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百合の話(仮題)  作者: ねこのぬいぐるみ
34/64

34話

 〇湊優希


 日曜日。


 お昼のピークが過ぎた後の、客足のまばらな時間帯。


「なあ、ちょっとあんた」


 無遠慮で非友好的なその声を聞いてすぐ、私は嫌な予感を覚えた。


「はい、いかがなさいましたでしょうか」


「あー、なんかこのスープなんだけど──」


(あぁ、これは面倒なやつだ……)





 遥さんが「うちは常連さんが多いから、滅多に居ないんだけどね」と言っていたレアモンスターのような存在。にも関わらず、まさかバイト三日目にして遭遇することになるとは思ってもみなかった。


 クレーマー。


 目の前にいるのは若い男性客二人。偏見だが、クレーマーはクレーマーでも悪質な部類の気がしてならない。


 対処法は一応、遥さんから教わっている。


 その1──遥さんなどのベテランを呼ぶ。慣れないうちはこれが一番。


「申し訳ございません。いま上の者を呼んできますので、少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか」


「は?俺は今お前と話して──」


 ダメ、と。


 その2──なるべくお客さんの不満を解決できるように動く。


 ……よし、これだ。


 このお客さんはスープに不満があるようだから、代わりに別のスープを用意する、というのが妥当なところだろうか。その辺の判断は臨機応変にと遥さんは言っていたけど。(バイトを初めて一週間も経っていない私には難しすぎやしないだろうか?)


「──なあ、どうすんだよ?」


「申し訳ございませんでした。もし(よろ)しければ、スープをお取り替え致しますが」


「変えればいいってことじゃなくてさ、それより──」


 ダメらしい。


 次。


 その3──ない。


 ……どうしよう。


 え、本当にどうしよう?


「──ていうかよ、お前と話していたせいで料理が冷めちまったじゃねーか。どうするんだよこれ?」


「申し訳ございません。……お詫びとして」


「ああ、お詫びとかそういうのはいいから。それよりあんたさ、本当に悪いと思ってる?申し訳ございませんとか言ったらそれでいいと思ってんだろ?」


「い、いえ、そんなこと」


「ああ、もう謝罪はいいからさ。それよりあんたが本気で悪いと思ってるなら、どうにかしてくれよ。なあ?」


「……えっと」


 なあ、と言われても。


 えっと、この場合どうすれば……?


 遥さんに教えてもらった対処法は使えないし、謝罪はいいとか言ってるし。


 っていうかどうにかって何?何をすればいいの?


「おいおい、何もたもたしてんだよ。そんなに難しいことは言ってないだろ?」


「……え、あ……」


 ……まずい。


 私はここからどうすればいい?何をすればいい?


 分からない。八方塞がりだ。


 ……どうしようもない。


 そう思った瞬間、足がすくみ、目の前の二人が急に怖くなった。


 反射的に、手に持っていたお盆を握りしめる。


 自分が緊張しているのが分かる。いや、緊張しているのは最初からだけど、それが一段と酷くなったよう。見知らぬ他人と話す時、私がいつも陥るあの緊張状態だ。


「──なあ、さっきから黙ってばっかだけどよ。なんか言ったらどうなんだ」


「え……、と……」


「──あ?なんだって?」


 もう、無理──そう思った時だった。


「失礼します、お客様」


 私の前にするりと割って入ったのは、一人の小柄な後輩だった。


「ご要件は、なんですか?」


 私より頭一つ小さな彼女の、その背中が、私にはとても頼もしく見えた。




 廊下。


『湊先輩は下がっていてください。顔色が悪いのです。休憩室に行くといいのです。遥さんも今は休憩時間だからそこに居るはずなのです』


 二日目にして「なのです」口調を使いこなし始めた氷野さんは、私にそう言うや否や、二人のクレーマーの対処に取り掛かった。


 何故遥さんの場所を私に教えたのかは分からないが……本当に助かった。感謝してもしきれないくらいに。


「……はぁ」


 落ち着いたおかげで、先程の出来事を振り返ることが出来た。


 何を間違えたのか。


 マニュアル通りにやろうとしたのがいけなかったのか。いや、ここで働いている以上お店の方針に従うのは間違っていないはず。それに、それ以外に方法はなかった。


 最初のところで、無理にでも遥さんを呼びに行くべきだったのだろうか。


 いや、そうじゃなくて、その後の私の対応がいけなかった……。


「優希さん?」


「あ……」


 遥さんの声だ。


 ここは……休憩室の前か。


 気づかないうちに着いていたらしい。


「どうしてここに?……いえ、それよりも優希さん、何かあったの?具合が悪そうよ?」


「え、っと、それは……」


 そう言えば氷野さんにも似たことを言われたが……


「とりあえず、中に入って」


「……はい」




 私は事情を遥さんに話した。


「そう。それはついてなかったわね。そういう客は本当に珍しいのだけど」


「……すいません。上手く、できなくて」


「あまり気にしなくていいわ。こういうのは経験や慣れも必要だし、それに失敗は誰にでもあるものよ。私だって、お客さんを怒らせてしまったことは何度もあるわ」


 ……何度もあるんだ。


 まあ、私を気遣っての言葉だろうけど。


「それにしても、許せないわね……その男達……今度来たらぶっ」


「遥さーん、いますか?あ、いました。遥さん、休憩交代の時間なのです」


 不穏な気配を醸し出し始めた遥さんの声を遮って、休憩室の扉の外からひょっこりと顔を出したのは氷野さんだった。


「あら、そうね。ありがとう、氷野さん」


「いえいえ、なのです」


「じゃあ、行ってくるわね」


 そう言って遥さんは休憩室を出て行った。


 残るは私と氷野さん。


 氷野さんは私の方に近づくと、その両手に持ていたものを机に置いた。


「お昼ご飯、持ってきたのです」




「氷野さん……さっきは、ありがとうございました」


「別に大したことはしてないのです」


「そう、ですか。……さっきの人達は?」


「ああ、あいつらですか。あの二人なら、優希さんがいなくなった瞬間大人しくなったのです。ええ、本当に一瞬で、いっそ(いさぎよ)いくらいに」


「……?それは、どういう」


「要するに、さっきのクレーマーは湊先輩目当てだったんですよ。料理に不満があったというのが本当かどうかは知りませんけど、それを口実にして。だから、湊先輩がいなくなったらすぐに白けてたのです。全く失礼なやつらでした。迷惑極まりないのです」


「どうして、私が?」


 それは、私にしてみれば素朴な疑問だったのだけれど、


「………………はぁ〜〜」


 しかし、返ってきたのは大きなため息だった。


「なんですかそれ。嫌味ですか?」


 いや、そんなつもりは微塵もないけど。


 というか、また「なのです」つけ忘れてる。


「ああ、分かったのです。その顔は無自覚なやつなのです」


 間髪入れず、氷野さんは続けた。


「分かったのです。まず第一に、すぐに実践できる方から言っておくのです」


「先輩、若干ですけどまだ接客がぎこちないので、それで新人のバイトだって見破られたのです。それが湊先輩が狙われた原因の一つなのです。たぶん。

 そもそも湊先輩、表情が固いんですよ。愛想笑いでも浮かべとけばいいのに。ポーカーフェイスは必須なのです。いつもの湊先輩ならポーカーフェイスはほぼ完璧なのですけど、でもさっきは湊先輩いかにも困ってるって顔してたのです。あんな顔したら、あの男たちは喜ぶに決まっているのです。

 あと……表情がダメなら、せめて態度だけでももっと堂々としているべきなのです。弱々しさも時には必要ですが、仕事中に関していえば、女子は見くびられたら終わりなのです。威圧するくらいがちょうどいいのです」


 威圧するくらいがちょうどいい、という意見には賛同しかねるが、しかし表情が固いというのは遥さんにも言われたことであり、同じことを指摘してきた氷野さんの説得力は大きかった。


「次に。これは湊先輩の意識の問題なので、今すぐどうにかなるかは先輩次第なのですが」


 そこで一度、間を置いて呼吸を整えた後、氷野さんは続けた。


「湊先輩は美人なのです。遥さんとはベクトルが違いますが、いい勝負なのです。その顔は男ウケすること間違いなしなのです。どうしてそんなに自覚も自信も無いのか、不思議なくらいなのです」


「……」


「自分の魅力を、湊先輩は知るべきなのです」


 一遍にまくし立てられて、脳の処理が追いつくのに数秒を要した。


「つまり……」


「つまり、湊先輩は可愛いのです!!」


 ……なるほど、分からん。


「……いや、ちょっと待って氷野さん。よく分からな」


「分からないことないのです。小学生でも分かることなのです。湊先輩は可愛いのです。こんなことも分からないのなら、先輩面しないで欲しいのです」


 先輩呼びはあなたが勝手にしていることでは。


「とはいえ、すぐには受け入れられないというのも分かるのです。湊先輩性格が暗いですし、そういうネガティブな部分が自分の魅力の否定に繋がっている気がするのです。

 でもいい機会なのです。自分の魅力(こと)で知っておくに越したことはないのです。

 話はこれで終わりなのです」


「そう、ね。氷野さん、ありがとうございます」


「いいのです。それよりも大変なのです!」


「大変?」


「休憩時間が残り三分なのです。私達、一口もご飯食べてないのです!」


「それは……確かに大変ね」


 彼女の慌てようとその内容の落差に私はつい気が抜けてしまい、ふふっと笑みをこぼした。


「なのです」


 私につられるように、氷野さんもまたにこりと笑う。


 少しだけ氷野さんと仲良くなれた気がした。そんな一日だった。

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