49話 私ではない
〇橙木夏美
翌日、ゆっきーがうちに来た。
「これ、なっちゃんのだよね」
「私のスマホじゃん!ありがと、ゆっきー」
昨日喫茶店に忘れた私のスマホを、ゆっきーはわざわざ私の家まで届けに来てくれた。
「上がってく?」
「いいの?」
「今日暇だし」
「そっか、じゃあお邪魔するね」
昨日は喫茶店の帰りに盗み聞きした二人の会話のせいで最悪の気分だった。
でも今日は遥さんではなく私がゆっきーと二人きりなのだと思うと、悪くない気分だった。
「それ、先週買った新刊。読む?」
机の片隅に置いてあった本を手に取っていたゆっきーに言う。
「うん」
ゆっきーが読み始めたのを見て、私もゆっきーが来るまで読んでいたマンガの続きを見る。
二人きりとはいえ、私とゆっきーだといつもこんな感じだ。たとえ、現在家の中にいるのが私とゆっきーだけだとしても、何かが起きることは無い。
「ねぇ……いつから付き合ってるの?」
マンガを読みながら、雑談みたいにさりげなく聞いてみる。
「えーと、1ヶ月と少し前からかな」
「ふーん。どこで知り合ったの?」
「むこうの、大学の家の近くの喫茶店」
「告白したのは遥さんから?」
「うん」
「どんな感じで?」
「んー……いきなり」
「……え、それだけ?」
「だって、ほんとにいきなりだったから」
「もうちょっと具体的に」
「えー、なんか恥ずかしいんだけど……その喫茶店で、突然話しかけられて、二言目には告白だった」
「いきなりだね」
「だよね」
「それで、ゆっきーはイエスって答えたの?」
「ううん。それから2、3回会って、その後付き合うことになった」
「なんで?」
「なんでって?」
「どうして……どうして付き合うことにしたの?ゆっきーも遥さんのこと、好きだったの?」
「え、いや、好き、じゃなかったけど」
「じゃあ、どうして?」
「んー……え、これ言わないとダメ?」
「うん」
「うーん……遥さんと会ったり話したりするのが楽しかったから、かな」
「……それだけ?」
「うん」
それが理由?
それだけの理由で付き合うんだったら、それなら、私でも……。
「今は、遥さんのこと好きなの?恋愛的な意味で」
「それは、まあ、嫌いじゃないけど」
「なんかはっきりしないね」
「……正直、よく分からないんだよね。遥さんのこと、好きなのかどうか。……なっちゃんは、誰かを好きになったことある?」
「……あるよ」
一瞬どう答えるか迷ったけど、私はそう言った。
「あるんだ……。そのとき、どんな感じだった?ドキドキとか、した?」
「……うん。した」
今も少し、ドキドキしてる。
「……そうなんだ」
ゆっきーは少し落ち込んでいるみたいだったけど、それを見ていた私は、氷野ちゃんの言っていたことが本当だったのかもしれないと思って、少し嬉しくなった。
「そういえば、氷野ちゃんが昨日言ってたけどさ……キスしたんでしょ?」
もう聞かない方がいい──少し前から私の中では警鐘が鳴っていたけど、それに反して私は質問を続けた。
「まあ、うん」
「その時はどう思ったの?嫌だと思った?それとも……?」
次々と聞きたいことが溢れ出てくる。
これ以上はダメ──そう思っても、抑えられそうになかった。
「それは……やっぱり、分からない」
自分の唇に手を当てて悩んでいるゆっきーが視界に映っていた。その表情からは、本気で悩んでいることが窺える。
キスをした時のことを思い出しているのだろうか。ゆっきーが、遥さんと、キスをした時のことを。
──嫌だ。今はそんなこと、考えないで欲しい。
そう思った瞬間、私の中で何かが限界を迎えた。
「つまりゆっきーは、自分が遥さんのことをどういう意味で好きなのかが、分からないってことだよね?」
「……そう、だね」
「じゃあさ──」
自分が何を言おうとしているのか、頭ではダメだと分かっていても……
「──確かめてみる?」
分かっていても、止められなかった。
「確かめるって、何?」
本を閉じ、こっちを見てゆっきーが聞いてきた。
「こういう時は、比べてみるといいと思うんだよね」
「?」
頭上にクエスチョンマークを付けて首を傾げるゆっきーはとても可愛かったが、それはさておき、私は説明を続けた。
「だから、友人である私とキスをして、恋人の遥さんとどう違うのか比べてみれば、ゆっきーが自分の気持ちを理解しやすくなると思うの」
「……え、まじで?」
我ながら頭の悪いことを言っていると自覚しながらも、私は真面目な表情で頷いた。
「ねえ、なっちゃん」
「なに?」
「また漫画の影響でしょ?」
「……」
「どうなの?」
「……」
ゆっきーがジト目でこっちを見つめている。
私的にそれはご褒美以外の何物でもないのだけど、ここで茶化すとゆっきーの機嫌を損ねること間違いなしなので、私は真面目な顔をして答えた。
「実はこの漫画を見てたら興味が湧いてきて」
そう言って私がゆっきーに見せたのは、さっきまで私が読んでいた親友が恋人になる系の百合漫画だった。
悪い癖が出ていた。
こういう時、私は恥ずかしくなって思わず誤魔化してしまう。自分でも分かっているのだけど、いざとなると、どうしても本音が言えなくなってしまう。
本当は遥さんではなく、私を見て欲しいから。羨ましくて、嫉妬しているから。遥さんとしたようなことを、私もしたいから。だから、ゆっきーとキスをしたい。
「はぁ……まったく」
今度は呆れた目でこっちを見てきた。
この様子はゆっきー、キスのことを冗談だと思ってるな。
「どう?やる?」
「え?本気なの?」
やっぱり。
「ゆっきーだって、自分が遥さんのことどう思っているのか、知りたいんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
「どうしても嫌だって言うなら、諦めるけど……」
「なんでなっちゃんが落ち込んでるの……、もう分かったから、1回だけだよ?」
「ほんとっ?やったー!」
内心ではとても安心しながら、少し大袈裟に私は喜んだ。
部屋の空気が、僅かに緊張感を孕んでいた。
「……じゃあ、いくよ?」
ゆっきーが下で、私が上。
私のベットの上に仰向けに寝そべったゆっきーの上で四つん這いになった私は、そっとゆっきーに顔を近づけた。
近づけば近づくほど、胸のドキドキが大きくなっていく。
私の髪がずり落ち、ベッドの上に広がったゆっきーの髪と重なり合う。
ゆっきー、綺麗。かわいい。
好き──
「──ちょ、ちょっと待ってっ!」
「……なに?」
「いや……よく考えたら、私たち今とんでもないことしているんじゃないかと思って」
「そうかな?」
「そうでしょ」
全くもってその通りだった。
「それに……」
「それに?」
「遥さんに、悪い気がして」
「そっか……」
ゆっきーの立場からしてみれば、そう思うのは当然なのかもしれない。
私がゆっきーと遥さんがキスしているのを知って嫌だと思うように、遥さんだって同じことを思うだろう。
そしてこの場合、優先されるのは恋人である遥さんの方であって、私ではない。
……私ではない。
「うん、そうだね。やっぱりやめとこうか」
体を起こし、ベッドを降りる。
「ごめん、ちょっとトイレ」
ゆっきーから顔を見られないようにして、私は部屋を出た。




