32話
〇湊優希
記念すべき私の初バイトが始まるにあたって何か劇的なトラブルが起きることはなく、そして更に、私の抱えていた不安は、良い意味で裏切られることになった。
「いらっしゃませ」
お客さんを迎え、席へ案内し、水を持っていき、呼ばれたら注文をとって、出来上がったら届ける。レジはまだ習っていないのでできないが、その間に空いたテーブルを片付ける。などなど。
黒咲さんの見よう見まねではあるけれど、一通りの仕事をこなすことが出来るようになった、と思う。
接客は私と遥さんと、たまに遥さんのおばあちゃんの三人。だが常にここにいるのは私だけで、遥さんは料理やデザートを作りに厨房へ行くことがあるし、遥さんのおばあちゃんもコーヒーや紅茶を作りによくこの場を離れる。
その二人について。
店員側だからこそ理解出来たことだが、二人の仕事捌きは凄まじかった。お昼時には結構お客さんが来たのだが(遥さんはそんなに多くないとか言っていたのに)、二人はスムーズに回していた。あの二人の仕事量の多さは人手不足によるものだろうけど、追加人員である私一人では人手不足解消に貢献できるとは思えなかった。
他に従業員はいないのかと尋ねると、バイトも正規の人も何人かいると言っていたが、私とはシフトが被っていないとも言っていた。
私としては、ありがたいことに。
懸念事項だった他のバイトの人との人間関係を、私は気にしなくてもいいらしい。
とはいえ、ここで私が感謝を述べるのはちょっと違うだろう。私の内心を慮った遥さんが仕組んだわけではないのだから。
聞いたところによると、他のバイトの人もそれぞれ別の時間帯にシフトが入っていて、時間が被っている人はほとんどいないとのことだった。私も他の人と同様で、空いてる時間帯(土日月の朝十時から)にシフトが入っただけらしい。
なんにせよ、私としては幸いなことだった。
そして現在、お昼のピークが過ぎ、席は一つも埋まっていない。
私は一人、レジのところの椅子に座って、暇を持て余していた。
「ふふ……優希さん、暇そうね」
「あ、遥さん。すいません、ぼーっとしちゃって」
「いえ、いいのよ。でも、優希さん凄いわね。一日と経たずにあんなにできるようになるなんて。おかげで助かったわ」
「そうでしょうか……?」
この人は、私に甘いところがある気がするので、その言葉を全て鵜呑みにはしないが……それでも、褒められて悪い気はしなかった。
「ええ、即戦力よ。でも、強いて言うならまだ表情が硬すぎるわね。でもまあ、その辺はそのうち慣れてくるから、気にするほどのことでもないけどね」
黒咲さんはそう言ったが、正直私には、自分が笑顔で接客できる日が来るとは思えなかった。
私の表情が硬いと言われる理由は、私が緊張しているからだろう。それでもこの数時間のバイトの成果か、ただ接客するだけならば緊張もあまりしなくなってきた。
しかし、接客する上で必ずと言っていいほど、お客さんはこちらを見てくる。自分が見られている時に緊張せずにはいられないのだ。
「あ、そうだ!この際ついでにレジも教えちゃおうかしら」
お昼すぎ。
客足はまばらで、今は暇。
断る理由はなかった。
「お願いします」
その後、私が遥さんから教えてもらったことはレジだけにとどまらず、備品や食料の倉庫となっている部屋に連れられてどこに何があるかとか、途中から遥さんのおばあちゃんも参加してコーヒー豆の解説とかをしてくれた。
結果的に、遥さんのおばあちゃんとは少し仲良くなり、ぎこちないながらも多少は会話が続くようになったのだった。
私のシフトは基本的に土、日、月曜日の午前十時からだ。
初日は何事もなく終わり、迎えた二回目のバイトの日。
遥さんが言うには、客足が平日とは比べものにならないほど増えるという週末の今日。
土曜日。
二回目のバイトの日。
「よろしくお願いします!先輩。私は氷野小織、なのです!」
取って付けたような語尾を最後に、目の前の少女はそう名乗った。
私に後輩ができた瞬間だった。
 




