118 閑話 リンシア・エルフロード
凄まじい勢いの水に押し流され、死の淵に瀕した際、リンシアは自分は何者であったのかを悟った。
『あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――――――――――――!!』
かつて、大聖女コルネリアであった時の記憶。
魔王との戦いは熾烈を極めた。
自分たちでは力不足である事は理解していた。
けれど、それでも。
勇者アディソンを一人で戦わせる訳にはいかなかった。
彼女は世界最強の力を持っている、世界最強の力を持った、ごく普通の少女だ。
――彼女をひとりで戦わせるわけにはいかない。
そう思って挑んだ戦いは、取り返しのつかない結果を残した。
『だめ、お願い! 死んじゃ駄目! 死なないって言ったじゃない! ねえ! ドラトニス――――ッ!』
勇者アディソンの声が響く。
魔王は死んだ。
そして、大魔法使いドラトニスも。
ドラトニスは、アディソンの盾となった。
魔王が最後に放った、勇者をも葬り去る可能性のあった一撃を。
全身全霊の禁術魔法を使い。
限界を超えた魔法を使ったことにより。
ドラトニスは魔力切れを起こし、即死した。
大聖女コルネリアの治癒魔法も死んだ者には効果がない。
ドラトニスは、死んでしまったのだ。
アディソンはドラトニスに強い想いを寄せていた。
魔王を倒して、平和になった後は共に人生を歩もうと。
そこにコルネリアが付け入る隙はなかった。
普段はミミーと一緒に甘えたりしてみても、一線を超えることはなかった。
一歩引いて、その様子を見ていたのだ。
なにせ、ミミーもコルネリアも人間ではなかったのだから。
コルネリアはエルフだ。
人間とは歩む時間が違う、違いすぎる。
だからこそ、たとえ心の奥底でドラトニスのことを想っていても、表面上に出すことはなかった。
魔王は死んだ、世界は平和になった。
もう勇者パーティーが戦う必要はない。
わかっている、わかってはいても、コルネリアは渦巻いた心を抑えきることができなかった。
――わたしが、もっと強ければ。
もっと強ければ、ドラトニスが死ぬことはなかった。
勇者アディソンを泣かせることはなかった。
ドラトニスが死んで、ここまで自分が後悔することはなかった。
『……わたしに、任せてください』
ずっと泣き続けるアディソンにコルネリアはそう声をかける。
『あ……あぁぁあ゛……ぁぁあぁぁ……――――っ!』
『泣き続けることしかできないなら、そこを退いてください』
そう言って、コルネリアはアディソンを押しのけて、静かでボロボロで、半身を失ったドラトニスの体に手を触れる。
『何するのよ! コルネリ……ア……まって、アナタ何するつもりなの……?』
アディソンは、コルネリアの眼を見て、今からやろうとしていることを察した。
『わたしは大聖女コルネリア、傷ついた者を癒やすのが与えられた約目です』
『待ちなさい、そんなことをすればアナタが――』
『愛している人のために自分の力を使うことが、そんなに変ですか?』
コルネリアはニッコリと笑い、そう告げた。
刹那、凄まじい緑の光を放つ魔法陣が展開される。
魔力が底をついても強引に禁術魔法を発動させた場合に支払われる対価は、己の全てだ。
未だ手の届かない“死者蘇生”を実行する。
膨大なコルネリアの魔力が一瞬にして底をつく。
だが、魔法は途切れることはない。
内側から耐え難い、想像を絶する苦痛が襲いかかる。
禁術と呼ばれる、神の領域に踏み込んだ魔法がコルネリアの全てを蝕んだ。
その苦痛は一度だけではない、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――――、一瞬でも気を抜けば心が折れて魔法を成功させずに死んでしまうほどの。
コルネリアの心はもう折れていた。
けれど、魔法はまだ終わっていない。
自分がどうなってもいい。
でも、ドラトニスだけは。
自分の愛した人物だけは、こんなところで死んでいいはずがない。
人格すらも失い、魔法を放つだけの肉塊になったとしても。
コルネリアは止まらなかった。
そして――――、リンシアの追体験はここで終わる。
眼が覚めたとき、体が動かなかった。
連邦国を襲った凄まじい水害に巻き込まれ、流されたのだ。
リンシアもまさか、アレに巻き込まれてまだ自分が生きていたことに驚いた。
死んでいなければ、生きていれば、容易に治すことができる。
リンシアは悟った。
自分が大聖女であることと、そして、大魔法使いドラトニスを愛していたということを。
――わたしは、大聖女コルネリアの生まれ変わり。
リンシアとして貧困層で生を受け、膨大な魔力を持っているということで観察対象として保護……軟禁されていた。
連邦国は大魔法使いドラトニスの生まれ故郷でもある。
だからこそ、膨大な魔力を持つリンシアは大魔法使いと何らかの関係があるのではないかと考えられていた。
大魔法使いが再び現れれば、連邦国は凄まじい戦力を持つことになる。
あの帝国を倒すことができるかもしれないと。
連邦国は、リンシアを戦争の道具として保持していた。
結果、魔精霊ウンディーネによる凄まじい水害が起こり、その責任はリンシアに押し付けられることになる。
こいつは大魔法使いの生まれ変わりだ、こいつが水害を起こしたに違いないと。
誰も魔王が復活したなど、知る余地もなかった。
身に覚えのないリンシアの言葉に耳も傾けず、罵倒され、暴行を受けた。
そんな無駄な争いをしている間に水は押し寄せ、全てを飲み込んだ。
誰も彼も、逃げることは叶わない。
悪意を持った水が、死を振りまいた。
水に飲まれながら、無意識に禁術級の治癒魔法を使い続けていたリンシア以外、全員死んだ。
――そっか、そうなんだ。生まれ変わったんだ、わたし。こんどは、人間として。
ドラトニスと同じ、人間として。
エルフではなく、人間としてだ。
魔王が復活し、自分も同じように現世に転生することができた。
であれば、ドラトニスも同じように現世に存在しているかもしれない。
リンシアは帝国という凄まじい力を持つ国に所属し、魔王討伐に協力する傍ら、大魔法使いの捜索に全力で取り組む。
そしてリンシアはアレクシスと出会った。
大魔法使いドラトニスの生まれ変わりである、アレクシスと。
もう、自分の気持に嘘をつかない。
今度こそ、自分の気持にまっすぐに生きるのだと。
ドラトニスの――いや、アレクシスの一番になるのだと。
そう心に決め、リンシアはアレクシスに声をかけた。
「神は、わたしたちを見捨てていなかったのですね」