113 閑話 ニーナ・シュレンドール前
ある少女が絶望していた。
代々魔力量が多く、上級魔法を使いこなす一族に生まれた少女――、ニーナは唯一魔法を使うことができなかった。
故に、本来であれば十歳で行われるはずだった魔法のお披露目を行っていない。
自分以外の家族、そしてかつての先祖が例外なく行ってきたしきたりに、自分だけが参加できない。
「どうして……」
それは十歳のニーナにとって、小さくはない、とても大きな劣等感を覚えさせた。
なぜ魔法が使えないのか、それはニーナが現代の勇者であるからなのだが、当時はそれを知る術などなかった。
自分がただ劣っているだけなのだと、自らをおいつめていく。
父も母も兄も、そんなニーナを見捨てることはなかった。
公国の跡継ぎは兄が存在するため、ニーナが魔法を使えない分には問題ない。
が、それとは関係なく、ニーナの家族は愛情を注ぎ続けた。
愛しているからこそ注がれる感情。
魔法を使えるようになりたいと訴えるニーナに対し、嫌な顔ひとつすることなく、熱心に指導をしてくれた。
それが、逆にニーナを追い詰めることとなる。
「どうして……なの……」
どれだけ練習しても、どれだけ努力しても、みんなが使える上級魔法どころか、初級魔法すら使うことができない。
いずれ使えるようになるから心配いらないと声をかけられても、ニーナの心は少しずつ淀んでいった。
けれど、これだけ熱心に指導してくれている相手にそれは失礼だと、ニーナは笑顔を返し続けた。
元気なニーナでい続けた。
ボロボロと、大切な何かを壊しながら。
やがて、十歳となり魔法のお披露目を行う時が来る。
ニーナは魔法が使えないままだった。
面倒な貴族の風習から、公族であるニーナが魔法をお披露目しないわけにはいかず。
ニーナが魔法を使うフリをして、兄が変わりに魔法を使用する作戦が立てられた。
しかし、ニーナは部屋を出ることができなかった。
――アタシは魔法を使えないのに。
そんなことをして、何になるのだと。
国民を騙して、公族と言えるのか。
今まで隠していた壊れた心は、蓋を開け、ドロドロと流れ出していった。
本人がいないことには魔法のお披露目会をする事はできず、なんとか誤魔化しを行うため、父と母と兄は上級魔法を用いて雨を降らせた。
お披露目会の開催が不可能なほどの雨だ。
窓の外が白くなるほどの大雨を見つつ、ニーナの頭は真っ白になっていた。
魔法が使えないだけでなく、ただ魔法の演技をすることすらできなかったニーナは、自分の劣等を呪った。
どうして、このような状況になっても父と母と兄は優しい言葉をかけ続けるのか。
どうして、自分は魔法すら使えない劣等なのに。
どうして、言われたことすらできなかったのに。
「どうして……」
どうしてそんな自分を愛そうとするのか。
劣っている自分は、他者から嫌われなければならないのに。
その感情の高ぶりが、ニーナに秘められた魔法の枷をひとつ、外した。
他者を威圧する、心象魔法を。
ニーナの望んだ通り、誰も面と向かって愛することができなくなってしまった。
どれだけの時間が経過したのだろうか。
ニーナはあの日から一歩も部屋の外へ出ておらず、ほとんどの時間を布団の中で過ごした。
お世話に来る使用人との会話もなし。
誰もニーナと会話したがらない。
話そうと努力する人もいたが、気がつけば別の人に変わっていた。
禁術魔法による威圧は、人の心を蝕む。
離れていれば問題ないが、その姿を目に収めるだけで気分を害し、ニーナに意識を向けられれば想像を絶する嫌悪に襲われる。
誰もニーナを救える人はいない。
そう思われた。
もう何人目かわからない、新しい使用人が挨拶にやってきた。
リンシアという名前だ。
今回もすぐに担当が変わるだろうと名前すら覚えようとしなかったニーナだが、リンシアはやたらと話しかけてきた。
やれ、今日はいい天気ですよ、お散歩日和ですね、海は気持ちいですよ、一緒にお話したいです。
今までの使用人はそうやって話しかけてくる人はおらず、むしろ顔を見る前にいなくなってしまった人もいた。
少しだけ気になってリンシアの顔を見てみると――無理をして話しかけているのは明らかだった。
心象魔法の威圧に耐え、必死にニーナと心を通わせようと努力するリンシアだったが、ニーナにはそう映らなかった。
公族のお世話ともなると給金も色がつく、そのためにニーナのお世話を買って、無理をしているのだろうと。
本気で自分と心を通わそうだなんて思っているはずがないと。
リンシアを拒絶しつづけた。
今回のお世話係はなかなかしぶといなと思いながら。
そんなある日、リンシアのお世話の時間が終わり、自分以外誰もいないはずの部屋に声が聞こえた。
慌てて部屋を確認すると、誰もいない。
確かに声はしたのに。
「ここだよ」
また声が響き、その方向へ視線をやると。
「ひっ……どう、やって……」
先程までは確実にいなかった、何度も何度も確認したはずだった。
でも、その人物は確かにそこにいた。
突然現れたかのように、いや、最初からそこにいたと言わんばかりの印象で。
アレクシスと名乗った人物は魔法によって姿を表したという。
扉も開けず、部屋に侵入する魔法だなんてニーナは聞いたことがなかった。
最初は部屋に入ってきた不審な相手であるから、いつものように拒絶しようとした。
だが――
「ニーナ」
「——ひゃいっ!?」
久しく感じていなかった感情のゆらぎ。
それも、なぜだか自分の気持を抑えられないような、ときめきを感じていた。
まるでどこかの国の王子様が迎えに来てくれたのではないかと思うような。
というか、発情していた。危険区域は大変な事になっていた。
お淑やかな美少女に見えて、中身はかなりピンクである。
みんなには内緒だ。
それが心象魔法によるものだとは思いもよらず。アレクシスもまた、このときは無意識で心象魔法を使っていたことをみんなに内緒にしている。
アレクシスは次々にニーナの心の内を当てていった。
これが魔法といわずなんと言うのか、心を見透かされているのではないのかとニーナは驚くが、別にそんなことはなく、魔法が使えない境遇が同じだったアレクシスの推測が偶然当たっていただけである。
だが、その言葉がニーナの壊れていた心を少しだけ癒やす。
さらに使えないと思っていた魔法を使いことができる、なんなら今までも心象魔法というものを使い続けていたと、突拍子のないことを言い出すアレクシスであったが。
なぜだか、アレクシスの言葉は信用に値するものだと感じた。
次第にニーナはアレクシスだけに意識を向け始めた、それは今まで使用人に向けていたものではなく。
威圧ではない、純粋な好意。
今は威圧と相殺されて心象魔法が発動していない状況と同じになっているが。
数日後、ニーナの心は急速に修復されていき、アレクシスに向けて魅了を放ち、色々と大変なことにさせるのであった。