29話
〇湊優希
「これ、私の彼氏なの」
「……」
「それでね」
「ちょっ、ちょっと待って……え?優香ちゃんも女の子と付き合ってるの?」
困惑する私を置いて優香ちゃんが話を進めようとしたところで、なんとか我に返ってその話を遮ることができた。あのまま優香ちゃんに喋らせていたら、私は確実に話についていけなかっただろう。
この時、一時的なフリーズから再起したばかりだった私は、自らの失言に気づけなかった。
幸いにして、優香ちゃんも気づかなかった──「女の子と付き合ってる」の部分に焦点が向いたようで、この場で私が追求される側に回ることは無かった。
「だからっ、彼氏なの!女の子じゃなくて、男の子!」
男の娘。
そう脳内変換されたのは、私のせいだけでは無いはずだ。
友人たちなら、あの三人ならば、少なくとも誰か一人は口に出して驚いたに違いない。「男の娘!?」と。
「とりあえずこの子の名前、教えて貰ってもいい?」
「……うん。名前は、茅坂要。えーと、『かや』は草冠に矛盾の矛の茅で、『さか』は坂道の坂、『かなめ』は重要の要。それで茅坂要」
「丁寧な説明をどうも。それで優香ちゃんが悩んでいるのは、この要くんの女装癖についてってことでいいの?」
「いや、女装癖じゃないし……でも、だいたいそんな感じ。……それよりゆーちゃん、今『要くん』って言った?」
「え?まあ、うん。言ったけど……」
「む……」
え、なに?
なんで私また優香ちゃんに睨まれてるの?
名前呼び?名前呼びがダメだったの?
「えっと……茅坂くん、の方がいい?」
「うん」
さいですか。
優香ちゃんがそれがいいと言うなら、そうしておこう。
「それで……優香ちゃんはどうしたいの?この茅坂くんの女装をやめさせたいとか?」
「違う!全然違う!茅坂が女装するのは別にいいの!」
「え、いいの?」
「うん、いいの。可愛いからいいの」
……確かにさっきの画像を見る限り、茅坂くんの容姿はそこらの女子中学生と遜色ない、というより普通に美少女と言える。可愛いから、という理由なら一応納得はできた。
妹は彼氏に何を求めているのだろうか、という疑問は残るけど。
「……いいのに」
ふと、優香ちゃんが何か呟いたような気がした。
「 ……? 優香ちゃん、なんて言ったの?」
「何も言ってない」
その言葉が嘘だということは顔を見ればすぐに分かった。幻聴ではなかったらしい。
本人は隠しているつもりなのかもしれないが、私からすれば一目瞭然である。そして優香ちゃんが落ち込んでいることもまた、姉である私には手に取るように分かった。
恋愛絡みで、落ち込むようなこと。
私が最初に連想したのは失恋だった。
「……優香ちゃん、茅坂くんと上手くいってないの?」
「え!?」
なんで分かったの?
優香ちゃんの顔には、非常に分かりやすくそう書いてあった。
「こんなの誰にでも思いつくことでしょう。驚きすぎよ、優香ちゃん」
「うっ……」
「で、何があったの?」
「な、なんでそこまで話さないといけないのよ」
「だってここ最近優香ちゃんが不機嫌だったのって、それが原因なんでしょ?そしたら、優香ちゃんの八つ当たりに巻き込まれた私は無関係とは言えないし、話を聞くくらいはいいと思うの」
「そ、そんなこと言っても……」
「ダメ?」
「……ダメ」
うーん、ここらが引き際か。
目的だった優香ちゃんのご機嫌取りも概ね達成できたし、これ以上無理を言ってまた不機嫌になられたら元も子も無い。
妹の恋バナには、すごく興味がひかれるけど。
「……そう。まあ、言いたくないなら無理して言う必要は無いから。でも、誰かに相談した方がきっといいと思うよ」
じゃあね、と最後に言葉を残し、私は妹の部屋を出てリビングに戻った。
消化不良といった感じではあるけど、優香ちゃんの件はこれで終わりと言えるだろう。
ようやくこの家で、何者にも煩わされずに平穏な時間を過ごせる。
──そう思っていたのだけど。
「ゆーちゃん、どうしよう!?」
リビングでくつろいでいた私の元へ、ドタドタと音を立てて飛び込んできた妹の声を聞いて、まだこの騒動は終わっていないのだと私は理解した。
「茅坂から、別れようって言われた」
私が優香ちゃんの部屋を出てからリビングのソファーに座るまでの間に、その決定的な言葉が告げられたそうだ。
「どうしよう」
見るからに焦っている優香ちゃん。
まずは優香ちゃんを落ち着かせることからだ。
「優香ちゃん、とりあえずここに座って。話を聞かせてもらえる?」
そして私は、優香ちゃんが抱える問題の全貌を知ることとなったのだった。
優香ちゃんが茅坂要くんと付き合い始めたのは昨年度末、つまり中学一年生の三学期の終わり頃かららしい。
そして、優香ちゃんが茅坂くんのお宅に初めてお邪魔したのが春休みのこと。随分急展開な気もするが、私も黒咲さんをすぐに自宅に招いているので人のことは言えない。早さで言うなら私の方が圧倒的に急である。
急といえばここからも急展開で、いきなり茅坂くんの女装癖が優香ちゃんに露呈しまったらしい。
ここで少し話が逸れるが──さっきから茅坂くんのアレを女装癖と呼びまくっている私だけど、優香ちゃんから真実を聞いてしまった以上、訂正しないわけにはいかない。
というのも優香ちゃん曰く、茅坂くんの女装は自ら望んでのものではなく、茅坂くんのお姉さんたちの仕業であるらしい。
そういうことなら、茅坂くんを女装癖の変態呼ばわりするのはやめにしよう。
ごめんね、茅坂くん。私の誤解だったみたい。
さて、会ったこともない優香ちゃんの彼氏への謝罪も済んだところで──またまた話が逸れてしまうが、実は私は一度茅坂くんに会ったことがあるらしい。
春休みに優香ちゃんは何度か友達(男子はいなかった)を家へ招いていたのだけれど、そのうちの一回が女装した茅坂くんだったという。茅坂くんに女装癖がないという事実を知ってからその話を聞いてしまうと、もう茅坂くんが哀れな被害者にしか見えなかった。
そのことを話していた時、優香ちゃんはこうも言っていた。
「茅坂のやつ、ゆーちゃんに見とれてやがったから、ゆーちゃんはもう茅坂に近づかないでよね」
優香ちゃんのヘイトが私へ向かったのは、その辺りが原因のようだった。酷いとばっちりである。
既に茅坂くんへの哀れみは、私の中から消失していた。
女装大好きな変態野郎、優香ちゃんから離れろ。
閑話休題。
さて、本当の問題が起こったのは一学期も半ばを過ぎた頃。
なんと、茅坂くんの女装写真がクラスメイトに見られてしまったらしい。(ちなみに優香ちゃんと茅坂くんは同じクラスだ)
具体的には、茅坂くんのクラスメイトが勝手に彼のスマホを盗み見た(いたずら目的だったらしい。真偽は不明)ことに始まる。たまたまその女装写真を見つけたクラスメイトは他のクラスメイトを呼び、「この美少女は誰だ」と盛り上がっていた。話は当然茅坂くんの元へも届き、クラスメイトの誰かが「この美少女は茅坂の彼女か」みたいな質問をしたらしい。
ここで、茅坂くんが上手く誤魔化していれば、もしかしたら事態は丸く納まったのかもしれないが、そうはならなかった。
茅坂くんは、正直に答えることはなかったが誤魔化すこともできず、まごついていたところでバレてしまったらしい。「この美少女、茅坂に似てね?」と。
女装する男子。
中学生達にとって、それはすぐさま口撃の的となった。
不幸中の幸いにして、元の顔が可愛く女装した姿も可愛らしかったことから、女子の中ではむしろ受け入れられたという。優香ちゃんが同じクラスにいて、さらに彼女が女子の中心人物だったことも好転を促したのだろう(私と違って優香ちゃんは社交的だ)。
結果、茅坂くんがクラス中から奇異の目を向けられることにはならなかった。
しかし女子に受け入れられたことで、逆に一部の男子との対立が激しくなってしまったらしい。
これは不確定な情報だと優香ちゃんから言われたが、どうやらその男子(たち?)は茅坂くんをチヤホヤしている女子の誰かが好きだったのだろう。
つまりは嫉妬ということだ。
対立はエスカレートし、「茅坂くん」対「一部の男子」という構造だったそれは、次第に「一部の女子」対「一部の男子」という対立構造へと変化していったらしい。なお、「一部の女子」という括りの中には、当然と言わんばかりに優香ちゃんも含まれていた。
しかし、そんな単純な対立構造も長続きはせず、事態は複雑化の一途を辿って行ったと言う。女子の一部の派閥が男子側に付いたのだ。優香ちゃんがクラスの中心にいるとはいえ、女子の全てが彼女に付くことはなかったということだった。当然といえば当然のことだ。
「優香ちゃん派の女子」対「反優香ちゃん派の女子+反茅坂くん派の男子」
最終的にその対立構造へと落ち着いたらしい。力が拮抗し、一時硬直状態に陥ったのだという。反対勢力側は女子が主導権を握ったようで、実質的には女子同士のよくある対立関係みたいになったらしい。
それが、一学期が終わる一週間前までのこと。
そして、一学期が終わる一週間前。
その日の放課後、優香ちゃんは茅坂くんと二人、空き教室に残っていたという。
そして──そして、それからの話は優香ちゃんが少し取り乱してしまったため、断片的なものしか聞き取れなかった。「もういいって言われた」「迷惑だって」「しばらく会わない」「逃げたの」「私のせいで」など。
ここからは私の推測でしかないけど、茅坂くんは多分優香ちゃんに迷惑をかけていると思って、これ以上対立しなくてもいいということを言いたかったのだろう。
私の中の茅坂くん(優香ちゃんから聞いたものでしかないが)の性格からすれば、そんな感じだったと思う。
そして、こっちは確信に近いが、優香ちゃんはその時の茅坂くんの言葉を一部誤解しているに違いない。
優香ちゃんは茅坂くんのためにクラス内で女子を味方につけてきたりしたし、そのおかげで茅坂くんへの被害が抑えられたというのは十分考えられる。
しかし茅坂くん本人にやめるように言われて、自分の行動が迷惑だったのではと誤解している節があった。
それから優香ちゃんは学校に行っていないのだろう。(お母さんが割と平然としていたのは、恋愛絡みの問題だと察していたからかもしれない)
スマホでのやり取りの相手が茅坂くんだったのなら、そこで更にすれ違いがおきて、二人の関係が悪化したというのも考えられる。
まあ、あくまでも私の想像だ。
随分と優香ちゃんに好都合な想像になってしまったので付け加えると、茅坂くんが本当に優香ちゃんのことを迷惑だと思っていて別れ話に繋がった可能性もある。
どちらにせよ、これからどうなるかは優香ちゃん次第だった。
「それで、優香ちゃんはどうしたいの?」
「……別れたくない」
蚊の鳴くような声で、呟くように優香ちゃんは答えた。
優香ちゃんの目元が赤くなっているのは、取り乱した時に少しだけ泣いてしまったからだろう。
「じゃあ、それを伝えないと。直接会って、自分の口から、ね」
「……でも茅坂、私に会いたくないって」
「それが、茅坂くんの本心だと思う?」
「……わかんない」
「なら、それも会って確かめれば良いでしょ」
「……うん」
「よし、それじゃ、早速準備しないとね」
「えっ、今から……?」
「思い立ったが吉日って言うでしょ。茅坂くんの家は遠いの?」
「……ううん、自転車で十分くらい」
「なら全然問題ないね。ほら、優香ちゃん立って。着替えるよ」
「え、な、なんで今日のゆーちゃんそんな積極的なの!?なんかいつもと違うんだけど!」
「そんなこと気にしないでいいのよ。今日はそういう日なの」
「どんな日だし!」
なんだかんだあって優香ちゃんの準備には一時間くらいかかったが、その甲斐あって満足いく出来で送り出すことができた。
あと私に出来るのは、優香ちゃんを心の中で応援することくらいだった。
後日。
我が家の支配者たるお母様にアイスの件がバレたその日。
約束通りに優香ちゃんと一緒に説教を受け、そのうえ優香ちゃんの罰が軽くなるように弁護の限りを尽くした私は、見事優香ちゃんの罰則を半減させることに成功し、そして──
「そういえば優希、あんた大学生になったんだし、もうお小遣いいらないわよね?お金が欲しいならバイトしなさい。社会経験にもなるし」
──何故か、私の方がより重い罰を食らうことになったのだった。
「アイスは私が買っておくから」
お母さんのその一言が、せめてもの救いだった。
ちなみに優香ちゃんの罰とは、来月のお小遣い半額である。
私のお小遣い永久停止に比べれば、その罰則は半減というより、ほぼ無罪に等しかった。
優香ちゃんからすればその罰よりもお母さんのお説教の方が堪えたに違いない。泣いてたし。
そして、優香ちゃんがどうやってあの量のアイス(私の一週間分+お母さんの分)を消費したのかという謎は、優香ちゃん自身の口から説明された。
「昨日友達の家に遊びに行った時に全部持ってった」
と。
『全部』というところに優香ちゃんの悪意と間抜けさが詰まっているように感じられた。そんな発言だった。
そして、最後に──
「いってきまーす」
「あ、優香ちゃん。また?」
「う、うん。……えへへ」
「お熱いようで。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
──そんな感じで。
二人の仲は順調なようだった。
 




