落とし物
どど、どうしよう!
わたしはこの世に生まれて17年、人生最大の危機に陥っていた。緊張に吐き気がするが、ぐっと何もかも飲み込んだ。意識して無の境地を作りだし、王城の奥まった庭の生け垣に体を縮こまらせて可能な限り気配を絶つ。
どくどくと早鐘を打つ心臓が痛い。
無我の境地になりたいのに、先ほど見てしまった光景が脳裏にこびりついている。
光り輝く金髪と闇を溶かし込んだような黒髪。
顔を寄せ合い、真剣な表情で話していた。普段なら我が国で右に出る者はほぼいない美貌を持つレン第三王子殿下と精悍な顔立ちをした護衛のカブレ様のいけない妄想に頭が痺れている。
だけど、二人の表情はどちらかといえば、機密事項を話し合っているようなそれで。
普段から脳天気だと呆れられるわたしにも違いが分かってしまった。
別に殿下をつけていたわけではない。落とし物を見つけて、落とし主を探したら二人がいたのだ。慌てて拾って追いかけてきた。
ぎゅっと手に持っていたものを強く握りしめた。
そのまま声をかけて渡そうと思っていたのに、二人が何やら不穏な空気を漂わせたので待つことにしたのだ。それが良くなかった。どう考えても、出ていけるような雰囲気じゃない。
石になれ、空気になれと自分を励まし、庭との同化を試みる。
「見つかったか?」
殿下の声は聞いたことがないほど冷ややかで、ひどく刺々しい。日だまりのような殿下しか知らないわたしは恐怖にぎゅっと手を握り閉めた。
「どこにもない。これだけ探してないのなら、誰かに拾われたかもしれない」
「そうか」
たった一言言っただけなのに、ぴりりと空気が緊張した。その声は剣呑なものを含んでいて、ただでは済まないことがありありとわかる。
ここに隠れていることが見つからないように祈りながら、わたしはさらに空気になるように努めた。
「万が一、他人の手に渡った場合、どうするつもりだ?」
「そうだな、どうするかな」
「怖いことを考えるな。そもそも落としたレンが悪い」
「まあ、少しは考慮するさ」
聞いたことのない殿下の低い笑いが耳にはいる。それを聞いてしまったわたしは頭の中が真っ白だ。
絶対に見つかってはいけない。
この世界の創造神である女神さまを盛大に賛美し、一心不乱にお祈りした。
二人の会話がどんどんと遠くなり、ようやく気配が消えた。
助かった?
わたしはどっと力が抜けてその場にへたり込んだ。腰が抜けた。あんなにも恐ろしい会話を聞いたのは初めてだ。
「リリィお嬢さま、こんなところにいらしたのですね」
「きゃあ!」
突然声をかけられて、驚いてしまった。恐る恐る顔を上げれば、侍女のマリーがそこにいる。マリーはいつも通りの無表情でわたしを見下ろしていた。
「なぜこのような場所にしゃがみこんでいるのですか? いくら恋する乙女のお嬢さまでもこれはないです」
「好きでこんなところに隠れているわけではないわよ」
「いつものように殿下の姿を見つけて付きまとっているのかと」
否定できない。
わたしはレン殿下の婚約者候補で、絶賛片想い中だ。伯爵位の娘という王子妃としては微妙なラインではあったけど、そこそこ優秀なことと年回りに近い令嬢が他に二人しかいないということで人数合わせだ。
他の候補者は完璧な聖女とまで称えられる侯爵家の令嬢。もう一人の候補者は辺境伯家の令嬢だ。
父親はのほほんとした文官であるわたしとは違う。
どうせ選ばれないのだ。恋する感情を楽しみたい。
ということで、他の方々が王子妃になるために必死になって社交界でのつながりを構築し、難しい勉強を必死になっているところ、わたしは全くしていない。
社交界の繋がりなんて最低限できているからそれ以上の繋がりは誰かと結婚後でもいい気もするし、勉強をするよりもレン殿下とのドラマチック恋愛をしたいじゃない。
別に片想いだっていいのよ。
年頃の乙女のように、姿を見られただけで幸せ、あんなことやこんなことを一緒にすることを想像して悶えたり、少しでも綺麗に見えるようにおしゃれしたり、はたまたレン殿下の心をぎゅっとつかむために好みを分析して、取り入れてみたり。
恋する乙女はやることは多いのだ。この楽し気な雰囲気を味合わないなんてもったいない。婚約者候補のレン殿下はこの国の誰もが認める美貌の持ち主なのだから。
それにレン殿下はお優しい方で、わたしのような当て馬でもまるで好意を持っているかのように接してくれる。
夜会に出ればエスコートしてダンスを申し込んでくれるし、美味しいお菓子をもらったり、さらには時間があれば散策に誘ってくれる。
一度不思議に思って聞いたことがある。返ってきた答えは、「他の二人は幼馴染でよく知っているが、君のことはあまり知らないから」。
感動で体が蒸発しそうだった。
あの時から、わたしは恋に恋する状態に陥った。ぶっちゃければ、迷惑を顧みず、レン殿下をおっかけはじめたのだ。
「黙り込まないでください。帰りますよ」
「手を貸してちょうだい」
「足を怪我したのですか?」
マリーが少しだけ焦りを見せた。淡々とした侍女であっても、マリーはわたしのことを大切に扱ってくれる優しいお姉さんなのだ。やや淡泊過ぎるのは子供の時から一緒だからというのもあると思う。
「怪我はしていないけど、腰が抜けて」
「……一体何があったのです?」
「うふふ。まあ乙女の秘密というやつだから、気にしないで」
理由は言えなくて、そんな風に笑ってごまかした。マリーは誤魔化されていないような目を向けていたが、ため息をつくと手を差し出した。
「腰が抜けているのなら、さっさと帰りましょう」
「そうするわ」
マリーの手を掴むと何とか立ち上がった。