08
田舎行きが決まってからの日々は慌ただしいの一言に尽きる。
当然ながら召使を連れていくことはできないので、身の回りのことは一通りこなせるようにと侍女やコックに指導され、かまどの使い方から簡単な料理を仕込まれる。
このあたりの生活術は前世の記憶があるので難なくこなすことができた。
むしろ貧乏生活で覚えた事が役に立ちそうな予感しかしない。
初めて役に立ったぞ、前世。
属性が変わっても水魔法はそのまま使えるようなので、水には困らないが、何をするにも必要な他の魔法も教わることになった。
闇属性というのは他の属性もある程度使いこなせるようで、薪に火をつけたり、風を起こして濡れた布を乾かす程度の魔法は簡単に覚えることができた。
案外便利だぞ闇属性。
水を作り火をつけ風をおこす、私すごく魔女っぽい。
少しだけ調子に乗ったのをグッと隠して、この先の生活に必要なものをそろえていくことになった。
当然ながらドレスで暮らすことはできない。
召使に頼んで、平民が普段来ているような服を何着か揃えてもらった。
持っていけるものは少ないが、定期的に実家や公爵家から物品や僅かなお金を送ってくれることになったから、生活に困ることはないだろう。
善き魔女として村に根付くことができれば、己で身を立てていくことだって可能だ。
大伯母様もそうやって生活していたと聞く。
ただし、魔女という存在については謎が多く、当然闇属性というものについても殆どの事はわかっていないのだという。
魔のつくものに好かれたり魅入られやすく、それゆえに悪事に傾く者が多いというだけのようだ。
私は悪魔の勧誘にすらなびかなかった女だ。
悪事に身を染めたりなんてしない!
あと数日で旅立ち、という夜。
持ち出しても困らないような必要最低限の物を荷造りしていると、久しぶりセオが現れた。
「なんだか楽しそうだな」
本当に久しぶりだ。
これまでは月に2,3度は姿を見せていたのに、私に魔女だと告げたあの日以来、姿を見せてはいなかった気がする。
少しだけ気まずそうな様子に、もしかしたら本当に私に悪いことをしたと思って反省しているのかもしれない。
悪魔のくせに。
「・・・魔女になったのは悲しいけど、実は案外楽しみなの、田舎生活」
そう、実はちょっと楽しみになっているのだ。
前世の記憶を思い出してから、必死に馴染もうと貴族生活を送っていたが、拭いきれない違和感があったのも事実だ。
何不自由なく上げ膳下げ膳、服を着るのも髪を梳くのも侍女任せ。
本当は自分で何でもできるのに、貴族令嬢である以上は窮屈さを容認しなければならない。
でも、この先の生活はこの身一つで賄う必要がある。
前世のように借金や家族の生活の為に生きるのではない、貴族令嬢としての役を演じる必要もない、自分の為だけに好きなように気ままに自由に生きていいいのだ。
ちょっと貧乏だとしても、きっと楽しく生きていける。
そんな甘っちょろい予感に酔っている。
「本当に面白い女だな、お前は」
セオは本気で呆れているらしい。
「俺と契約さえすれば、苦労なんかしなくてもいいんだぞ?」
「多少の苦労は人生のスパイスだって思うことにしたの」
「女一人で生きるのは大変だぞ?」
「大伯母様ができたんだもの、私にできないってことはないはずよ」
新天地には大伯母様が善き魔女として残したものが沢山あるという。
きっと私を助けてくれる。
確信めいた予感に胸が躍る。
「・・・ったく」
盛大にひとつため息をついて何かを考えるように目を細めると、聞き取ることのできない不思議な呪文を唱えた。
「本当は対価なしでやれる物じゃねぇけど、お前を変えてしまった詫びだ、受け取れ」
私の目の前に淡く光る光の玉が浮かび上がる。
とっさに両手でそれを受け取れば、赤い小さな珠が付いたネックレスに変わった。
その赤はセオの瞳と同じ色をして、不思議な光で内側から光っているように見える。
「何、これ」
「俺の魔力の欠片だ。ほんの少しだけど、お前を守ることができる」
「・・・いらないわよ、そんなの」
「いいから持ってろ。喋るようなでかい奴じゃなきゃ、魔獣も寄ってこない」
魔獣、ときいて先日の出来事を思い出す。
確かに、王都を離れれば魔獣に出くわす確率は跳ね上がるだろう。
これを持っているだけで魔獣除けになるというのならありがたく貰っておいても損はないのかもしれない。
影響を受けて魔女になってしまったのだ。
今更魔力の欠片を身に着けたくらいで何が変わるわけでもないだろう。
「じゃあ貰っとく」
「特別の特別だからな。お前だからやるんだぞ」
絶対に身から離すなよと念押しされて、言われるがままに首にかける。
長いチェーンのおかげで、普通の服を着ている分には誰にも見えないようだ。
まあ、見られたところで魔女の装飾品だから誰も突っ込んではこないだろうけど。
なんだか不思議な気分だ。
セオのせいで魔女になって田舎に引きこもることになったのに、不思議と憎む気持ちは湧いてこない。
自分の境遇に泣きはらした夜もあったが、セオを恨む気持ちはなかったのだ。
出会ってから今まで、本気で怖いと感じたこともない。
そして今、お守りとはいえ装飾品までもらってしまった。
「・・・ありがとう」
ポロリと零れた感謝の言葉にセオがびしりと固まった。
目を丸くして信じられないものでも見るように私を凝視して、羽もしっぽも面白い形になっている。
ツンととがっている耳がなんだか赤い気がした。
どうやら照れているらしい。
悪魔だから、お礼を言われ慣れていないのかもしれない。
「お前なぁ・・・」
絞り出すように息を吐いたセオはうなだれるように顔を伏せてしまった。
何かを言いたげに私を見つめ、呆れたように頭を振る。
なんだかすごく失礼な感じだ。
「なあ、本当に俺と契約しないのか?俺のモノになればいいじゃないか」
「いいえ、絶対に契約いたしません」
だって、その方がきっと人生が面白いわと微笑めば、セオは少しだけ目を見開いて、ようやくいつもの食えない笑みを浮かべた。
「気が変わったらいつでも呼べ」
「安心して、そんな日はこないから」
契約しなくても、悪魔に知り合いがいる魔女っていうのは中々、面白かもしれないなんて考えてしまう私は不謹慎なんだろう。
「あの魔獣がお前に惹かれたのは俺の責任だが、魔獣が現れた事そのものにお前は関わってない。気を付けろよ」
最後に何か不穏な事を言って、いつものようにセオは初めからいなかったように姿を消して、ひとり残された部屋は痛いほどに静かだ。
けれど、胸元に残る小さな珠のおかげでひとりではない気分だった。
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