんで…」
「あ、あの。…良ければハンカチ、どうぞ」
そして意外にも、私はとても落ち着いていた。自分でも驚く程に冷静だった。
今話した時も、いつもより全然緊張しなかった。
そもそも普段の私には、泣いている人を前にしてハンカチを出せるほどの余裕はないだろう。
良くて「だだだ大丈夫、ですか…」と言えるかどうかである。小声で。
まあ外で泣いている人に接したのは今日が初めてなので、今のは全て私の想像だが。
それに、私が落ち着いていられる理由もなんとなく理解していた。
「うっ、うぅっ。…ありがと、あっ、ご、ごめんなさい!…ぐすっ、優希さんのハンカチが」
焦ってハンカチを受け取ろうとした黒咲さんは、手を滑らせてそれを床に落としてしまった。
「あ、いえ。気にしないでください。それより、もう一つあるのでこっちをどうぞ」
それに対応するのは、いつにも増して落ち着いている私。
「ぐすっ、ありがとう。…優希さん」
私が冷静でいられる理由は、たぶん黒咲さんがひどく取り乱しているからだ。
慌ただしくハンカチを受け取る黒咲さんを見て、私はそう確信した。
なんというか、涙を流していることに戸惑い慌てふためく黒咲さんには、そこはかとない小動物感があった。手を差し伸べたくなるような、私の庇護欲をかき立てる何かがあったのだ。
(何だろう。今すっごいこの人の頭を撫でてあげたい気分。)
やらないけど。
さすがに二回しか会っていない人の頭を撫でることはできない。常識的にも、コミュ力的にも。
頭を撫でると言えば、妹の頭はよく撫でることがある。妹はスキンシップが多く、抱きついてきたらそのまま頭を撫でることが多い。
なんだか姉らしいことをしている気分になれるので、妹のスキンシップは結構好きだ。
そんな感じで妹のことを思いだしていたら、黒咲さんは落ち着きを取り戻していた。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって。もう大丈夫よ」
「あ、そうですか…。良かった、です」
あの小動物黒咲さんが見られなくなってしまったのは、まあまあ残念だが仕方ない。
黒咲さんの表情は、未だに前回のようなにこにこではないけれど、この店に入った当初のような真顔でもなかった。
「……」
「……」
……これはまた、静寂が続くパターンだろうか。
「実は…」
どうやら違うようだ。
「この前ここで会った後ね。家に帰って、その日のこと振り返ってみて、自分の行動にすごく後悔したのよ。自分のことしか考えていなくて、周りが見えていなくて。優希さんに嫌われたかもしれないと思ったわ」
黒咲さんはさっきと違い、落ち着いた口調で語り続ける。
「だから、優希さんが私と仲良くなりたいって言ってくれて、私の気持ちが優希さんに伝わっていたことを知って、すごく嬉しくて、安心したわ」
そういった黒咲さんは、一週間ぶりの笑顔を見せた。
「それから、さっきはハンカチありがとね。安心したら、勝手に涙が溢れてきちゃって。」
黒咲さんが手に持つハンカチを見て、まだ渡したままだったことを思い出す。
「あ、ハンカチ、もらいますよ」
「いえ、いいのよ。今度洗って返すわ」
……なるほど。コミュ力上級者はこうやって、また会うための口実を作っていくのか。
まあ、口実などなくても黒咲さんとなら会うと思うけど。
「それより優希さん。お腹すいてない?」
見れば時計の針は正午近くを示していた。
この喫茶店に来てからすでに1時間近く経過しているようだ。
「はい」
こくりと頷く。
「じゃあこのまま、ここでお昼にするのはどうかしら。優希さんとお話もしたいし」
「そうですね。いいと思います。」
ということで、ごく自然な流れで私たちは一緒に昼食をとることになった。
さっそくメニュー表を広げる黒咲さん。彼女が微笑を浮かべているのはそれがデフォルトだからではなく、彼女が上機嫌だからなのだろう。
にこにこ。
(……あれ?)
なにか、違和感がある。
(なんだろう?)
「優希さんはどれにするか決めた?」
「えーと、じゃあこのサンドウィッチにします」
「あら、美味しそうね。私は、このパエリアにしようかしら」
注文を決めたら、黒咲さんが店員を呼んでまとめて注文してくれた。
私は店員と話さずにすんだことに安堵する。
(…おかしい。なにか、おかしい)
黒咲さんを見る。あいかわらず、にこにこしている。
「それじゃあ何から話そうかしら。色々ありすぎて悩むわね…」
「あ、それなら、黒咲さんのことについて聞きたいです」
「私のこと?」
「はい。私黒咲さんのこと何も知らないので」
「それもそうね。それで、どんなことを聞きたいのかしら」
「そうですね……ん?」
(………………あれ、私、黒咲さんと普通に話せてる?!)
それは、驚愕の事実が発覚した瞬間だった。
 




