03
あれよあれよという間に私は十二歳になった。
この四年、私がしていた事といえば、礼儀作法にダンスに詩集に読書、つまりは嫁入り修行である。
貴族令嬢が平凡で穏やかな人生を送るために必要な事は、良い結婚相手に恵まれることが第一だ。
そのためには己を磨かかなくてはならない。
しかしここで間違えはならないのは身分不相応な相手に嫁ぎたいという欲を持ってはならないことだ。
自分と同じくらいか少し上の相手を探さなくてはならない。
本当はお母様のように少しだけ格下の家に嫁いだ方が大事にされるからいいのだろうけど、我が家は底辺の男爵家。下なんてない。
幸いなことに私は家督を継ぐ必要も政略結婚をする必要もない三女。
特別美人でもないし、できれば婚礼にお金をかけたくはないのが親の本音と言えよう。
お母様は年頃の姉たちの婚約者探しに必死だし、お父様はなるだけ婚礼金の高くない良い家の令嬢と兄との縁を結ぶのに必死だ。
それが終わってようやく私の番だろうけど、その頃には気力もお金も尽き果てているはず。
親孝行な私はお金もかからない身の丈に合った穏やかな旦那様にすんなり見初められるように、数年後に控えた社交界デビューに備えて着々と下地を積み重ねるのが今できる精いっぱい。
本音を言えば貴族と言う肩書きを捨てて、適度に裕福な商家とでも縁付ればなぁと考えてはいるが、どんなに落ちぶれても貴族!平民と結婚なんて!という迫害めいた根強い慣習があるようなので、それも平凡な生活とは言えない気がする。
なかなか平凡を目指すというのも難しそうだ。
前世の記憶という下積みの記憶があるおかげか、礼儀作法も勉強もそれほど苦労せずに人並みに身に着けることができた。
ダンスは少し恥ずかしいが、嗜みなのでこれも人並みに程度にはなるように努力している。
魔力も成長と共に少しだけ増したのか、水魔法で湯船に水をためられるくらいの事は簡単にできるようになった。
もし、火属性の魔法を使える旦那様に出会えたらお風呂入り放題である。
本音を言えば結婚などせず、気ままに独身生活を送りたいが、この世界では未婚の女性というのは、よっぽどの問題ありか傷物、または魔女と相場が決まっている。
そのどれも平凡で穏やかとはかけ離れた存在だ。
『魔女』という単語を思い浮かべてしまい、苦々しいため息がこぼれる。
魔女、それはこの世界において一定数いる強い「闇」属性を持つ女性を指す言葉だ。
彼女たちはその属性のせいで魔術師とは一線を画した禍々しい魔法を使う悪しき存在として恐れられている。
人里で暮らし善い行いをする「善き魔女」以外は、闇に紛れひそっそりと悪事を働いているという噂だ。
闇属性自体がとても珍しいし、強い闇属性というのは産まれた時から発露しているからほとんどの幼い魔女は捨てられるか、生まれてすぐにその命を落とすのだという。
だから、魔女というのは殆ど噂と空想だけの存在で、その実態は闇のまた闇。
ただ、その魔女の噂で看過できないものがひとつ。
「魔女は悪魔と契約している、か」
そう、悪魔。問題は悪魔なのだ。
私が八歳のころに現れた悪魔、セオ。
あの一度きりで終わっていれば良かったのに、あれ以後もふらりと気まぐれに私の目の前に現れては契約しろと誘ってくる。
本当に厄介極まりない。
「・・・どうしたらいいの」
悪魔には聖なる魔法が効くというが、聖属性の魔力は闇属性以上に希少だからほとんどが王家に召し抱えられている。
聖なるお守りのようなものもあるにはあるが、とても高価だ。
欲しがれば何とかなるかもしれないが、悪魔が来るからお守りが欲しいなどと口走れば魔女扱いまっしぐらな予感しかしない。
「頭が痛くなってきた」
「契約したら、一生病気にかからないようにしてやるぞ?」
「ああああああああ!もう!!」
考えていた傍からこれだ!いい加減にしてほしい!!
「そろそろいい加減に諦めてほしいんだけど」
「それはこっちの台詞だって」
「いや、絶対に私が言うべき台詞でしょう。迷惑しているの、もう諦めてちょうだいよ」
「だからさ、諦めて俺と契約しろよ!悪いようにはしないから」
「絶対に嘘だ」
このやり取りは何度目だろうか。
セオなりに気を使っているのか、現れるのは私一人の時だけ。
本気なのかからかっているのわからない口調で契約をねだってくる小さな悪魔。
遠目から見れば妖精と語らう美少女にも思えるかもしれないが、この実態が世に知れれば悪魔と会話する魔女。
間違いなく迫害される。家を追い出される。
「私は、特別な魔法とか能力とか欲しくないの。平凡で穏やかな人生が遅れればそれでいいの。だから、もう私には構わないで」
「そんな面白い魂してるのに勿体ないって!俺と契約したら、もっと面白い人生を味わえるぜ?」
「・・・興味ない」
本当は少しだけ興味がある。
悪魔と魔女。
まるで物語のような設定は平凡で穏やかだけど退屈な人生とは真逆で、灰色だった前世とは違った魅力的な生き方にも思える。
だけど。
「私は、普通でいたいの」
特別になりたいと夢見たことがないといえば嘘になる。
お姫様になりたい。
女冒険者になってみたい。
物語の主人公のように燃える恋や特別な才能に恵まれた味わい深い人生を謳歌してみたい!と人並みに想像だってした。
でも夢を見るには私の性格はあまりに現実的過ぎるのだ。
前世の記憶も影響しているのかもしれない。
真逆の意味で特別だった灰色の人生。
平凡や穏やかさを渇望した記憶が、今の私を動かしている。
「つまんねぇけど、おもしろいな、やっぱり」
そんな私をセオは鼻で笑うが、あざ笑うわけでも馬鹿にするわけでもない。
ただ、面白いと口元をゆがめるのだ。
そして、また来るといい残して姿を消す。
悪魔らしくもなく、なんの悪事を働くわけでもなく、ただ現れては唆す。
誰にも言えない秘密の話し相手として私の人生にぽつりと跡を残していく。
それが、何事かの始まりのようでもあり、少しだけ自分は特別なのではないかという優越感にも似た不思議な気持ちを湧きあがらせるのだ。
それが本当に怖くて、不安だ。
「本当に困った」
解決方法の見えないこの関係はいつまで続くのだろうか。
もっと勉強して努力すれば悪魔を寄せ付けない魔法の一つでも覚えることができるかもしれない。
私は周りが心配するほどの勢いで勉学に励んでいった。
家庭教師も音を上げるほどのその集中力に感心したお父様が王立図書館への入場許可を手に入れてくれるほどだった。
目的はあったが、読書という行為は私を高め楽しませてくれるもので、私は熱中していた。
それが、周りの注目を集めていることなど露とも知らず。
そんな私の不安を現実に変える出来事が私を文字通り襲ったのは、十四歳の時だった。